第40話 末妹は家族が大切すぎる
「っ…………」
「少し、落ち着きましたか……?
「……う、ん。……ごめん」
昂っていた悪感情は浄化されはじめたものの、
逃れるようにおずおずと手を引っ込めると、紅羽はふふっと悪戯っぽく笑った。
そして、ゆったりとした動きで、床に落ちている大量の画鋲が入ったケースのひとつを拾い上げ。
いまだ壁にもたれて座り込んでいる犯人を、見下ろした。
────いや、
え?
「……思い上がりも甚だしいあなたに、お伝えしておきたいのですが」
ついさっき俺にかけてくれた優しい囁きからは、想像もできないほど凍てついたその声色に、心臓が不穏な音を立てはじめる。
紅羽は温度を失った表情で、怯える犯人に射殺すような視線を向け続けている。
な、なに……、なんか、すげえいやな予感が……。
「紅羽……?」
「陽富せんぱい、ちょっと下がっていてください。
「っえ」
柔らかくも有無を言わせない強かな声で、制御される。
紅羽がぐっとケースを持つ手に力を込めるのを見て、なにをしようとしているのか悟った。
しかし直前に頼まれてしまったからか、俺は紅羽を止めるのではなく、とっさに──白羽の目元を手で覆って隠していた。
画鋲の詰め込まれた重みのあるケース、もとい鈍器が目にも留まらない速さで振りかぶられ、次の瞬間バチンッ!!と容赦なく肉を打つ音が鳴る。
「ふぎっ!!」
紅羽の手から犯人の顔面へとストレートで投げつけられたケースは、その拍子に開かれ、大量の画鋲が犯人の元にぶちまけられた。
痛ましく
「白羽姉さんを最初に見つけたのは、断じてあなたなんかじゃない。このわたしです。あなたは白羽姉さんとは無関係の他人なんですから、もっと身の程を弁えてはいかがですか」
た……たしかに、双子の妹が言うと説得力しかない。
いやでもこのままじゃ、まずい。
「「紅羽っ……!!」」
焦って紅羽を呼ぶ声が、
しかし、
「正当防衛じゃなくたって構いません。陽富せんぱいと白羽姉さんを──わたしの大切な家族を
「ひっ……」
実は相当ぶちギレていたらしい紅羽は、こちらに一切、目もくれない。
こんなに近くから呼んだのに、外部からの声がシャットアウトされているのかと思うほどフルシカトだ。
「あなたが白羽姉さんを尾けているのを見た時から、どう懲らしめるべきかずっと考えていたんです。……やはり、万死に値するようですので」
紅羽は床に落ちているカッターを、表情ひとつ変えず手に取り、
「さて、──どこから切り裂かれるのが、お望みですか」
青ざめ
動作自体は優雅で落ち着いているように見えるのに、表情、声、仕草、台詞すべてから、途轍もない殺意を感じる。
俺もぶん殴ろうとした立場とはいえ、さすがにこれは力づくででも止めないと──と考え至るより、先に。
そばにいた白羽が、動いた。
俺の手を退かせ、持っていた猫のぬいぐるみをぐいっと押し付ける勢いで渡してくる。
「──紅羽っ!!」
白羽の呼びかけに、報復対象しか見えていなかった紅羽の肩が、ぴくりと動く。
そんな妹の身体を、白羽はまるで守るようにぎゅうっと抱き寄せた。
「し、白羽、姉さん……っ?」
「紅羽っ、ありがとうっ……。もう、大丈夫だよ……。大好き……っ!!」
「……──」
涙声で宥める白羽を、ひしっと抱きつかれている紅羽は毒気の抜かれた顔で見つめた。
数秒後には、カシャンッとカッターが放り捨てられ、その遠くで響いた音にすら犯人が条件反射のように「ひっ」とデカい図体を縮こめる。
「も、もうっ……白羽姉さんってば……。刃物を扱ってる時に、いきなり抱きついたりしちゃ危ないですよっ……?」
紅羽は困ったように──それでいて穏やかに笑い、白羽を優しく抱きしめ返した。
それから丁寧な手つきで、髪を梳くようにして左手で白羽の頭を撫でる。
「……………………」
……まるで料理中にくっつきたがる恋人を、まんざらでもない調子で受けとめてるみたいなリアクションだ……。
な、なにはともあれ……、マジでよかった、白羽が止めてくれて。
いや、ほんとは一番近くにいた俺が止めなきゃいけなかったん、だけど。
……でも、たぶん義兄の俺では、紅羽はこんなにすんなり思いとどまってはくれなかっただろう。
さっきだって、俺と満月の声、全っ然届いてなかったし……。
我を忘れるほどの殺意すらどこかへ吹き飛ばしてくれる、かくも美しい姉妹愛を眩しく思って眺めつつ。
犯人も鼻を押さえたまま委縮しきっているので、内心ほっと胸を撫で下ろしていたところへ、
「──こんな公共の場で、なにをしている」
……弛緩しかけた空気を一瞬で張り詰めさせる、威圧的な低い声が後方から飛んできた。
振り返る前に声の主が誰かわかる。
なんとなく、抱き合っている義妹たちをやんわり犯人から引き離しつつ、自分の背に隠した。
そしてショッピングモールに佇むには厳めしすぎる、生徒会長さまと対峙する。
「……その様子だと、彼が犯人だったのか?」
会長は画鋲まみれで動けない犯人ヤマキタ(仮)を顎で指し、冷めた目付きで俺に問いかけた。
「あ……はい。そうです。だからマジ許すまじと思って気づいたらこいつに画鋲ぶちまけて仕返ししてました、すみません」
「っ、違いますっ。わたしが報復したんです。この程度ではまだまだ足りませんが」
捲し立てるように嘘をついたら、紅羽が白羽を強く抱き寄せたたまま、俺の背後から声を上げてしまった。
い、言わなくていいのに……!と焦ったが、それを声にすると墓穴を掘るだけなので、もう口を噤むしかできない。
やや冷や汗を感じつつ窺うように会長を見やると、ただただ呆れた目で返された。
「それを誰がやったのかは、いまどうでもいい。彼の処遇を決めるのが先だ」
会長はすげなく告げ、満月と一緒にいた生徒会の男子に「彼を連れてきてくれ。生徒指導室へ送る」と指示した。
……当然のように自分の手は使わないあたり、根っから上に立つ者って感じだ。
「彼以外、事情は明日以降聞く。嘘をつきたいのなら口裏はあらかじめ合わせておけ。目撃した生徒会役員が二名いるのだからどうせすべてバレることも念頭に置いてな」
うっ……。そりゃそうだ……。
見透かした会長に退路を塞がれてしまい、素直に「す、すみませんでした……」と小声で謝った。
しかし、その直後。
「わたしの姉は、偶然巻き込んでしまっただけで関係ありません。事情もなにも知らないので、呼び出さないでください」
……驚くことに、紅羽が毅然とした態度で嘘を重ねた。
会長が俺の背後にいる義妹たちに、厳しい眼差しを向ける。
銀縁眼鏡越しのそれが恐ろしすぎて、眼光の照射範囲にいる俺まで蛇に睨まれた蛙みたいになってしまう。
「被害者の事実説明は自動的に発生する責務だ。放棄はさせない」
「……………………」
この言い方だと……、脅迫状の“ぼくの天使”が指す人物が、白羽であることを会長は知っているんだろう。
「だが、……君の姉が事情を知らないというなら、君が付き添って説明しなさい。
「……、わかりました」
俺が恐怖して固唾を呑んでいる間に、両者が譲歩できる折衷案で収束したらしい。
よっ……よかった。
紅羽、会長に同族嫌悪をいだいているだけあって、ほんとに豪胆すぎる……。
「
厳かな空気を纏ったまま、背を向けて歩いていく会長のもとに、満月が駆け寄った。
「あたしも一緒に行きます」
「いや、いい。君は今日はこのまま帰れ」
「でも」
引き下がらない満月の顔の前に、会長が手を掲げて制した。
それから満月の耳元に少し顔を近づけ、
「元恋人である幼馴染を守りたい一心なのか知らないが、君は今回頑張りすぎだ」
「っ…………」
距離があるのでこちらには声は届かないが、会長になにか囁かれた満月が、唇を結んでやや頬を染めるのが見えた。見えて、しまった。
……っ、キッツすぎる。
好きな相手に他の男が接近するとこすら見たくねえのに、なんだあの、男心をくすぐるような反応……。
マジで、はやく、……さっさとくっついてくれればいいのに。
絶っっっ対、いやだけど。
本っっっ気でいやだけど……!!
「……
「エッ!? ハイ!」
激しくジェラッているのを表に出さないよう必死に抑えていたら、まさに嫉妬の対象である会長がふいに俺を振り返った。
心臓がビクついて、思わず威勢よく返事してしまう。
そんな俺に、会長は極めて白けた視線を寄越した。
「……知らなかった。君には、そういう趣味があるんだな」
「え?」
眉ひとつ動かさない会長の、鋭い目線の先には──フワッフワの猫のぬいぐるみ。
白羽に押し付けられるがままずっと胸に抱いていた、クレーンゲームの景品……。
「ハッ!? い、いやこれはちがっ!!」
「まあ爪の先ほども興味ないが」
持ってるの完全に忘れてた……!
狼狽える俺を他所に、まったくもって本当にどうでもよさそうに吐き捨て、会長がスタスタ歩いていく。
……は、辱めたかっただけかよ……! 畜生めがっ!!
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