第39話 長妹は義兄のにされる
今朝、犯人の名前を
特定のクラスメイトを犯人とする根拠として話された内容は、こうだ。
『一昨日の朝──
『……え? あのさ? ひとつツッコみたいんだけど、盗み聞きは満月らもしてたよな?』
『……っあたしは、
『身に覚えのある謎理論展開はやめてもろて……』
……という会話が続いたことはまあ置いておいて、たしかに、俺も偶然見ていたのだ。
昼休みに白羽が弁当を届けに来てくれた時、こいつ──ヤマキタ(仮)が、カランカランッと箸を落として唖然としていた、ところを。
その時は、白羽を知ってるんだろうな、くらいにしか思わなかったが……。
昨日の早朝一番に登校してきていたクラスメイトももちろん、
「ひ、陽富くんっ、違うの……。私が、ぶつかっちゃって……あ、謝った……んだけど、……許して、もらえなくて」
まさかこいつが自分をストーキングしているとは露ほども思っていないであろう白羽が、傍から戸惑ったように伝えてくる。
なぜかちょっと頬を赤らめているが、……涙目だ。
ふつ、と腸が煮える。
「……大丈夫。白羽はなにも悪くねえよ」
いきなりいなくなってしまったことには焦ったが、白羽は事情を知らないんだから、俺が目を離したのがいけなかった。
スマホをポケットに仕舞って、安心させるように白羽の頭に優しく手を置いた。
それを目の当たりにしたヤマキタ(仮)が、癇に障ったようで血相を変える。
当然だろう。
これみよがしに、見せつけてやったんだから。
「──だってお前が
「……っ!!」
陰から見るしかできないお前と違って俺は、白羽と一緒に住んでいて、毎日話しているくらい距離が近くて、こうして頭を撫でてやれるくらい、白羽からの信頼も得ている義理の兄貴なのだ。
でも、立場の違いがあるからって、同情してやる気はさらさらない。
敵意を隠さず蔑みをぶつけると、煽りに乗ってきたヤマキタ(仮)はバッと俺の手を思いきり振り払った。
「かっ!
鬼気迫った顔で息巻くヤマキタ(仮)にぞわっと怖気が走った。
時雨がよく聴いてるアイドル曲の歌詞みたいな台詞を素で吐きやがって。
……いや、俺もついさっき、白羽本人に天使だとかなんだとか言っちゃったんだけど。
あ、……あ、あれ?
もしかしなくとも、俺、こいつと同列なのでは……。
「ゃ……、やだ……っ……」
いささか不安になった時、俺のシャツをきゅっと握りしめて、怯えた白羽がか細い声を零した。
「わ、私のこと、て……天使って言っていい男の人は、陽富くんだけだもん……っ!!」
か……っ、可愛い! そしてうれしい……!!
俺にひしっと身を寄せて、声を震わせながらも勇気を出してくれた白羽に感激してしまう。
つまりこれが、ちゃんと信頼関係を築いた者と築かなかった者の差だ。
危うく頬が緩みそうになったが、状況が状況なので、キリッと厳しい顔をつくって忌々しきヤマキタ(仮)を見据える。
「お前が白羽の魅力をほんの一部でも理解してることだけは、褒めてやる」
「ほ、褒めて……やる!?」
「でも白羽の一部しか知らねえやつが、わかったような口きいてんじゃねえ。白羽のいいところなら俺のが断然知ってんだよ」
「はああっ……!? ぼくのほうがずっと彼女を見守ってたんだぞ!? なっ、なにさまなんだよ! おま、お前!」
白羽の義理の兄貴さまですがなにか!?
と反射的に噛みつきたくなるが、べつに義理の兄貴が偉いわけでもないし、さすがにそれは意味がわからないのでぐっと堪える。
俺たちの大切な関係を、こいつなんかにわざわざ教えてやる道理もない。
「……お前こそ、ストーカーの分際で白羽に近づいてんじゃねえぞ。白羽はお前の天使なんかじゃねえ、──俺のなんだよ」
俺の放った言葉に、一瞬呆気に取られたヤマキタ(仮)は、途端に憎悪に満ちた表情でわなわなと震えだし、
「ゆ、ゆる……赦さないっ!! 赦さないお前!!」
ファスナーの開いた鞄から、焦りの見える手つきでなにかを取り出そうとしたから、それより先にその鞄ごと乱暴にはぎとって、床に叩き落とした。
カシャンッと乾いた音を立て、ハサミや刃が出た状態のカッター、そして大量の画鋲の入ったクリアケースがいくつも鞄から床に散らばる。
「……──」
気づいたら、目の前にいる危険人物の胸倉を無理やり掴み、力任せに壁にダンッと叩きつけていた。
衝撃に顔を歪めたそいつの首元を、胸倉を掴んだままきつく圧迫して顔を寄せる。
「……それはお互いさまだ。お前が凶器所持したまま白羽の腕掴みやがったこと、俺も一生許さねえから」
「ひ……っ」
体格に恵まれているくせに武器を失った途端、青ざめて弱々しい音を上げやがったそいつを、思いきりぶちのめしてやりたい衝動に駆られた。
ふっ、ざけんな、マジで。
「お前、自分で種蒔いといて被害者面してんじゃねえよ。どうせお前みたいなやつはきっちり痛い目見ねえと反省なんかできねえんだろ? 改心の仕方教えてやろうか、なあ」
背後にいる白羽を怖がらせてしまわないよう、できるだけ声を荒らげずに乱暴な言葉遣いを避けて話しているつもりなのだが、いまいち冷静さを欠いて正常な判断がつかない。
頭に血が上りっぱなしで、ちゃんと正当な主張ができているのかもわからない。
でもとりあえず絶対に──この悪質なストーカーを一度はぶん殴ってやりたい。それまでは、なにがなんでも逃がさない。
合意の上じゃねえけど。べつにいいよな。殴られることに合意なんかしてくれるわけないしそこは止むを得ないはずだ。
いや──、でもいまここで殴ったりしたら、白羽に傷害現場を見せることになってしまう。
それは絶対、だめだ。
いまからどっか、人のいないところに連れてって──
「陽富!!」
まだ行き場の確保できていない怒りを、握りしめた拳にひたすら込め続けて耐えていたら、かろうじて満月の声が届いた。
手のひらに深く爪が食いこんで指が動かない。
胃のあたりが煮えたぎって熱くてたまらない。
それでも、……無視できない声だから、呼吸を軽く落ち着けて、そちらを振り向いた。
満月が、少し苦しげな表情でまっすぐこちらを見ていた。
「そいつ、いま丸腰でしょ。今回ばかりはそれ、正当防衛になんないから。陽富は絶対、それ以上手を上げちゃだめ」
「……………………」
「……お願い、だから。言うこと聞いて、陽富」
ろくに頭の回らなかった自分を心底恨んだ。
それならわざと凶器使わせて、怪我負わせられときゃよかった。
反撃の大義名分を得てからなら、手加減だってしなくていいはずだ。
二年前と同じように、刺されてから殴りつける手段を取ればよかった。
「っ…………」
ジレンマに苛まれた末、……力を抜いて解放してやったら、愚劣な最弱者は腰を抜かしてその場にへたりこんだ。
勝手に座りこんでんじゃねえよ、と足元に崩れたデカい身体を蹴り上げたくなる。
この状況、たぶん
元はと言えば上履きに画鋲入れられてたの、俺なのに。
間違いなく俺が虐められた側だというのに。
……なんで、それでもこっちが我慢しなきゃ、加害者側に回されんだよ。
いまさらドクドクと強く速い脈動を認め、かなり興奮していたことを自覚する。
頭はほんの少しだけ冷えてきたが、憎しみが一向に収まらない。
「────陽富せんぱい」
その時。
きつく握り込んでいた拳が、──ふわりと、なにか柔くあたたかいものに包まれた。
……そちらに顔を向ければ、もうひとりの大切な義妹の姿があった。
俺の拳を両手で包み込み、ほっとしたような微笑を浮かべて、横に立っている。
「
「なんで、なんて……。家族が心配だったからに、決まっているでしょう?」
紅羽は眉を下げて笑い、俺の拳を両手で優しくそっと開かせると、まるで大切に仕舞うみたいに目を閉じて自身の胸に抱いた。
ブラウス越しに大きく柔らかな弾力と、体温と、鼓動が伝わってくる。
その慈しみに満ちた仕草に、心の強ばりがゆっくりと、自然な速度で解けていくのを感じて。
「本当によかった……、この拳で、暴力を振るわないでいてくれて。大切な陽富せんぱいの手が傷ついてしまうのは、いやですから……」
目を、思考を、意識を。
心をすべて────奪われた。
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