第32話 幼馴染は世話を焼かれたくない

「く、紅羽くれはさん。ちょっと離れよっか?」


 いくら満月みつきには紅羽が義妹だと伝えているとはいえ、さすがにこんなに距離感がバグった状態を見られるのはまずい。

 ていうか人の目以前に、俺自身が困る密着度なのでやめていただきたい……!


 入口の前から退きつつ、やんわり拘束を解くと、紅羽は不服そうにぷくっと頬を膨らませて睨んできた。

 怒りつつもなんか寂しがってるみたいな表情だ。


 ……その顔も、わかってやってるにしてもマジで可愛すぎて『ごめんねいくらでも抱きついていいよ!!』って気持ちになりかけるのでやめていただきたい!


 そんな俺の心の訴えを聞き入れてくれたのか、紅羽は長くは食い下がってこなかった。

 すぐに切り替え、満月のほうへ身体を向けると、今度はそつのない社交的な笑顔を浮かべる。


「おにぃちゃんの幼馴染の方ですよね。はじめまして、妹の神薙かんなぎ紅羽といいます。兄がいつもお世話になっております」


 がらりと態度を変え、恭しい振る舞いを見せる紅羽に、俺はひとり呆気に取られた。

 ……あれ。

 俺、満月が幼馴染だって紅羽に伝えてたっけ。白羽しらはは知ってるけど……。


 紅羽の醸すお嬢さま然とした雰囲気に、満月は戸惑いつつも、軽く会釈で返した。


「はあ……ご丁寧に。宮代みやしろ満月です。世話とか、なんもしてないけど」

「え、いや、かなりお世話になってますよ……」


 画鋲拾うの手伝ってくれたし、生徒会長に掛け合ってくれたし。

 個人的に恩を感じまくりなので思わず横やりを入れてしまった。


「べつに……、生徒会だから動いてるだけで、たいしたことしてないし。じゃ」


 満月は俺たちを避け、さっさと夜道を歩いていこうとする。

 今朝や昼休みのことを思い返していた俺は、たったいま紅羽に怪しまれていることも思い出してはっとした。

 せっかく会ったんだし、満月に相談してみよう。


 なんて……、単純にもう少し満月と言葉を交わせる口実が、欲しいだけだ。


「満月っ、待って。ちょっと相談あるんだけど」


 しょうもない本音を悟られないために建前を用意し、満月のもとへ歩み寄った。

 紅羽の耳に入れないよう、俺を振り返った満月の耳元に、心持ち顔を寄せる。


「……なっ、に。近っ……」


 予想外だったのか、満月がやや身構えるのがわかった。


「会長に言われた通り、妹ふたりに最近おかしなことがなかったか訊いてみたんだけどさ、逆になんでそんなこと訊くのかって返されちゃって。さっき腕にくっつかれてたのも、問い詰められてたからなんだよ。これどう誤魔化せばいいと思う?」


 相談するための距離だと証明するために、小声かつ早口で話した。

 満月は俺の背後の紅羽にちらりと視線をやった。

 同じように軽く振り向くと、紅羽はきょとんと小首を傾げてこちらを見ている。

 聞こえてはいなさそうだ。


「……それは話しても、いいんじゃない。本人が自衛するのも大事だし」

「え、でも、怖がらせたくねえんだよ。ふたりにはできるだけ穢れなき清らかな世界を見ていてほしいっていうか」

「あのさ、知ってる? そういうベクトルで過保護な兄貴って凄まじくキモいんだよ」

「そうだけど! そうなんだけども!」

「あ、ちゃんと自覚はしてるんだ……。てか、ねえ、なに? あの子」

「なにって?」


 俺の上着を掴んで、今度は満月から少し距離を詰めてきた。

 内心どきりとしたが、悟られないよう隠す。満月は紅羽のほうを気にしつつ、怪訝そうに声を潜めている。


「ほんっとに可愛すぎない? 陽富ひとみ、大丈夫なの? あんな絶世の美少女と一緒に住んでるなんて知れたら全校男子から恨まれるよ。大暮おおぐれくんとか絶対やばいでしょ」

「うぐっ……。それは、俺もめちゃくちゃ危惧してる。いまのところ時雨しぐれに言うつもりはねえんだけど」

「……のわりには、どこでも妹と仲良さそうにしてるくせに。隠す気ゼロじゃん。ばか」


 ぐうの音も出ねえ……。

 ただ、言い訳するとすれば、俺から義妹たちと関わるのは基本的に家の中であって(いまは例外として)、学校や人目のあるところで話しかけてくるのは義妹たちのほうだ。

 特に禁止なわけでもないので咎めたりしないし、ふつうに会話しているが。


「とりあえず、あの子はしっかりしてそうだし、話しとけば。あとから偶然知った時のほうが怖いと思う」

「それは、たしかに……」

「ん。じゃあね」

「や、待って待って!」


 そんなに俺と話したくないのか、手短に切り上げて帰ろうとする満月を、再度呼び止めた。


「まだなんかあんの?」

「違くて。家まで送る」

「……妹がいるじゃん」


 反応悪く返され、俺はすぐさま紅羽を振り返った。


「紅羽、ごめん。満月のこと家まで送りたいんだけど、一緒についてきてもらっていい?」

「はいっ。もちろんです」


 予想通り、紅羽はにこやかに了承してくれた。


「紅羽もいいって」


 改めて満月を見れば、ものすごく面倒そうな表情を返された。

 でもここは譲れない。

 幼馴染だからでも、好きな子だからでもない。よく知る同年代の女の子が、近場とはいえ真夜中にひとりで外出していたら、心配になるのは当然のことだ。


「どうせ、パパさんママさんになにも言わずに出てきたんだろ?」

「……そう、だけど」


 満月は両親と仲が悪いわけじゃなく、むしろめちゃくちゃ良好だ。

 だからこそ、ひとり娘が深夜にお菓子を買いに行くなんて止められるに決まっている。

 ママさんバリバリの元ヤンだし、対するパパさん現役警察官だし。

 満月のことだ、それが面倒だから黙って外出したんだろう。バレたら絶対怒られるのに。


「こんな時間にひとりで出歩くとか危ねえじゃん、女の子なんだから。マジでこれからはやめろよ」


 お節介だとか余計なお世話だとか思われても構わない。

 下心ではなく真心から注意すると、


「……、あたしにまで過保護なの……、やめてよ」


 小さな声で反発されたけれど、俯きがちの満月の頬は、わずかに赤らんでいるように見えた。

 ……単純に、寒さのせいかもしれないが。



 ※ ※ ※



 シャー芯と、紅羽と満月にホットミルクティーを買い、コンビニをあとにした。

 時間の経過に比例して、肌寒さを感じやすくなってくる。

 部屋着ひとつでついてきてくれた紅羽には、俺の上着を羽織ってもらった。


 家まで送るついでに、満月の荷物も引き受けようかと思ったが、「いやべつに全然まったく重くないからいい」と袋をぎゅっと胸に抱いて守るようにして断られた。

 満月は俺がお菓子をくすねるとでも思ったんだろうか。

 だとしたら心外すぎる。


 そんなこんなで、三人で満月の家へ向かうすがら。

 俺はかなり迷った末に、今朝のことを紅羽に打ち明けた。


「嫌がらせに脅迫状って……お、おにぃちゃん、大丈夫ですかっ? おかしな人の意地悪に、傷ついたりしないでくださいねっ。おにぃちゃんはなにも悪くないですし、わたしはおにぃちゃんの味方ですっ……!」


 ミルクティーの缶を両手で覆って暖を取っている紅羽が、うるうるした瞳で見上げてくる。

 まさか真っ先に俺を心配して、擁護までしてくれるとは……。

 天使すぎにも程がある。

 もともと満月たちのおかげで(里砂りさちぃと堀池ほりいけさんのせいとも言う)そこまで落ち込んではいなかったのだが、いまので完全に癒された。


「ありがとう。俺は、全然大丈夫だよ。むしろ紅羽たちに直接被害がいかなくてよかったくらい」


 ホワ〜ンと幸せな気持ちで紅羽の頭を撫でたら、ふにゃふにゃの笑顔が返ってきた。

 うわもう、紛うことなき天使だ。永遠に撫でていたい。


 そんな俺たち兄妹を、隣の満月はしらけた目で見てきた。

 ……もしかして、傍目からは痛いやり取りなんだろうか、コレ。

 外ではやらないほうがいいのかもしれない。

 反省してそっと紅羽から手を離した。


「ちなみに、このことを知っている人は、おふたり以外にもいらっしゃるんですか?」

「あー、クラスの友だち数人と……あと、生徒会長も知ってるな」

「……なるほど。生徒会長さんも」


 紅羽の声の温度が、なぜか明らかに下がった。

 表情を硬くし、それからなにか考え込むように押し黙ってしまった。


 ……なんか、いつかどっかで、同じようなの見たな。

 そんな漠然とした違和感を覚えつつ、考えごとが終わるのを待っていたら、ふと紅羽は顔を上げて。


「生徒会長さんが犯人──という可能性もあるかもしれませんね」


 冷めた声で、突拍子もない線を提示した。


「えっ、会長!? さすがにそれは……」

「なにを根拠に言ってるのかわからないけど、それはないよ。あの人はそんな愚かな真似、絶対にしないから」


 戸惑う俺の隣で、満月がきっぱりと断言する。

 会長に対する揺るぎない信頼感〜〜……くっそ〜〜……と悔しくはなるものの、その点においては俺も同意する他ない。

 それなら時雨のほうがまだ容疑をかける余地がある。

 あいつ俺しか友だちいないらしいから、それもあり得ないと思うが。


「……そうですね。彼ならもっと、狡猾で卑怯な手を使うでしょうから」


 紅羽は薄ら笑みを浮かべて、なおも静かに攻撃的な言葉を口にした。

 誰にでも穏やかで優しい紅羽にしては、あからさまに貶める言い方だ。

 思わず満月と顔を見合わせた。

 見るからに厳しい会長を、白羽のように怖がっているのならまだしも、なんだか……恨みを持っているみたいに聞こえる。


 なんでだ? 会長になんかいやなことされたのか?

 ……あの会長が、そんなことするか……?

 いや、たしかに俺はあの人から明確な敵意をビシバシ喰らっているし、こちらとしてもマジで苦手だけど、それは満月が絡んでいるからだし。

 なんなら会長は、昼休みに紅羽のことを評価していた。

 敵意を見せるどころか、むしろ好意的だったはずだ。


 つまり、紅羽が一方的に、会長を好く思ってないのか……?

 なぜ?


 不可解に思っているうちに、満月の家のそばに到着した。


「……怪しい人がいるなら教えてほしいけど、犯人捜しはあたしたち生徒会でやるから。陽富と紅羽さんと白羽さんは、それぞれ自分の身を案じるのが第一だよ」

「……………………」


 門扉の前で忠告する満月を、紅羽はじっと見つめる。

 まるで探りを入れているような、見極めているような真剣な視線を送ったあと、


「──あの……っ、満月せんぱい」


 紅羽は門扉のドアレバーに手を掛けていた満月に、一歩近づいた。

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