第31話 末妹は知りたがる
もう四月の末だが、今夜の屋外は涼しいと言うよりはまだ肌寒いほうだ。
夜風だって冷たい……のに、なぜか身体の内側が妙に熱を発しはじめるのを感じた。
……思わず
「っ、あー……っいや、だって、女の子ってさ、すげえわかりにくいところあるじゃん。複雑っていうか繊細っていうか、そのくせ隠し上手だったりして……。どう考えても両想いだろこれって期待させられまくってその実全然そんなことなかったり、逆に、本当は好きなくせにそいつにだけやたらきつく当たってたりっ……とか」
なぜか意味不明なくらい照れてしまって、無駄に口が回った。
いや……紅羽相手になにぶっちゃけてんだ俺!
よりによって、好きって言ってくれた子に……!
「随分具体的ですね……? 特定の女性おふたりのお話ですか?」
「そっ、そこは、ご想像にお任せしますけど……! だから、……できるだけ知りたいし、わかりたいなと思ってるんだよ、俺なりに。それで、注意深く見ちゃうっていうのは、あるかも……」
なんとか言い繕いながら、ふたたび紅羽を見やった。
紅羽は俺を、ずっと見つめたままだった。
街灯と月明かりくらいしか光源がない暗がりの中で、瞳の揺らぎが確認できるくらいに近い。
紅羽はほのかに頬を赤らめたまま、まるで恥ずかしがっているみたいに顔を俯かせた。
そして、小さな唇をそっと開く。
「…………おにぃちゃんの、えっち」
呟くように紡がれたその台詞に、我が耳を疑った。
「はあっ……!? なんで!? な、なんかエッチなこと言った俺!?」
心外すぎて思いきり取り乱してしまった。
夜中なので声量は抑えたが、あまりの衝撃に戸惑いが隠せない。
「こんな暗い中ふたりきりで、知りたいとか、見ちゃう、なんて言われたら……そういう気分になっちゃうでしょう?」
なっちゃうでしょう?と言われましても!!
それは人によるんじゃない!?としか!!
「や、誤解しないで、俺はべつにやましい意味で言ったんじゃ全然なくてね!?」
「ふふっ……。はい、もちろんわかってます。いまのは、照れ隠しですっ」
「照れ隠っ、え?」
「わたしのことをちゃんと見てくれていてすごくうれしいけど、なんだか心の奥まで見透かされているみたいでちょっぴり恥ずかしい気持ちもあって、ついおにぃちゃんをからかっちゃったんです。おにぃちゃんも女の子のこと、これでまたひとつわかりましたねっ」
め……めちゃくちゃ丁寧に解説してくれたところ悪いけど、全っ然わかんねえよ!!
ていうかそれって女の子特有の話じゃなくて紅羽個人の性分だろ……!
ついていけなくて愕然としていると、紅羽は打って変わり、静かに笑いかけてきた。
「本当に……うれしいです。男の人がちゃんと見て理解しようとしてくれるのって、わたしにとってはとてもすごいことなので」
「え? ……すごい?」
「はい。すごいんです。生物学的に、女性は言葉を話せない赤ちゃんの健康を守るため、対象の表情や状態を注意深く見る性質が生得的に備わっていると言いますが、男性は本来そういうことは必要ないんですから」
「必要ないって……あくまで、生物学的には、の話だよな?」
「そうですね。個の精神性やアイデンティティーの尊さを謳う令和にはそぐわない、時代錯誤な話ではあります。……でも、相手の様子が普段とは違うことに気づいても、面倒に思ってスルーする人は多いでしょう? そうして配偶者や子を一切顧みず、仕事だけに没頭する──それを当然のことだと思ってる男性だって、実際にいるくらいです」
「……………………」
たまに垣間見える、紅羽の特定の男へ向かう冷めた嫌悪感。
その相手は────やはり、父親なんだろう。
「てことは……、俺は、生物学的には女性寄りなの?」
ずれた返しをしたのは、あえてだ。
勝手だが、紅羽の意識を、嫌悪の対象から引き離したかった。
紅羽はきょとんとしたあと、口元に手を添えてくすくすと無邪気で可愛らしい笑い声を零した。
先ほどまで硬いほほ笑みを張り付けていたから、素で笑ってくれたことに、密かにほっとする。
「生得というよりは、これまでの経験で培ってこられたのかもしれません。わたしはそんなおにぃちゃんが、とっても素敵だと思います」
気づけば、コンビニの前まで差し掛かっていた。
「だから、わたしも……わたしだって、わかりたい。もっと知りたいんです、……おにぃちゃんのこと」
そんな囁き声とともに、そっと、二の腕に手を添えられる。
「……ねえ、おにぃちゃん?」
もしかして、またからかってくるつもりなのか──と身構えたが、
「どうして突然、わたしたちに心配ごとなんて尋ねてきたんですか? ──おにぃちゃんに、心配ごとがあるからですか?」
ほほ笑んだまま、俺をまっすぐ射抜いてくる紅羽の鋭い指摘に、ぎくりと肩が跳ねた。
逆に訊き返されるとは思わなかった。
「えっ、いやっ、……そういうわけで、は」
予期せぬ角度からの攻撃にあからさまに動揺してしまう。
脅迫状や嫌がらせのことは、話さないほうがいいに決まってる。
まして義妹ふたりと親しいことが原因かもしれないなんて、絶対にいい気はしないだろう。
悪いのは完全に犯人のほうなのだから、罪責感を持たれてしまっても困る。
「そっ、それより──あ、ほらっ、コンビニ着いたし。ついてきてくれたお礼に、紅羽の欲しいもんも買ってあげるから。なんかお菓子とか、スイーツとかジュースとか──」
「おにぃちゃんっ」
はぐらかしてコンビニの中へ足を踏み入れようとする俺の腕を、すかさず紅羽が両手でぐっと掴んで引き留めてくる。
見かけによらず力が! 強い!
ふたつの柔らかすぎる膨らみの間に思いきり腕が埋まってしまっていることよりも、絶対に逃がさないという強い圧に冷や汗を流して振り返ると、そこには──わざとらしさすら感じるほど、可憐な笑顔があった。
「わたしと
俺の腕をホールドしたまま、紅羽はとんでもなく愛らしく小首を傾げてみせる。
「ねっ? おにぃちゃんっ?」
「……………………」
……え、笑顔が完璧すぎて、ちょっと怖いくらいなのですが、紅羽さん……。
気迫に圧されつつ、どう切り抜けようか、いっそ話したほうがいいのか、いやでも──と必死に頭をフル回転させていた、その時。
コンビニの自動ドアが、ひとりでに開いた。
まだセンサーの下には立っていないから、店内から人が出てくるんだろう。
邪魔になるかと思い、反射的にドアのほうを見て、俺は目を瞠った。
「「…………あ」」
菓子類の入った袋を提げて、コンビニから出てきたのは、
「み……満月」
「……………………」
家が近いぶん生活圏が被っているから、ばったり出くわすのは不思議なことではないが、にしても最近の遭遇率がすごい。
うれしくないのかと言われたら、そりゃあまあうれしい、んだけど……。
「……邪魔、なんだけど。なにしてんの」
でも、ことごとくタイミングが最悪だ。
満月はやや眉を顰め、俺と、俺の腕に抱きついている紅羽を見やった。
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