第24話 長妹は弁当を届ける

 ※ ※ ※



 数学の公式を海馬に刻み演習を繰り返す苦行を乗り越え、やっと昼休みになった。

 毎週のことながら、月曜日から理数科目が四時間目にあるのは凶悪すぎると思う。


陽富ひとみー、今日は? 学食か?」

「あーそうだなあ。購買でもいいけど」


 時雨しぐれが弁当片手にSNSのチェックをする傍ら、俺の横に立って尋ねてきた。教科書類を机の中に仕舞いながら答える。

 仕事に勉強にと多忙な母さんの睡眠時間を削らせるのも忍びないので、昼食は自分で調達することにしている。

 といっても弁当なんてつくれないからいつも登校中コンビニで買うか、学食、購買のパンだ。

 どちらにせよ教室を出なければいけない。


 そういや、義妹たちは昼食をどうしているんだろう。

 やはり紅羽くれはがつくっているんだろうか。


 頭の片隅でそんなことを考えつつ席から立ち上がった時、スマホに夢中だったはずの時雨が、ふとレーダーが探知したようにバッと視線を教室の入口のほうへ投げた。

 なんだ、とつられるようにして顔を上げた──と同時に、ぱたぱたとまるでこちらに逃げ込むみたいにして、誰かが傍に駆け寄ってくる。



「──陽富くんっ……」



 繊細で可憐な、小さな声が俺を呼んだ。

 緊張しているのか硬い表情で教室に飛び込んできたのは、一年生のはずの白羽しらはだった。


 今日は黒髪を緩く巻いて、ハーフアップにしている。

 揺れる深紅のレースリボンが似合っていて可愛すぎる──のだが、それどころじゃ、ない。


 びっくりしすぎてすぐに声が出なかった。

 なんでここに白羽がっ?

 クラスは教えてたけど……。


「白羽っ……ちゃん、白羽さん……いやっ、えっと、か、神薙かんなぎさん?」


 周囲にクラスメイトがいる手前、どう呼ぶべきか決めかねて、結局呼び名フルコースになってしまった。

 我ながら動揺しすぎだ。顔が熱くなってくる。


 白羽はその猫っぽい大きな瞳をぱちぱち瞬かせたあと、いじけたように表情を曇らせた。


「いつも、みたいに……白羽って呼んでほしぃ……」


 頬をほんのり染め、不満げな上目遣いで小声の注文をしてくる。

 ……他人行儀な呼び方が、気に食わなかったのだろうか。

 思わず、自分の熱くなった顔を覆いそうになった。

 想定外ないじらしさに思いきりぶん殴られたあまり。


 かっ……可愛……っ、うちの義妹かっっっわい……。と内心悶えつつもどうにか平静を装い、どうして白羽がうちの教室に?と尋ねようとしたが、


「へぁっ? お、おまっ、なにっ、……どういう関係っ!?」


 俺の横に立っている時雨が、俺と白羽を交互に見て素っ頓狂な声を出すのが先だった。

 そりゃそうなる。至極当然の疑問だ。

 周囲からの視線も、かなり集めてしまっている。


 軽く見渡せば、誰だと不思議そうにしているクラスメイトもいれば、白羽を知っているのかカランカランッと箸を落として唖然としているクラスメイトもいる。


 い、居たたまれない……。


「どういう……、えっと……ちょ、ちょっとだけ仲いい、関係……?」

「ちょ……んえ? な、なんだそりゃ?」


 ……白羽の表現を引用したけど、俺が言うとだいぶキモいな。

 あからさまに濁した俺に、時雨は案の定訝しげな顔をした。


 白羽も周囲からの視線に耐えきれなくなったのか、居心地悪そうに顔を俯かせてしまった。

 注目を浴びてしまうことは、たぶん白羽も予想していただろう。

 それでも学年の違ううちの教室まで来たということは、なにか大切な用事があるんじゃないだろうか。


 とにかく、白羽のためにも自分のためにも、はやく人目のないところに避難するべきだ。


「白羽、とりあえず出よっか? ……時雨、ごめんだけどちょっと待っといてくれる?」

「おっ……おお……」


 釈然としていなさそうな時雨に断り、好奇の目から白羽を隠すようにしてそそくさとD組の教室をあとにした。

 廊下に出る前、満月みつきの目にはどう映っただろうと気がかりだったが、確認することはできなかった。



 ※ ※ ※



 手洗い場とトイレを通り過ぎ、人気ひとけのない階段付近で白羽と立ち止まった。


「白羽、ひとりで二年の階来るの怖くなかった? すごい注目されただろ」


 こんなに美少女なんだから、と心の中で付け足す。

 今朝、紅羽にしか興味を惹かれないとか無礼千万なことをほざいていた時雨も、間近から見る白羽の可愛さには激しくどぎまぎしている様子だった。

 その露骨な態度に少しだけ溜飲を下げたのは秘密だ。


「だ、大丈夫……っ」


 白羽は俯かせていた顔を上げ、ふるふると首を振った。

 先ほどよりも緊張が解けたようで、表情の硬さが緩和されている。


 それから、じっとほうけたように俺を見つめてくるから、不思議に思って俺も見つめ返した。


「……………………」

「……………………」


 ……なぜか妙な沈黙が訪れてしまう。

 家で話すのはもう慣れてきたけれど、学校で顔を合わせるのははじめてだからか、なんとなく照れくさくなってくる。

 制服姿も朝ちらっと見ただけだったから、真正面から向き合ってみるとなんだか新鮮だ。

 ブレザーもセーターも入学したてでまだちょっと大きいのか、手の甲まで隠れていて。

 なのにスカートは──なんか、丈が短い。


 えっ。

 短い!!


 あれっ? あ、脚見えすぎなんじゃねえのこれ!?

 女子のスカート丈とかちゃんと気にしたことなかったけど、これふつうなのか?

 階段上る時とか大丈夫か!?

 心配になったがここで声に出す勇気がなく、ヒヤヒヤしつつも意識的に視線を持ち上げ、改めて白羽と目を合わせた。


「っ、それで……、ええと、なんか俺に用事だった?」

「あっ。……あの、これ」


 白羽ははっとしたように声を上げたあと、おずおずと、なにか正方形の黒い鞄のようなものを差し出してきた。見覚えのあるランチバッグだ。

 これ……、戸棚の奥に仕舞ってた俺の弁当箱?

 後ろ手に隠していたから気づかなかった。

 驚きつつ、白羽の手からバッグを受け取った。

 しっかりと重みがある。


「陽富くん、すぐ家出ちゃったから、渡せなくて……」

「弁当……つくってくれてたの?」

「あ、つくってくれたのは、紅羽なのっ……。私は、代わりに持ってきただけ……」


 紅羽がつくってくれたのに、白羽に、俺に届けるよう頼んだってことか……?

 やきもち焼きだと言って、俺と白羽がふたりでいたのを紅羽はいやがっていたのに?


 不思議に思ったが、アドバンテージクラスのF組である紅羽の教室はここから離れた特別棟にあるのを思い出し、納得した。

 俺と同じ普通棟に教室がある、B組の白羽が持ってきてくれるほうが合理的だろう。


「そっか、届けに来てくれてありがとう。めちゃくちゃうれしい」


 ともかく、俺の分の弁当をつくってくれたのはありがたすぎる。

 手づくり弁当なんて久しぶりだし、紅羽のお手製とか絶対美味い。

 白羽にもお礼を言って笑うと、彼女は顔を赤らめつつふるふると首を振った。

 その動きに合わせてリボンが躍る。可愛い。


「あとさ、……白羽が教室来てくれた時思ったけど、今日の髪型も可愛いな。お嬢さまって感じする」


 自分の側頭部を指さして褒めると、白羽はもっと真っ赤になった。

 ゆるふわに巻かれた髪をわたわたとソフトタッチしながら、ひどく恥ずかしそうに目を泳がせている。


「ぅう……っ、ぁ、ありがとうっ……」


 ……うん。

 とんっでもなく、可愛すぎるな。


 声にして褒めることに気恥ずかしさを覚えるのは変わらないものの、白羽が相手だとそれ以上に照れてくれるから、ほほ笑ましさが勝って比較的言いやすい。

 本心しか伝えていないし。


「ひ、陽富くん、だって……、……か、かっ」

「か?」

「……か、かっこいい、制服、着てるの……っ」

「制服? ああ。ハハッ……ありがと」


 精一杯捻り出したようなお世辞に、つい苦笑が零れた。

 家ではTシャツとかスウェットとか、気の抜けきった格好しかしてないからな……。

 部屋着や寝間着も常に可愛らしく、だらしないところの一切ない義妹たちとは雲泥の差だ。


「ぜ、ぜったいっ……モテる、よね?」

「え? 俺がっ? いや全然モテないよ。モテたこともねえし」

「うそっ」

「ほんとほんと」

「だ、だって、付き合ってた幼馴染の人、いるっ……。しかも、同じクラスっ……!」


 ……教室に満月がいることに、気づいてたのか。

 スーパーでたった数分程度見ただけのはずなのに、よく顔覚えてたな。

 記憶力がよすぎないか。


「同じクラス……だけど、俺とあいつが気まずい仲なのは知ってるだろ? 話すどころか目も合わねえし、あいつにとって俺は、空気らしいから。たぶんいてもいなくても同じだと思われてるよ」


 自分で言ってて虚しくなってくるけど、事実だ。

 なにせ俺は満月にとって、もう、関係のない人間だから。

 白羽はあまり腑に落ちていなさそうな顔をしつつも、「……そっか」と静かに相槌を打った。


「じゃあっ……私、戻る」

「ん、弁当ありがとな。紅羽にもちゃんとお礼言っとくよ」


 こくっと頷き、リボンを軽やかに揺らして階段を上っていく白羽を見送る。

 髪ふわふわでうしろ姿までパーフェクトに可愛いな。

 しかしやっぱりスカートが短くて、ひらひらとプリーツが翻るたびハラハラする。

 このまま見上げていたらうっかりスカートの中が覗けてしまいそうで、すぐに顔を背けた。


 それにしても……、紅羽、まさか俺の弁当までつくってくれるとは。

 ちょっと負担かけすぎじゃないだろうか。

 感謝と申し訳なさをいだきつつ、教室に戻ろうと廊下へ引き返そうとした──ところで。



 ……俺はピシッと固まった。

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