「陽富くんのだったら、舐められるよ……?」

第23話 友人たちも拗らせている

 ※ ※ ※



 濃厚かつ衝撃的な週末を経て、月曜日になった。


 起きがけから可愛すぎる義妹たちと挨拶を交わし、紅羽くれはがつくってくれた朝食をありがたくいただき、すげえ贅沢な一日の始まりだな……としみじみ思いながら支度をして、彼女たちと登校時間が被るといけないので一足先に家を出た。


 朝の挨拶が飛び交ういつもの教室の風景が、とても久しぶりに感じられる。

 二年D組の、窓際の一番前が俺の指定席だ。

 名字が『あ』から始まるので最前列は高確率で避けられない宿命である。


「はよーっす、陽富ひとみ


 机の上に鞄を置いたタイミングで、真うしろの席でイヤフォンをつけてスマホを見つめていた大暮おおぐれ時雨しぐれが気づいて声をかけてきた。


 色白細身で端正な顔立ちをした、一見女の子を侍らせていそうな風貌の男子だ。

 しかし彼が四六時中スマホを見ているのは、女の子とのやり取りのためでは決してなく、可愛いアイドルや美人インスタグラマー、ひいてはちょいエロ露出系コスプレイヤーの情報収集に勤しんでいるためだったりする。


 そう、彼こそが『美しい女は鑑賞するに限る』とのたまう無類の美人好きであり、中学時代からの俺の友人だ。

 こう紹介するとヤバいやつのようだが、鑑賞が趣味なだけで対象には決して接触しないらしいので、健全だと思う。

 ……いや逆に不健全だろうか。


 半月前に紅羽のことを熱弁していたのも、姉と妹の裸にはなんとも思わないと言っていたのも、こいつのことである。

 ちなみに、高校デビュー。


「おはよ。なに観てんのそれ」

「メルジャムのセカンドシングルカップリング曲のMVだよ〜〜! 昨日公開されたんだけどさあマジでリサちぃが毎秒可愛すぎてやべんだよほら特にこの二分十五秒のとこの国宝級ウィンク見ろよ完璧だろっ」

「朝からよくそんな舌回んな……」


 一息で捲し立てる時雨の勢いに気圧されつつ、見せられたスマホ画面を覗き込んだ。

 ご丁寧にソロのリップシーンで一時停止中だった。ファンシーな世界観のセットの中で、華やかなアイドルメイクを施した黒髪ツインテール美少女がこちらに向かってウィンクを飛ばしている。

 時雨の数多くいる推しのうちのひとりだ。


「おー。ほんとだ可愛い」

「ああん!? そんな気の抜けた『可愛い』が許されると思ってんのかニワカがっ! 魂込めろ! 魂込めて『可愛い』と言え!!」


 同調したのに怒られた。

 これは冗談半分本気半分のやつだろう。

 この通り、時雨はあまりにも面っ倒くせえヲタクなのである。

 しかも俺は時雨からリンクを共有された時くらいしか曲を聴かないのでニワカですらないのだが、それにしたってニワカに厳しい古参ファンの厄介さたるや。


 ちなみにこいつは、ヲタクを『オタク』と表記することも忌み嫌っている。オタク表記よりヲタク表記のほうがヲタク特有の気持ち悪さをしっかり醸し出せている感じがして好印象なのだとか。あと厨二病を『中二病』と表記することも忌み以下略。マジでどうでもいいしマジで気持ち悪いと思う。

 でも、こいつのそういう独特な人間性がめちゃくちゃ面白いなと感じてしまうのも事実だ。

 あらゆる好きなことに精力的に情熱を注いでいる姿は生き生きしていて楽しそうだし、一緒にいて飽きない。


 それに──天使すぎる義妹たちと出会ってしまったいまでは、時雨の推しに対する熱い感情が、痛いほどわかってしまう瞬間がある。


「いまこうしてファンのために愛くるしい笑顔振りまいてくれるリサちぃがいつかアイドル卒業してどこぞの馬の骨と結婚して子を成すかと思うと地獄だから絶対その前に命を絶ちてえええ……っ!!」


 ……そこまではちょっと理解できない。


「熱愛報道とか出たら俺は死ぬね。その時は頼んだぞ親友」

「エッ? さらっと親友に嘱託殺人させる心積もりやめて?」

「お前しか頼めるやつがいねえんだ! 友だち他にいねえし同担拒否だから!」

「知らんわ」


 こいつ俺の人生も一緒に終わらせる気かよ。絶対やだすぎる。


「死ぬとか悲しいこと言うなよ。いまから国民的YouTuberでも目指せば、将来推しアイドルと結婚できるかもしれねえじゃん」

「な、なに言ってんだよ!? そんなことできるわけないだろっ!? 推しは鑑賞しても不干渉がキモヲタの鉄則なんだぞ! その他大勢のファンでいたいんだよ俺は!」

「……論点がおかしいよ。お前」


 拗らせヲタクめ……。

 根っからこんな調子なので、やっぱこいつキモいなあと呆れることもしょっちゅうだが。まあ、こんなのは日常的な軽口だ。

 モッサリ眼鏡ド陰キャ野郎(自称)から街中でスカウトを受けるほどのイケメンに変貌を遂げても、板についたキモヲタ根性はなかなか変えられないらしい。


 このままだと推しアイドル語りで長丁場になりそうなので、話題転換を試みることにした。

 俺の手札の中で時雨の気を引けそうな話題と言えば、やはり義妹たちのことである。

 確実に面倒なことになるから義妹ができたことは伝えないが……そういえば、こいつは、知っているんだろうか?


「あのさ、時雨。話変わるけど」

「おん?」

「……神薙かんなぎ……紅羽、さんって、きょうだいとかいんのかな? 同じ名字の子が、一年にもうひとりいるっぽいんだけど」


 我ながら白々しいなと思いつつ、あたかも小耳に挟んだくらいのノリで尋ねてみた。

 白羽しらはと紅羽は姉妹であることを隠していないと言っていた。

 でも、あれだけ似ていない上に可愛すぎる双子なら、ふたり一緒に話題になってもおかしくない気がするのだが。

 紅羽について詳しい時雨に、彼女たちはどう映っているんだろうか。


「ああ! 全然似てないけど、同学年に神薙白羽ちゃんっていう姉がいるな。その子ももちろんチェック済みだぜ。まあ俺は神薙紅羽ちゃんにしか興味惹かれんが!」

「は、なんで? 姉のほうもかなり……可愛いのに」

「うん? ……おお。でも話しかけてきたやつ睨むとか無視するとか、すっげえ冷血な子らしいんだよなあ。妹のほうが完璧すぎて卑屈になっちゃったのかね〜」

「は?」


 ……なんだ、それ。


「せっかく美人でも、性格が酷いんじゃ宝の持ち腐れだろ? 俺は自分の魅せ方わかってる、美人になるべくしてなった美人が好きなんでね!」

「……………………」


 こいつが推し以外に無礼なのは、いまに始まったことじゃない。

 他人の趣味や嗜好や思想にいまさらとやかく言うつもりもない。

 ないけど……、癇に障ったので、話している最中もスマホから目を離さない時雨を密かに睨んだ。


「……全然、そんなんじゃねえよ」

「え? なんて?」

「なんでもねえ」


 ふつふつと怒りが沸いてきて、俺はそれを隠すように前を向いた。

 宝の持ち腐れ……なわけがない。

 白羽は、全然、冷たい子なんかじゃない。

 そりゃ、人見知りで感情表現が苦手なところはあるかもしれないけど、本当は優しいし妹想いだし、狙ってやってんのかってくらいめちゃくちゃ可愛いことするし、照れ屋で愛らしい表情だって、よく見せてくれる──


「ってか、珍しいな。お前が──いでっ!」


 ふいに背後で時雨が短く鳴いた。

 また振り返ると、時雨が後頭部をさすりながら、床に転がっている消しゴムを拾うところだった。

 それから怪訝そうに周囲を見渡している。


「なんか後頭部に消しゴムの直撃きたんだが? 地味に凶器だなコレ……いってえ」

「……虐められてんの?」

「やっ!? やめろよ! モッサリ眼鏡ド陰キャ野郎だった中学時代だってそれだけは回避したんだぞ!? 陽キャどもが甲高い笑い声を上げるたびに俺のこと嘲笑ってんのかいや陽キャどもは俺みたいな日陰者のことなんかそのへんの埃としか思ってねえはずだって自分に言い聞かせ続けどうにか平静を──」

「うるっせーよド陰キャ野郎が」


 ……と、時雨の必死な早口を刺々しくぶった切ったのは、断じて俺ではない。


 いつの間にか時雨のそばに立っていた、キツめのメイクやピアスで武装した金髪ミディアムウェーブの狐目美人だ。

 腰に手を当て、威圧感のある視線を時雨に注いでいる。


 里砂りさちぃだった。


 といっても時雨の推しアイドルのことではなく、彼女はクラスメイトであり、これまた中学時代からの同級生であり──満月みつきの、友人のうちのひとりだ。

 中学時代から満月が里砂ちぃと呼んでいたので俺もそう呼んでみたらそのまま許可が下り、以来定着している。

 まあいまとなっては実際に呼ぶことは滅多にないが。


 少し離れた席で満月と、もうひとりの友人の堀池ほりいけさんと三人で談笑していたはずだが、時雨が騒がしすぎたらしい。


「お……おま、お前かっ!? 俺に消しゴム投げやがったの!」

「はあ? んなしょーもねーことするかよ。お前みたいなド陰キャ素手で殴るわ」

「やめろよ! な、殴るとか酷いこと言うな! あと俺はもうド陰キャではねえっ、ただの陰キャだっ、それに少なくとも見た目はどちらかと言えば陽キャ寄りだ!」

「うるっせ! 陽キャだの陰キャだの騒いでんのは結局陰キャだけなんだよ、このド陰キャ野郎がっ!」

「おおお前だってめちゃくちゃ言ってんじゃねえか! 俺より言ってんじゃねえか!!」


 犬も食わない……というか、見るに堪えない喧嘩がまた始まった。

 横で聞かされる立場としてはげんなりする。


「……見るに堪えない喧嘩がまた始まったねー」

「ね~」


 俺の感想と同じ台詞を口にしたのは、ふたりの口論を眺めながらポッキーを食べている満月だった。

 もちろん俺に言ったのではなく、傍らにいる堀池さんと苦笑し合っている。

 ……ここで俺と目が合っても、同じように苦笑し合ってくれるはずがないので、そっと視線を逸らす。


「無理して見てくれだけ良くしたってなあ、お前の本質がきめえのは変わんねーんだよっ!」

「お、お前が口出しすることじゃねえだろ!? 俺がデビューしたこといつまで気にしてんだよ!」

「…………っお前なんか気にしてねーわ、ばあーっか!!」


 時雨と里砂ちぃは、見ての通り犬猿の仲だ。

 ふたりは小学校からの付き合いらしく、高校入学を機に急激に垢抜けた時雨が、里砂ちぃはどうも気に食わないらしい。

 ……彼女も金髪に染めたのは近いタイミングだったというのに。

 ちなみに、その当時──時雨は金髪の韓国アイドルを激推ししていた。


 つまりは、一方が片想いを拗らせた結果、なのだろうと睨んでいる。

 ……が、それでも言葉を交わせるだけ羨ましいと思ってしまう俺は、末期なのかもしれない。


 それからホームルームぎりぎりまで、もはや日常茶飯事と化した彼らのしょうもなさすぎる口論は続くのだった。

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