第20話 末妹は性教育を乞う
「っあ、いや、いまのはセクハラのつもりで言ったんじゃないからな!? 経験じゃなく知識的な話だから!」
って、これもセクハラか!?
いや、つーか、冷静に考えたら寝込み襲おうとしてきた子にそんなこと気にしてるのも可笑しな話じゃないのか。なんなら俺がセクハラされた立場なわけだし。
……妹からセクハラ受ける兄って、いまさらながら威厳も尊厳もありゃしねえな。
「仰る通り、わたしは男の人のことを、よくわかっていなくて……。でも、女の子は無垢なほうがポイントは高いと、たしか恋愛指南書に」
「お、お前なあ……! 勉強熱心なのはいいけど、本とかよく知りもしないやつの話とか、そのまま鵜呑みにするなよ。マジで」
なんかもう、行動が恋愛初心者すぎるというか、なんというか……。
「では、わたしはどうやって男の人のことを知れば……?」
「んんん……。もういろんな意味で怖すぎるから、できれば男に関わんのもやめてほしいくらい……いや無理なのはわかってるけど……。でもせめて、意味わかんないこと言ってくるやつの話には聞く耳持たないでほしい。『襲われたい』とか、思うだけじゃなく本人に言うようなやつは、同じ男の俺からしてもヤバいから」
なんて、ふつうに考えればわかるはずだが、この子はまったくふつうじゃない。いろんな意味で。
だからここは──自他ともに認める平々凡々な義兄の俺が、一役買ってやるしかないだろう。
「知りたいことがあるなら……、俺が、責任持って全部教えてやるから」
腕を組み、ものすごく悩みつつも、そう解決策を出した。
責任重大ではあるが、どこぞの馬の骨におかしな知識を吹き込まれるよりは断然マシだろう。
平々凡々な俺は少なくとも一般的な倫理観は身に着けているはずなので。
すると、
「つまり、他の男には関わるな、俺の言うことだけ聞いて生きろ、と……。なんだかちょっと強引で、独占欲みたいですね。きゅんとしちゃいます」
「なっ、ちげえわ!」
どういう思考回路してんだ!!
「そうじゃなくて、紅羽が間違った道に突き進んじゃうと思うとヒヤヒヤするんだよ! さっきだって本気で生きた心地しなかったんだからな? 自分の身体はもっと大切にしてもらわないと困るし、付け焼き刃な知識だけで強行突破しようとしちゃったことちゃんと反省してください!?」
心持ち強めに叱ると、紅羽は瞳を丸くしたあと、顎に指を添えて真面目な表情で考え込んだ。
それからしゅんとした顔をつくって俺を見上げてくる。
「おにぃちゃんは、わたしに襲われて……少しもうれしくありませんでしたか?」
「……………………」
正直、まったく、うれしいとか考える余裕がなかった。
それどころか身の危険を感じて終始怖すぎた。
……と言うと、さすがに彼女の自尊心を傷つけてしまいそうだ。それは本意じゃない。
「……紅羽みたいな可愛い女の子から迫られてうれしい男だって、そりゃまあ……いるだろうことは否定しねえけど。でも、そういうのは基本的には信頼関係がしっかり築けていて、なおかつ性的嗜好をきっちり把握できていて、なおかつちゃんと好き合っている必要があると思う。少なくとも、俺はそうだよ」
たぶん、女性が思っているより、男とは非現実的で突飛な妄想を得意とする生きものだ。その手の妄想ならなおさら。それは否定しない。できない。
けどそれを実現するには、一緒に踏まなければいけない大切な段階がいくつもあるのだ。
過去の俺も、そのうちの最序盤の一段を──いや、もしかしたら何段も飛ばしてしまって、……そして案の定、踏み外してしまった。
「……そう、ですよね。ごめんなさい……」
理解してくれたようで、紅羽は改めて謝ってくれた。
「うん。あと、人の飲みものに眠剤とか入れんのも言語道断だからな?」
「は、はい……。本当にごめんなさい」
「もう俺の口にするものに妙なの混ぜるの禁止な。ダメ。ゼッタイ。」
「はい……。失った信用を取り戻したいので、もうしません……」
ひたすら恐縮している。なんかもうこちらが申し訳なくなってくるほどだ。
根が悪い子じゃないのはわかるし……こう言ってくれているなら、信用してもいいだろう。
……いい、よな? さすがにもう大丈夫だよな?
「どうやらわたしは、おにぃちゃんと
「うん……うーんっ? まあそう……なんだけど、いや、でも付き合うのは絶対ない、んだけども…………」
「うぅっ、遠慮がちに言い切らないでくださいよっ。未来はわからないって言ったじゃないですか」
紅羽は不貞腐れた様子で、頬を膨らませた。
こんなふうに感情表現豊かで、男心をくすぐるのがめちゃくちゃ上手くて、気持ちをストレートに伝えてくれる。
客観的にも主観的にも、マジで可愛いな、と思う。
引く手数多だろうなと心底納得する。
でも。
「未来は、わかんないかもしれないけど……。俺としては、極力ふたりのことを性的な目では見たくないし、……ずっと一緒に過ごしていれば、いずれは馴染んでくるものだと思ってるから」
俺はこの子をただの異性として、見たくない。
恋愛対象ではなく、妹として、特別な立場にいてほしい。
姉も妹もいる友人は、身内の裸を見てもなんとも感じないと豪語していた。
現実では、そういうものなのだと思う。べつに裸を見るつもりはないが、それくらい気楽な関係で、あれたらいいと思う。
たとえ──俺たちの間に、血の繋がりがなくても。
「俺は、兄貴だから。紅羽と付き合うことは、できないけど……紅羽の一番近くにいる、信頼できる男の家族にはなりたいんだよ」
これが、いま俺が紅羽に渡せる、嘘偽りのない気持ちだ。
何度も断るのはこちらとしても心苦しすぎるが、答えが変わることはない。
「……………………」
紅羽はなにも言わず、顔を深く伏せてしまった。
お互い無言の時間が流れる。
……伝わってくれた、だろうか。
納得、してくれるだろうか。
非常に心臓に悪い沈黙だ。
長いのか短いのかわからない時間が、過ぎ去ったのち。
「本当に、わたしを──わたしたちを、恋愛対象として見る気は、ないんですか?」
紅羽は顔を上げることなく、感情の読めない声でそう問いかけてきた。
「……うん。ないよ。家族だから」
紅羽のことだけでなく、……もちろん、白羽のことも。
あくまで妹として、家族として、俺は彼女たちを大切にしたいと思っている。
その気持ちが、揺らぐことはない。
「……、そう……ですか。……わかりました」
紅羽は小さな声で呟きを落とすと、少し切なげな──それでいて穏やかなほほ笑みを見せ、座布団から音もたてずに立ち上がった。
わかりました……?
……え、引き下がってくれるの?
「えっと、それは、諦めてくれる……ってこと?」
「諦める? いえ、おにぃちゃんの考え方に理解を示しただけです。……この恋をいま諦めることなんて、できませんから」
ほほ笑んだままはっきりと言い切られ、返す言葉が見つからなかった。
俺にできるのは、受け取れないと答えることだけだ。諦めるかどうかは当人の自由であって、当事者であっても口を出せることじゃない。そう思ったから。
「パーカー、ありがとうございました」
自分の着ていたパーカーを丁寧に畳み、俺に返してくる。
それから麻縄とテーブルに置いていた二つのマグカップを回収し、ドアの手前まで行ったところで、紅羽はぴたりと立ち止まった。
どうしたのかと不思議に思っていると、長い髪を揺らし、こちらをくるりと振り返ってみせる。
さっきとは打って変わり、完璧すぎるほどの──満面の、笑みで。
「これからは、男の人について独学するのはやめにします。……だって、おにぃちゃんが責任を持ってわたしに性教育を施してくれるんでしょう?」
「…………はっ!?」
「知らないことがたくさんなので、男の人のことは隅々まで全部ぜーんぶ、手取り足取り教えてくださいね、おにぃちゃんっ」
いや、言い方!!
「それではおやすみなさいっ」
最後に悪戯っ子のような可愛すぎる笑顔と語弊しか生まない発言を残し、紅羽は部屋から出ていった。まるで嵐だ。
「お……、おやすみ……」
すでに閉じられたドアに向かって挨拶しつつ、俺は呆然とするしかない。
もしかして、俺は、ヤバい役を買って出てしまったんだろうか。
い、いや、兄として真っ当なこと言っただけ……だよな?
紅羽がただの悪戯心で、おかしな言い回しをしただけだよな……!?
「……ほんとにちゃんと、わかってくれてんのかな、あの子……」
掴めない義妹の言動に、いまいち不安感を拭えないまま。
彼女たちの隠しごとにもまだ、気づけないまま。
────濃すぎる激動の共同生活一日目は、こうして、ようやく幕を閉じるのだった。
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