第16話 末妹はやきもちを焼く

 その無機質な人形を思わせる顔つきに、ドクリと心臓が不穏な音を立てた。

 美人の真顔は迫力があるというが、いつも柔らかな空気を纏う彼女の無表情は、殊更かなりの不安を煽られる。


「く、紅羽くれはっ、ちょうどいいとこに……。白羽しらは、疲れてるみたいで眠っちゃったんだよ」

「……………………」


 問いにはあえて答えず(答えられなかったとも言う)、事情を話すも、紅羽のポーカーフェイスは崩れない。

 な、なんかこれ……もしかしなくとも誤解されてる?

 いや、さっきのことを振り返ると、誤解とも言い切れないかもしれないのだが……!!


「ふたりの寝室に連れてってやりたいんだけど……いいかな?」


 冷や汗を感じ、顔色を窺いながら確認すると、紅羽は目を閉じてしばし沈黙を続けた後──むうっと頬を膨らませた。

 無だった表情が一気に動き、密かにほっとする。

 紅羽は膨れっ面のままこちらへ歩み寄ってきて、そして寄越せと言わんばかりに白羽に向けて両手を広げてみせた。


「白羽姉さんはわたしが連れていきます」

「え、ああ。大丈夫? 俺が抱っこしたほうが……」

「だめですっ」


 白羽が眠っているから声量は控えめだが、らしくなくむきになった口調だった。

 思わず面食らった俺に、紅羽ははっとしたあと、……ほのかに頬を赤らめてそっと俯いた。


「……やきもち焼き、なんです。わたし……」


 こんなに近くにいるのに、危うく聞き取れないくらいか細く、拗ねたような声だった。

 彼女の前髪で隠れたその視線の先に、どきりと──いや、ざわりと、胸のあたりが微かにざわつく。

 可愛らしすぎる発言なのだが、ここで額面通り受け取って、素直にときめいてしまって本当にいいのかと、理性が警鐘を鳴らしている。


「とにかく、わたしに任せてください」


 紅羽は気を取り直したようにそう笑った。

 俺と白羽の隙間に手を差し込み、姉の小さな体を自身の両腕に引き受ける。

 その際、白羽の肩にかけていた俺のパーカーは剥がれてベッドの上にすとんと落ちてしまった。


 ひょいと軽々いわゆるお姫さま抱っこをし、紅羽は白羽の穏やかな寝顔を見て、優しく目を細める。

 ちょっと心配していたが、本当に任せて大丈夫そうだ。

 白羽を抱いたまま部屋を出て廊下を歩いていく紅羽に、俺も躊躇いつつうしろから続いた。


「白羽姉さん、いつも夜ベッドに入ると、五秒も経たないうちに眠っちゃうんです。今日はすごく疲れちゃったみたいで、ベッドまでもたなかったんでしょうね。まだハーブティーも淹れてないし、ストレッチもしてないのになぁ……」


 ……白羽の寝つきの良さにもびっくりだけど、どうやら彼女らには就寝前にもルーティーンが存在するらしい。ほんとすごい。


 二階の部屋割は、階段のすぐそばに姉妹の勉強部屋、その横に姉妹の寝室、そして突き当たりに俺の部屋という並びだ。

 本来なら突き当たりに姉妹の部屋があるほうが好ましいのだろうが、長年ここを使っているし、さすがに部屋ごと交換というのは難しい。


 紅羽は寝室の真ん中に置かれた広いベッドに眠る白羽をそっと横たえた。

 眠る彼女の前髪を指先で丁寧に整える、末妹の横顔を、俺は部屋の手前から眺めた。


「……なあ、紅羽」


 白羽がちゃんと熟睡しているのを確認してから、抑えた声で紅羽に呼びかけた。


 騙し騙しで先延ばしにするよりは、いまのうちに決着をつけておいたほうがいい気がした。


「昨日の、返事……、してもいいかな」

「……………………」


 紅羽が音もなくこちらを振り返る、のがわかった。

 廊下も室内も電気を点けていないから、表情が見えづらい。窓から差し込む月明かりだけが、彼女の華奢な輪郭を浮き彫りにしている。

 白銀の細く長い髪が神秘的に透けて、彼女がいまにも夜闇に溶けそうに目に映った。

 真っ白なネグリジェも相まって、さながら真夜中に現れた天使だ。


「おにぃちゃん」


 闇を纏う天使は柔くほほ笑み、緩慢な動きで口元に細い人差し指を添えた。

 白羽が眠っているから静かに──ということだろうか。

 それとも、白羽がいる場所で、そんな話をするな──という制止だろうか。


「……お湯が冷めてしまう前に、先にお風呂に入られては? あたたかい飲み物を淹れますので、寝る前にふたりでお話ししましょう。……ね?」


 紅羽の静かな提案は、暗に有無を言わせない響きを孕んでいた。

 俺は彼女の姿に意識を奪われながら、ほぼ無意識に「……わかった」と頷いていた。



 ※ ※ ※



 シャワーで汗を洗い流し、十五分ほどで風呂から上がった。

 短い髪を数分で乾かしてリビングに行くと、紅羽がキッチンで飲み物の準備をしていた。

 ネグリジェの上に薄いカーディガンを羽織っているその姿も、どこか人間離れした超越的な雰囲気を感じる。

 そんなふうに考えながら眺めていると、マグをふたつ手に持った紅羽が、「おにぃちゃんの部屋で話しましょう」とにこやかに申し出た。


「え、俺の部屋? ここじゃだめなの?」


 反射的に少しだけ警戒してしまった。

 そんな俺の態度に紅羽は機嫌を損ねたようで、またあからさまにむーっとした顔を見せた。


「白羽姉さんとは、おにぃちゃんの部屋で話してたじゃないですか。ふたりきりで、それも、すっごく近い距離でっ」

「うぐ……。わかった、じゃあ、そうしよう」


 白羽の前例を出されてしまえば拒否することも難しい。

 天使すぎる義妹は怒り方もたいへん可愛らしいのだが、そうも言っていられないようだ。

 俺と白羽がふたりきりで話していたことは、よほど彼女にとって快くないものだったらしい。

 打ち解けるためにふたりでスーパーに行くことは紅羽から提案してくれたのに、今回のことは話が別なのか……。

 乙女心(?)というのは難しいなと思いつつ、さっさと階段を上っていく紅羽に続き、俺の部屋へ向かった。


 紅羽は遠慮なく室内に入るなり、当然のようにベッドの上にぽすんと腰を下ろした。


「お隣、どうぞ。おにぃちゃんっ」

「……ハイ」


 またもや有無を言わせぬ、眩しいほどの笑顔で促される。

 注意したところでなんと返されるかはもうわかっているので、仕方なく俺もその隣に、しっかり間隔を空けて座った。

 従った俺に紅羽はマグの片方を差し出し、満足そうに笑みを浮かべた。

 ことごとく似ていない姉妹なのに、こういう時は非常にそっくりな顔をする。


「ん? これ、ミルクティー?」


 受け取ったマグの中の、淡く薄茶けたミルクのような飲み物に視線を落とした。


「アシュワガンダのブレンドティーを使った、ムーンミルクですよ」

「あしゅわ……? はじめて聞いた」

「インドの伝統療法で使われているハーブなんです。日本ではセキトメホオズキといって、効能もたくさんあるんですよ。おにぃちゃん、ホオズキの花言葉をご存知ですか?」

「花言葉? いや、そういうのは全然知らないかな……」


 紅羽は「そうですか」とただほほ笑んだ。

 教えてくれるわけではないらしい。


「アシュワガンダは単体だと香りが独特なのでブレンドのものを買っているんですが、ちょっと苦みもあるので、スパイスや蜂蜜でマスクしています」

「へええ……。なんか、すごく手が込んでる飲み物なんだな」

「ふふっ。ちなみに、愛情もたくさん込めてますよ?」

「……そ、そっか。ありがとう」


 愛らしく笑って小首を傾げた紅羽に、どぎまぎしつつ「いただきます」と一口飲んでみた。

 たしかに少し苦みを感じるが、ミルクや蜂蜜で上手く中和されているからマイルドで飲みやすい。嗜好品として楽しむ飲み物というには、体に効きそうな風味だ。

 紅羽お手製のムーンミルクをゆっくり味わって時間を稼ぎながら俺は、さてどう切り出すべきか──と熟考し、



「────おにぃちゃんは、童貞じゃないんですね」



「んぐっ……!? ゲホッ、ゴホッ」


 盛大にせた。

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