第9話 幼馴染はもう関係ない
このスタンプ、白羽が送ってきたの? マジで?
なんつう破壊力だ……。
なにがあっても守りたいなどと軽率に考えてしまうくらいには、なんかもう、可愛くて堪らない。
よろしくお願いしたいのは、こちらのほうだ。
とにかく、めちゃくちゃ大切にしてやりたい……。もちろんもともと丁重に接するつもりで義妹たちを迎えたのだが、もう、程度が違う。
知っているようで知らない感情だった。
もしかすると、これが、妹を持つ兄の気持ちなのかもしれない。
義兄になって一日目ではやくも実感してしまった。
こんな子たちの兄貴になれるって、改めてかなり稀有で恵まれた体験だと思う。
悶えをどうにかおさめ、こちらこそ、という文言に笑顔の絵文字を添えて白羽に返した。
その後リストを開き直して指定された食材をカゴに放り込んでいると、板チョコ(ミルク)の文字を見つけて、お菓子コーナーへ足を運んだ。
商品棚を物色している最中──駄菓子ゾーンのある商品がふと視界に入り、歩を止めた。
「……………………」
……スーパーを利用しないのなら、おそらく駄菓子なんかにも馴染みがないだろう。
俺や、幼馴染にとっては昔から慣れ親しんだラインナップだが、ふたりはともすると見たことすらないんじゃなかろうか。
そんなふうに、義妹たちのことを考える──フリをして。
俺の手は無意識に、……幼馴染の好物だったその駄菓子へと、伸びていた。
その手が、ちょうど横から同じ商品を取ろうと伸びてきた手と、軽くぶつかる。
「……あ。すみませ──」
手を引っ込め、いつの間にか隣に立っていた客のほうへ顔を向けた──直後に、声が途切れた。
彼女は手を伸ばしたまま、状況整理がまるで追いついていないように目を丸くさせて俺を凝視していた。
……俺も同じような、愕然とした顔を浮かべていると思う。
こんなに近くに彼女が居るのは、一体いつぶりだろう。
中二までは軽いショートカットだったが、いまでは胸元まで伸ばされた、少しくせっ毛の生まれつき明るめの茶髪。
意志の強そうな……というか実際に意志の強い、まっすぐに俺を射抜いてくる大きな瞳。
昔ほど豪快には笑わなくなったその艶やかな薄桃色の唇から、
「ひと、……」
自然に紡がれそうで、不自然に消え失せてしまった、俺の名前。
これまでの人生において、家族以外で俺の名前を呼んだ回数が一番多いのは、他でもないその凛とした声のはずなのに。
……なのに、こんなに近くから彼女と目を合わせたのは本当に、一体いつぶりだろう。
幼い頃から数え切れないくらい一緒に駄菓子を食べた記憶がある、しかしそんな機会はもう今後訪れないであろう──現在進行形で気まずい距離の幼馴染が、制服姿でそこに立っていた。
「……………………」
「……………………」
だが、なぜ制服姿なのか疑問に思う余裕もいまの俺にはなかった。
身体が強張り、足が床に根を張る。
繰り出す言葉が見つからない。いや、違う。俺から彼女に差し出せる言葉なんて、いまでも謝罪しか見つからない。
振り回してしまって、ごめん。
あの時──俺の彼女になってほしいなんて言って、ごめんと。
……それはもう何度も口にして伝えてきた台詞で、そして、いまでは伝えることすら憚られるほど、俺たちの距離は広がってしまっている。
結果としてなにも言えず、ただ沈黙するふたりの間に気まずい空気だけが充満して息苦しさを感じはじめた時──トンッと、背中の下部あたりに軽い衝撃を受けた。
驚いて振り返ると、白羽が俺に抱き着いていた。……厳密に言えば、俺の服を弱い力で掴んでひしっと身を寄せてきている。
表情は固まっていてわかりづらいが、顔が真っ青だ。
「白羽っ? ……どしたの」
「そ、そこにっ、同じ制服の男の人、いて。たぶん、生徒会長……」
思いもよらない人物の役名に、えっと声が漏れる。
「目が合って怖くなって、逃げてきた……っ」
そう話す白羽の手は、かすかに震えていた。
義妹たちに対して庇護欲が高まっていたせいで『おおお怖かったなあよしよし!!』と頭を撫でてやりたい衝動に駆られるが、怖がっている白羽にさらなる恐怖を与えてしまうだけだろうからぐっと強く強く耐える。
入学してまだ間もないが、すでに白羽は生徒会長が苦手らしい。
かくいう俺も、あの人物に銀縁眼鏡越しの切れ長の瞳を向けられると蛇に睨まれた蛙みたいになるから、白羽が逃げたくなってしまう気持ちもわかる。
なにを隠そう、うちの高校きってのエリート生徒会長さまは、清廉潔白、威風堂々──そんな気高い言葉が誰よりも似合う人格者だ。
確固たる己を持ち、常に自信に満ち溢れていて、教師相手でも面と向かって欠点や改善点を指摘できる。後ろ暗いことのある人間にとっては威圧感を覚えるほど崇高な存在で、とにかく、同級生とは思えない風格を持っているのだ。個人的には集会での爽やかな笑顔すら怖い。
こんな業務スーパーの中にそんな生徒会長さまの姿を見かけるなんて、想像するだけで街中を闊歩するライオンを目にした時くらいに胃がキュッと収縮する。
「……
温度の低い声をぶつけられ、白羽がびくりと肩を震わせた。
俺は声の主である幼馴染の彼女を見やり、……ああそうか、と納得する。
「……会長と、一緒に来たんだな」
心臓の音が鈍くなるのを感じながら、確信してぽつりと声を落とした。
いや、声に出すつもりはなかったのに、無意識に呟いてしまっていた。
生徒会長が居るのが珍しいだけで、このスーパーは高校からも徒歩圏内にあるので、同じ制服の生徒の姿はたまに見る。無論、家の近い彼女もよく利用している場所だ。
おそらく、土曜日も生徒会の活動をしていて、そして買い出しかなにかでここにふたりで来たんだろう。
言うに及ばず、幼馴染の彼女も、生徒会に所属するひとりだ。しかも生徒会役員は通例では特進科の生徒から構成される中、特例で唯一普通科から選抜された。
そもそも彼女は一年生の頃、特進コースであるアドバンテージクラスに身を置いていたにも拘らず、二年生で普通科へと進路を変えたのだ。
あまつさえいまは俺と同じクラスだ。
一年ほど前の俺からすればこの上なく幸せなことだが──現状では、ただただばつの悪い苦い気持ちに苛まれるばかりだ。
「だったら……なによ。あたしが誰といようが、もうなんの関係もないでしょ」
彼女は予想どおり素っ気ないもの言いをし、それから俺のそばにいる白羽を一瞥した。
目が合った白羽は、表情はあまり変わらないものの、怯えたように俺の影に隠れる。
その様子を見て、……彼女は、凍てつくような眼差しで俺を睨みつけた。しかし、ふいっとすぐに視線を逸らしてしまう。
「そっちだって……、新しい彼女、つくってるくせに。……それももう、あたしにはなんの関係もないけど」
「っ、
この子は彼女じゃなくて、義妹なんだよ。母さんが再婚したから。
とっさにそう説明しようとしたが──、名前を呼んだ瞬間、その冷めた瞳が束の間だけ揺れたのを目にして、息が詰まった。
いや、気のせいかもしれない。
俺の願望が見せた、ただの都合のいい幻覚かもしれない。
たとえそうだとしても、あるいはそうじゃなかったとしても、それでも目の前の彼女はこう吐き捨てるんだろう。
もう、関係ないと。
「──っせんぱ……、おにい、……ひ、
胸の内で波打つ感情に意識を呑まれそうになった時。
すぐそばから震えながらもしっかり聞こえる声で、名前を呼ばれた。
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