第7話 末妹はいつでも可愛すぎる

「………………っ」


 果たしてそれも、安心していいものなのか──と思いつつ、また、否応なしに脈が上がってしまう。

 このままでは、いけない気がする。非常に、いけない。


 告白してくれた美少女が義妹になるとかどんなジェットコースターラブコメだよ~とか能天気なことを考えてはいたが、俺は、少なくともいまのところは、恋愛とかする気がない。

 ……それでなくとも、俺たちはこれから、家族として一緒に住むのだから。


「……、紅羽くれは──」

「じゃあわたし荷解きしてきますねっ」

「えっ」


 ちゃんと自分の意思を伝えておいたほうがいいと思い、ぐっと拳を握りしめて名前を呼んだ──直後、ぱたぱたと俺の側を通って階段をのぼっていってしまう紅羽。


「く、紅羽っ」

「はいっ?」


 慌てて階段の真下から引き留めたが、途中で立ち止まった紅羽は振り返り、


「どうしました、おにぃちゃん?」


 花の蕾が綻ぶように柔らかに、愛らしく笑いかけてくる。

 そ……そんな一点の曇りもない笑顔向けられたら、お前の気持ちは受け取れないとかとても言えねえ……!


「……て、手伝おっか!」


 日和った俺は、とっさに荷解きの協力を申し出た。


「ほら、重い家具とか、組み立てとか、男手必要じゃない?」

「うーん、でも、ベッドの組み立ては業者さんにしていただきましたし……。こう見えてわたし力がありますし、白羽しらは姉さんもいるので、大丈夫ですよ?」

「そっ……か……」


 断られてしまうと完全に手持ち無沙汰だ。

 兄としてできることはなんでもしたい所存なのだが。白羽の時といい、空回ってばかりだな……と肩を落とした。

 そんな俺を見かねたように、紅羽は一度のぼった階段をまた下りて、こちらへ引き返してくる。


「……もうっ、察してくださいよ」


 俺の顔を下から覗き込むように顔を傾けて、ほのかに頬を朱に染めつつ、どこか不満げに唇を尖らせる紅羽。


「女の子にだって、男の人に見られると恥ずかしいモノや、知られたくないコトがあるんですからね?」

「あ……」


 ……盲点だった。


 いや、そういうことはふつうに思い至っておくべきだっただろ、俺! これじゃデリカシー皆無な兄貴じゃねえか。

 実兄なら生まれた頃から知っている妹との距離感を間違うのは仕方ないかもしれないが、そうでない義兄ではアウトだ。


「そっか、たしかにそうだよな、悪い。……あ、じゃあせめて、昼飯買ってこようと思うんだけど、なに食べたいとかある?」

「……えっ? おにぃちゃん、おうちを留守にするんですか?」

「な、なんか問題あるかな? 鍵は掛けて外出するけど。もちろん内側からも掛かるし」

「あ、いえ、……一応、わたしたちは余所者ですし……。おうちの心配とか、されないのかと」


 躊躇いがちにそう話す紅羽のほうが、よほど心配げな表情を浮かべていた。

 不用心だ、とでも言いたいのだろうか。……そうだとしたら、随分おかしなことを言う。


「余所者とか……悲しくなること言うなよ。俺たちはこれから家族になるんだから。この家はもう、ふたりの家でもあるだろ」


 至極当然のことを言って聞かせた。のに、紅羽は思いもよらない発言を聞いたみたいに、少し瞳を見開かせた。

 ……すんなり俺を兄として呼んでくれたわりには、まだ、彼女の中の認識もあまり変わってはいなかったようだ。


「てか、母さんたち入籍済みらしいから、戸籍上はもうすでに家族なんだよな。これから一緒に生活していく家族のこと、疑ったりするわけないからな? ふたりとも悪事をはたらくような非常識な人間には見えねえし」


 もちろん俺としても、すぐに切り替えることは難しい。

 なにせ妹ができると伝えられたのはつい昨夜のことだし、兄としての振る舞いがまったくわかっておらず接し方もぎこちなくなる。


 でも俺はもう、彼女たちのことを他人として見ていない。

 いまはまだ肩書きだけが先行している状態だが、白羽しらはにも伝えた通り、これからちゃんと、名実ともに家族になれたらと思っている。


 ──『陽富ひとみ、父さんはな。なにがあっても家族を守れる男でいたいんだよ』


 あの頃の父さんの言葉は、いまでも俺の脳髄の深い部分に存在しているから。

 ……俺も、できればそんな男であれたらと、思っている。



「……本当に素敵な、育ち方をされたんですね」


 紅羽は静かに視線を床に落とし、唇の端を歪ませるようにしてほんのわずかにほほ笑んだ。

 つくられたのはたしかに笑った顔のはずなのに、それはひどく憂いの帯びた表情に映った。

 なにを憂いているのか、俺には、はっきりとはわからない。


「紅羽?」


 俺を意識の外に飛ばしている様子の紅羽に声をかけると、彼女ははっと顔を上げた。それから取り繕うように改めてちゃんと笑ってみせる。

 その切り替わりようはまるで、厚い仮面を装着したみたいに見えた。


「いえっ、なんだか、うれしいなぁ……と思って! わたしにとっての家族は、ずっと……白羽姉さんひとりしかいませんでしたから」

「……そっか」

「だから、ありがとうございますっ」


 笑顔でなぜかお礼を言う紅羽に、うん、とこちらも軽く笑って返しつつも、内心引っかかった。


 紅羽にとっての家族はずっと、白羽ひとりしかいなかった。

 ……つまり、父親のことは家族として、カウントしていないということだ。


 まあ、無理もないと思う。血が繋がっているとしても、何年も顔を合わせていない相手との深まった溝は簡単には埋められないものだろう。

 だからこそ父親のほうも、娘たちといまさら会いづらいのかもしれない。

 だからって自分の再婚の報告まで秘書に任せるのはマジでどうかと思うが。


 おそらく事情があるんだろうが、さっさと会いに来て謝れよ──と思わないこともない、が。

 ……かくいう俺も人のことを言えない大失態をしでかした過去があり、現在進行形で気まずい距離の相手がいるので、センポウさんに強い悪態はつけない。


「それじゃあおにぃちゃん、買い出しお願いしますっ。ただし、お昼ご飯はわたしが作りますので、食材を買ってきてくれますか? それと、買い出しは白羽姉さんと一緒に行ってください。呼んできますので!」

「えっ」


 予期せぬ指令ににわかに緊張が奔った。

 そんな俺に、紅羽は肩をすくめて意味ありげな笑みを浮かべた。


 どうやら、白羽と上手くコミュニケーションをとれていない俺を気遣って、チャンスをくれているらしい。

 はじめて足を踏み入れる環境でも気後れせず、むしろ俺にまで気を回してくれて、やはり高一とは思えないほどとてもしっかりしている。

 ……ように見えて、なんとなく危うい雰囲気を纏っているふうにも、感じる。


 が……、ひとつはっきり言えることは。


「白羽姉さんにたっくさんおにぃちゃんアピールして、兄として認めてもらえるように頑張ってくださいっ。ふぁいとっ! ですよっ!」


 小さな両手でガッツポーズをつくり、声を弾ませて満面の笑みで応援してくれる紅羽に、つくづく思う。


 ……やっぱり、やることなすこと本気で可愛すぎるな、この子。

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