第6話 長妹は本気で拒絶する

 思いきってそう尋ねようとしたが、


「ぁ、はっ、──話し、かけないでくださいっ!!」


 それは怯えた白羽しらはの全力拒絶によって、勢いよく遮られた。


「エッ」


 まさかそんな声を張り上げられるとは思わず、狼狽した俺は反射的にバッと両手を上げて降参ポーズをとってしまう。

 すると白羽は、焦った俺の姿を見て、はっと口元を覆い顔色を悪くさせた。


「あ……っ、ぅ……」


 初対面に等しい……が、さすがに彼女の様子を見ているとわかってくる。

 白羽は、傍目からはクールに見えるがその実とても口下手で、そしておそらく、後から自分を責めてしまうタイプの女の子、なんじゃないだろうか。


「あ、ごめんなっ!? ふたりになった途端に馴れ馴れしくされたらそりゃあ怖いよな……!」


 義理でも兄貴なら、初日から義妹に罪悪感を植え付けるのは違うだろうと、あまり深刻になりすぎない口調を意識してこちらから謝った。

 両手を上げたままソファーの背もたれに接するくらい深く座って、わかりやすく安全ですよアピールしてみる。


「……っ、ち、ちがうっ……!!」


 すると白羽は慌てたように、ふるふると首を横に振った。


「言葉、まちがえっ……どきどき、しすぎてっ。……き、緊張、しててっ……! 上手く話せない、から……。っ、ご、ごめんなさ、い」


 若干涙目になって、たどたどしくも懸命に弁明してくれる白羽。

 嫌悪されている……というわけではどうやらなさそうで、ほっと安堵した。


「いや……うん、そうだよな。緊張するのは当然だと思う。知らない男の家だもんな」

「っ……し、知らなくはっ、……ない……」

「え?」


 小さくくぐもった声に聞き返すと、「……ぃぇ」と今度は弱く首を振られた。

 まあ……いっか。


 反射的にこちらもビビってしまったけど、白羽が警戒するのは、なにもおかしなことじゃないと思う。

 紅羽くれはの順応力が段違いすぎるのであって、ふつうはそんなすぐに心を開けないものだろう。


 昨夜、俺は母さんから、義妹となる双子姉妹の基本情報だけではなく、家庭事情のほうも軽くだが聞き出していた。

 いまでは『放っておけなくてね』と零していた母さんの気持ちが、俺にもわかる。


 彼女らは、父親ともう何年も会っていない上に、母親もかなり前からいないそうだ。

 中学に上がってからは、家政婦も断って、マンションの広い部屋で三年間ふたりきりの生活を送ってきたらしい。

 おそらく無条件で頼れる存在は、ずっとお互いしかいなかったんだろう。

 そんな中、血の繋がらない兄貴といきなり一緒に住めなんて言われても、おいそれと馴染めるものではないはずだ。


 だから────そんな彼女たちの支えに、なれたらいいと心から思った。



「白羽」


 怯えさせないように優しめに名前を呼ぶと、白羽は少し身体を強張らせつつ、俺を見た。


「いますぐは、無理かもしれないけど。俺は……これからゆっくり、ちょっとずつ白羽と紅羽と、家族になっていけたらいいなと思ってるよ」

「っ……」


 環境が同じだとか、似ているとかは、決して言わない。

 ……けれど彼女らの事情を聞いた時、どうしても、幼い頃のことを思い出してしまったから。


 これは俺の、父さんがいなくなって間もなくの頃の記憶だ。

 小学四年生の夏休み期間中に、タイミング悪く母さんの長期出張が入ってしまい、この広すぎる家で独りきりで過ごしたことがあった。

 親子ふたりになってしまったばかりだからと母さんは出張を断ろうとしてくれたが、それまでも両親が帰れない夜はたまにあったし、もう小四だし男だから大丈夫だと大見得切って、強引に仕事を選択させたのだ。

 ……にも拘わらず、俺は一週間もかからずに、孤独の夜に耐え切れなくなってしまった。


 家じゅうを満たす冷たく暗い空気に、一生この心細さから抜け出せないんじゃないかと、父さんだけじゃなく母さんまでも帰ってこなくなってしまうんじゃないかと、毎晩泣きそうになりながら眠りについていたのを憶えている。いま思い返すと、我ながら、馬鹿だとは思う。


 母さんはちょくちょく電話をくれたが、幼いプライドが邪魔をして通話中は強がるばかりだった。

 俺が弱音を吐いたら母さんが仕事に集中できなくなる。それだけは嫌だった。

 ただでさえ父さんがいなくなってしまってから、母さんに途方もない負担をかけてしまっているのだからと。

 結局六日目あたりで、心配した幼馴染が半ば強引に家に呼んでくれ、彼女の両親も歓迎してくれたから、それ以降は独りきりで夜を過ごさずに済んだ。

 もちろんいまとなればもう、母さんがどれだけ長い出張に行こうが飯の調達が面倒だな~くらいにしか思わないが、当時は気にかけてくれる人がいなければ塞ぎこんでしまう一方だっただろう。


 ……という、長ったらしい自分語りは押しつけがましいので、心の内に留めておくが。


 白羽も紅羽も、タイプはまったく違えど、他人に頼ることがあまり得意じゃないように感じる。

 たった一年しか学年が違わない俺が言うのもなんだが、彼女たちはまだ、高校一年生になったばかりだ。

 寄り添い合える相手が……素直に弱音を吐いて甘えられるような相手が、もう何人かくらいは居てもいいと思うのだ。


 だから。


「もしよかったらいつか、俺のこと兄貴として……受け入れてくれないかな。無理強いは、しないから」


 俺や母さんをそういう存在として、ふたりが頼ってくれるようになればいい。

 そんな願いを込めて、白羽に穏やかな気持ちで語りかけた。


 ────が。


「あ、兄として……っなんて」


 白羽はなぜか耳まで赤くなり、いまにも泣きそうなくらい思いつめた表情を浮かべ、


「そんなの、ぜったい、むりっ……!!」


 ……やはり、本気で拒絶するのだった……。



 ※ ※ ※



 引っ越し業者の熟練の手際によって、一時間ほどでふたりの荷物はすべて二階の部屋に運び込まれた。


「ご苦労さまですっ」


 トラックへ戻っていく業者たちを玄関先まで見送った紅羽が、にこやかに挨拶する。

 彼女の笑顔は疲れを浄化する絶大なヒーリング効果があると思う。

 玄関ドアを丁寧に閉め、上がりかまちに引き返した彼女に、俺はそろそろと歩み寄った。

 キッチンでのこともあるので、あまり距離を縮めすぎない程度に。


「なあなあ、紅羽。俺ってもしかして、白羽に嫌われてんのかな……?」

「えっ?」


 心持ち小声で尋ねると、きょとんとした顔で見上げられた。


 ちなみに、白羽はいま二階の部屋で荷解きに取り掛かっているため近くにはいない。

 俺を本気で拒絶するなり、一目散にリビングから飛び出して二階へ上がってしまったのだ。

 すぐに追いかけたら怖がらせるかと思い、俺は五分ほどずっとリビングにぽつねんと佇んでいた。

 残りの紅茶が冷めていくのをひとり虚しく眺め続ける時間は俺に諸行無常を感じさせた。


 その後、様子を見におそるおそる二階へ行ったが、白羽とはまったく目が合わなかった。

 兄としてどころか存在自体を認めないというような確固たる意思が伝わってきて見事にブロークンハートである。


「どうしてそんなふうに思うんですか? たしかになんだかさっき、ぎくしゃくした感じでしたが」

「いやさ、紅羽が業者の応対に行ってふたりになった時、緊張ほぐしてもらいたくてちょっと話してみたんだけど。白羽は俺のこと『兄として見るなんて絶対無理』って言って、リビング出てっちゃって」

「……あ。だから白羽姉さんが二階に来た時、いっぱいいっぱいな顔してわたしに抱きついてきたんですね」

「……そこまで無理だったのか~~……」


 やってしまったかもしれない……。共同生活初日だというのに。

 申し訳なさとしくじったショックとで顔を覆って落ち込む俺を見て、紅羽はくすっと笑みを零した。


「大丈夫ですよ、おにぃちゃん。白羽姉さんはおにぃちゃんを嫌ってなんかいません。……というか、姉には嫌いな人なんていないはずですよ?」

「そうなの?」

「はい。姉は人を嫌いになる前に、その人への関心を完全に失くしてしまうタイプですから。安心してくださいっ」

「……………………」


 たしかに、好きの反対は嫌いではなく無関心だとよく言うが、それは果たして安心していいものなのか……。

 そもそも白羽が俺に関心を持ってくれていたようにも見えないし、さっき空気同然に扱われていたのだから、もうこれは無関心といえてしまうんじゃないのか。

 どうしよう……まったく安心できないやつだ……。

 などと考えてショックを受けていると、


「それに。……もし、万が一、白羽姉さんがおにぃちゃんを嫌っていたとしても」


 紅羽はちょっと照れた顔を見せつつ、自分を指さすように、人差し指をふにゅんと下唇に押し当てた。


「わたしはおにぃちゃんのこと──好き、ですから。……安心してくださって、いいんですよ?」


 そしてこてんと可愛らしく小首を傾げてみせる。

 甘やかな色をした瞳は優しく細められ、指先が少し沈んだ柔らかそうな唇は、緩やかに妖しく、弧を描いている。

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