第5話 末妹は惑わせてくる
「双子──そうですね。はいっ、二卵性双生児なんです」
「そっか」
……含みがある、ように思えた……のは、先入観を持ってしまった俺の曲解だろうか。
どちらだとしても、少なくともいまはまだ踏み込めない。
「それより、さん付けなんて……壁を感じて寂しいです。わたしはもっと親しみやすい呼び方がいいです、おにぃちゃん」
「え」
しゅん、と昨日も見た兎の耳が垂れたような表情を向けられた。
彼女の口にする“おにぃちゃん”はあどけなくてあえかで、どことなく甘い響きに聞こえる。
おそらくまだ慣れていない呼び名だから、だろう。
壁を感じると言うわりには、彼女も敬語を遣ってるけど……と頭の片隅で思ったが、そういえば友人から、カンナギクレハさんはお嬢さまだから誰にでも敬語スタイルなのだと聞いたことがある。看板に偽りなしだ。
「じゃあ……えーっと」
シラハちゃんと、クレハちゃん?
……いや、なんか気持ち悪っ!! 俺が義妹の立場でも、ほぼ初対面で同年代の義兄にちゃん付けで呼ばれたら鳥肌が立つ。
そう思い直して声に出すのを躊躇った俺を、彼女は見透かしたように苦笑した。
「わたしたちのことは、
「ふぇっ!? ……っう、うん」
ここではじめてシラハさん──白羽が、声を発した。
いや、厳密に言えば家に上がってもらったときにおそらく「お邪魔します」は言ってくれていたのだろうが、声が小さすぎて上手く聞き取れなかったのだ。
クレハさん──紅羽よりも少し硬く、たどたどしい相槌だが、可愛らしい声だった。
「わかった、慣れられるように努力するよ。……白羽、と紅羽、な」
「~~っっ……!」
「えへへっ、うれしい。ありがとうございますっ。たくさん呼んでくださいっ」
名前呼びする女子なんて中学からの友人や、幼馴染くらいだ。
……いや、いまはもう彼女たちを呼ぶこと自体ねえな。……これも考えるのはよそう。
義妹ふたりを名前で呼ぶのは俺としてもまだかなり違和感があるが、これから一緒の時間を過ごすにつれてそれも消えていくだろう。そう信じよう。紅羽も満面の笑みを浮かべて喜んでくれていることだし。
……白羽は、両手で顔を覆って俯いてしまっているようだが……。
だ、大丈夫かな……、鳥肌たつどころか吐き気を催してるとかじゃないだろうか……。
紅羽は表情がよく動くし、進んで会話してくれるぶん意思疎通がしやすいが、白羽はひたすらに居心地悪そうに見える。
なにか言葉をかけようにも、緊張の対象であろう俺が話しかけたところで、逆にもっと委縮させてしまうかもしれない。
どうしたものかな〜……。
頭を悩ませつつ、紅茶を淹れて持ってきてもらったお菓子の用意をした。
母さんがたまの休日にだけ飲んでいるちょっとお高めの紅茶のパックをこっそり拝借したが、まあ許してくれるだろう。
「あっ、わたし運びますよっ」
トレイにお菓子の皿を載せていると、紅羽がさっと立ち上がった。
アイランドキッチンなのに回り込んで俺が立っている横にやってきて、お菓子のものとは別のバニラのような甘やかな香りがふわりと辺りを舞う。
客に運ばせるのはどうかと思い断ろうとしたが、彼女たちはもう客ではなく、これから家族の一員となるのだと思い直す。
ソファーに残された白羽のほうは、硬い表情のままなにか言いたげに小さな唇をわずかに開き、しかしすぐに閉じてまた俯いてしまった。
……うん、たぶん手伝ってくれようとしたんだろうが、いまは気持ちだけもらっておこう。
「……じゃあ、これお願いして──」
お言葉に甘えて紅羽に運んでもらおうと、隣に並んだ彼女のほうへとトレイを寄せた──その俺の手の甲に、彼女の体温の低い白い手が、覆いかぶさるようにふわりと触れた。
ぎょっ、として思わず声が上擦りそうになった俺は、慌てて紅羽のほうを見た。
彼女は、こちらを向いてはいなかった。
ただ長いまつ毛を伏せ、トレイに視線を落としたままほんのりと口元を緩め、
「──わたしが妹になる、なんて。びっくりしました?」
俺にしか届かない、ほとんど吐息のような、耳がくすぐったくなる小声でそう囁いた。
つう、と細い指先で俺の手の甲の表面を柔く撫でてきて──それから悪戯を成功させた子どもを思わせる上目遣いで、微かに頬を染めて俺を見上げてくる。
「妹として会う前に、あなたに好きって伝えられて、本当によかったです」
……ドクッと、脈が逸る。
妹──そう呼ぶには、それはあまりに、似つかわしくない表情と台詞だ。
硬直して返事もできない俺からぱっと視線を逸らし、紅羽はトレイをひょいと持ち上げ、さっさとソファーの前のテーブルへ持っていく。
俺はしばらく我を忘れてそれを見送った。
……そっ、か。そうだった。
紅羽のほうは、告白してくれた昨日の時点で、もう俺と
そりゃあそうだよな。母さんが突拍子もなさすぎるだけで、ふつうはもっと事前に話を通しておくものだから。
彼女たちは引っ越しのための荷造りだってあるんだし。
いや……重要なのはそこじゃなくて。
じゃあ、なんだ。
彼女なりに納得して、あるいは吹っ切って俺と義兄妹になってくれるつもりなのだろうかと考えていたけれど、……もしかしたらそんな単純で穏便に済む話では、ないのだろうか?
なぜならさっき俺に向けられた表情や声、仕草は、純真無垢な天使のそれというよりは、むしろ──。
「おにぃちゃん? どうしたんですかー?」
ソファーに座りなおした紅羽が、不思議そうに首を傾げて呼んでくる。……先ほどの色は、すでに鳴りを潜めていた。
ハッとした俺は「い、いま行く」と返事し、紅茶で満たしたティーポットと人数分のカップを載せたトレイを持って、彼女らのもとへ向かった。
白羽もいる手前どぎまぎした内心を悟られないよう、紅茶を注いだカップをそれぞれのもとへ置き、ふたりの直角になる位置のひとり用のソファーに腰かけた。
キッチンから一番近い場所に座ったから偶然なのだが、白羽を間に挟む並びになり、なんとなく息をつく。
「そういえば、おにぃちゃん。おにぃちゃんも
「えっ? あー、いや、手続きが面倒だから苗字はそのままでいこうって話になったよ」
「じゃあ、わたしたちが義兄妹になったことは他の生徒にはわからないんですね」
「そうなるな。白羽と紅羽は……その、学校で双子として通ってんの? 聞いたことなかったんだけど」
「入学したてですからね。隠しているわけじゃありませんが、教室の棟も離れているので、まだ知らない人が大半だと思います。ね、白羽姉さん」
「……う、うん」
先ほどのことはできるだけ意識せずに、三人で軽く会話しながら(白羽は首肯などを主な会話手段としていたので実質俺と紅羽が話していたが)お茶していたところで、インターフォンが鳴った。
玄関のほうから男性の快活な挨拶が聞こえてくる。
「んっ、業者さんが来てくださったみたいですね。わたし出てきますねっ」
真っ先に紅羽が立ち上がり、ぱたぱたとリビングを出ていった。
彼女は本当につい最近まで中学生だったのかと疑ってしまうくらいしっかりしている。
俺もついていったほうがいいとは思いつつ、ちらりと白羽のほうを窺い見た。
こちらの動きに気づいた白羽が顔を上げて、視線がぶつかり合う。
垂れ目の紅羽とは反対のぱっちりとした猫目のため、目力が強い、というか鋭い
近くからだと緊張からか瞳が弱く揺れているのがわかるが、表情が変わりづらいのも相まって、一見はクールで大人っぽい女の子のように映る。
すぐにぱっと逸らされてしまったが、やはり……彼女の容姿には見覚えがあるような気がしてならない。
白羽とは──はじめて会った気がしないのだ。
「……………………」
「……………………」
どうか、しているかもしれない。
もしかしたら、かなり気色悪く思われるかもしれない。
が、玄関先で紅羽が口にした白羽の名前を聞いたときから、そうなんじゃないかという気持ちが消えない。
訊くなら、いまこのタイミングしかないんじゃないかと、俺はやや身を乗り出した。
「なあ、白羽」
────去年の夏、高校見学の時に、生徒手帳を落とさなかった?
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