第2話 天使すぎる新入生は告白する
慌てて記憶を掘り起こそうと試みるが、さっぱり思い出せない。
この子とは初対面のはずだ。
ここは話を合わせておいたほうがいいのか──いや、嘘をつき通せる気もしないし、ふつうに罪悪感がある。
「ごめん……思い出せない。どこで会ったっけ……?」
申し訳なく思ったが、素直に憶えてない反応で返した。
すると彼女は、気が抜けたようにあからさまにテンションを落とした。
兎の耳があったらしゅんと垂れ込んでいる感じだ。
そんな姿も可愛らしいな、とか思ってしまってごめん。
「ずっと前──去年の夏。ここに高校見学に来た時、あなたに生徒手帳を拾っていただいたんです。あの日からずっと、あなたのことが忘れられなくて……」
去年の夏……高校見学……生徒手帳。
彼女の挙げたキーワードたちを脳内で羅列してみて、──あ。
記憶が蘇ってくる。
強い日差しが照らす廊下をひとり歩く、真っ白なセーラー服姿の女子が、俺の呼びとめる声に振り返る光景──。
……あ、れ?
引っかかるものを感じ、ん?と軽く眉をひそめた俺に、
「
彼女は胸元で両手を握り、一歩こちらへ歩み寄ってくる。まっすぐに見つめてくる瞳は潤みを帯びていた。
震えた声で告げられたその台詞の意味がすぐに理解できず、思考が停止した。
しかし心臓は動揺したように、激しく脈打ちだす。
……は……、えっ?
いま、俺……告白された?
周囲には俺たち以外誰もいないとはいえ……こんな、廊下のど真ん中で?
「よかったら、わたしとお付き合いしてくれませんか……?」
女の子から告白を受けるなんて、人生初のことだった。
しかも相手は男女問わずに好意を寄せられる、天使と称されるほどの完璧美少女だ。
そんな彼女が──たった一度、生徒手帳を拾っただけの俺を、好きだって?
夢みたいな、どころか夢にも思っていなかった状況に──もしこれがドッキリや罰ゲームの類だったら下手なことを言わないほうがいい、という心理もはたらいた──とっさの言葉が出てこない俺。
「あ、お……お返事は、いつでも大丈夫ですっ。で、では、わたしはこれで……!」
真っ赤な顔をした彼女は、気まずげに目線を右往左往させたあと、そう切り上げ、俺の脇を足早に通り過ぎた。
ぱたぱたと軽やかな足音が遠ざかっていく。
俺はぎこちなく振り返り、彼女の揺れる髪と華奢なうしろ姿を茫然と見送った。
なにか……言ったほうが、いいんだろうか。
もし、もし本当に、彼女が俺のことを想ってくれていて、精一杯の勇気を出して告白してくれたんだとしたら──って自分で考えててめちゃくちゃキモいな俺って思うけど……!
とにかく、ありがとう、くらいはいま伝えておいたほうがいいんじゃないかと、彼女の背中に向かって口を開こうとした。
けれど、俺が礼を繰り出す前に。
彼女はふいに立ち止まり、こちらを振り返った。
艶々キューティクルの髪がふわっと風を含んで弛み、さらさら揺れる。
「……やっと、あなたに話しかけられてよかった」
白磁のような頬を桃色に染め、緊張感をほどいて柔らかにはにかんだ彼女は、たしかに俺の心臓を強く──強く鷲掴んだ。
彼女はそれだけ言い置くと、今度こそ生徒玄関のほうへ走り去っていった。
俺はその場に突っ立ったまま、思わず片手で口元を覆った。
びっっっ……くり、した。
心臓、止まるかと思った。
なんだ、あれ、……可愛すぎるだろ……!!
「マジで……あの子、俺のこと好きなの……?」
心臓の音が五月蠅い。顔どころか全身が、熱い。
あんな可愛い子に告白されたら、どんな男でもこうなるに決まってる。
恋愛とか……、そんなもの、黒歴史量産の引き金でしかないのに。そんな愚かで馬鹿げた感情に、もう振り回されてしまいたくはないのに。
彼女が天使と称えられる理由を、男という男が
……しかし……、俺の、記憶違いだろうか。
──去年の夏、俺が呼びとめた、生徒手帳を落とした真っ白なセーラー服のあの子は。
たしか肩までかからないくらいの長さの──、黒髪だった気がするのだ。
……まあでも、半年以上前のたった数分の出来事なんて、鮮明に思い出せるはずがない。
あの頃の俺はひどく意気消沈していたし、あれ以降思い返すようなこともなかったのだから、自分の記憶のほうを疑うのが自然だ。
あの場にいたのは俺と彼女だけだったはずだし、人違いというのはまずあり得ないだろうから……やっぱり、彼女だったんだろう。
つまり彼女は──あんなたった数分を、ずっと、憶えてくれていたわけだ。
それはなんか、照れくさいけど……素直にうれしい。
うれしい、んだけども。
俺……、あの時あの子とどんな会話したんだっけな。
時期が時期だし、初対面の天使相手にろくでもないことを打ち明けたりしなかっただろうな俺……?
「……そこまでは、あの子も憶えてない……はず、だよな」
どうか余計な情報が彼女の記憶に残っていないことを願いつつ。
あまりにも身の丈に合わない相手からの告白に、平静を取り戻した俺は、ひとり頭を悩ませた。
どう……しようか。
告白って、……どうやって、断ればいいんだろう……。
※ ※ ※
その日の夜、夕飯を済ませた俺は、自室で腕立て伏せ百回と腹筋百回の筋トレメニューをこなした。
高校では帰宅部だが、筋トレは日課だ。特にマッチョになりたい願望があるわけでもなく、身体を鍛えはじめた当初の目的ももう失ってしまったが、いまでも続けている。
……そんな自分を、本当に気持ち悪いなとは、思う。
ある程度鍛えた腹筋を使って上半身を起こし、テーブルの上に置いたスマホを掴む。
ロックを解除して表示されたのは、友人とのトーク画面。天使な後輩女子について熱弁していた、例の同じクラスの友人だ。
アイコンは本の上に置いた自分の黒縁眼鏡という小洒落たやつである。
メッセージの書き込み欄には、すでにひと言打ち込んだ状態だ。帰宅してからずっと送ろうか送るまいか悩んで、結局そのまま放置していた質問文。
【カンナギクレハさんのクラスわかる?】
彼女に告白の返事をしようにも、何組なのか聞いていないことに気づいたのだ。
ちなみにカタカナ表記なのは、彼女の名前の漢字を知らないためだ。
友人は重度のスマホ依存症だから送れば即レスしてもらえるだろうけど、絶対「なんでいきなり?」って疑問に思われるよな。果たして直接ツッコんでくるかは微妙だけど……。
迷った末に……いや削除しよう、と親指を動かした時、コンコンコン、と自室のドアを軽くノックされた。
慌ててスマホをスリープさせ、なんとなく、筋トレを続けているふうを装う。
「ひぃちゃーん? ちょっといい?」
「なに?」
努めてふつうの調子で返事すれば、ドアが開かれて母さんが顔を覗かせた。
「ひぃちゃんまた筋トレしてるの~? ムキムキになっちゃうじゃなーい」
我が母親ながら、綿菓子を擬人化したのかってくらいフワッフワした雰囲気と声の人だ。
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