Memory

 20⚪︎×年4月6日

 鳥の囀り、川のせせらぎ、木々の騒々しい様子。見上げれば風の強弱に合わせてピンクの雨が降り注ぎ、高貴な絨毯となって道を作っている。所々に緑も見え始めており、季節の移り変わりを感じさせるその姿はとても美しい。

 その道を通るのは至って平凡な僕。桜が僕を格式高くしてくれて、主人公にでもなった気分になる。


 高校まで通うにはこの道が一番早いのだ。遠回りをすることも考えたが、この姿を見ることができるのもあと数日。一緒に見る人もいないが、せっかくなので心のメモリーにでもこの景色を刻んでおく。いつこの景色を見られなくなるか分かんないからね。

 僕は上を見上げて、一人固く決意をした。


 僕の母は去年の12月桜が咲く前に亡くなってしまった。母の願いは一つ。

 

「最後にもう一度桜を僕と見たい」


僕は消えゆく声でそう願いを告げる母に、

「絶対に見れるよ、僕と見に行こうね!そうだ!お花見もしよう!お母さんの作る唐揚げ食べたいな。あとね、お母さんの卵焼き!」

 

 小さな子供が親におねだりをするかのように無邪気な様子で語り、僕の願いは溢れていき、笑顔で母と約束をした。


 でも、そんな願いはすぐに消え去ってしまった。


 雪の降る寒い日だった。結晶は積み重なり、雪だるまがあちらこちらに作られていた。冷えてしまい動きの悪くなった左手はポケットに入れて温め、もう片方の手には大きめの紙袋を持っていた。

 紙袋の中には母を喜ばせるために桜の造花を入れていた。

 柔らかい雪は一歩、また一歩と繰り返される僕達兄弟の足により踏み固まっていく。向かっているのは母の病院。道中にある花屋で雪の降る季節でも強く咲くパンジーを見て母にも見せてあげたいなと考えていた時、僕のスマホに着信があった。静まり返っているこの空間に着信音だけが大きく聞こえる。

 

 嫌な予感がした。

 

 その予感は的中しており、届けられたメッセージには母が危篤状態にあるということが伝えられた。頭の中で文字だけがぐるぐると周り、置き物のように固まってしまった。

 真っ白な世界は一瞬にして暗闇に包まれてしまった。


 僕は悔しかった。母に桜を見せてあげたかった。願いを叶えてあげたかった。制服姿を見せてあげたかった。考えた数だけ想いが溢れてくる。身近な人の死。

そう簡単には受け入れることはできない。

 

 僕が4歳の時に父は病で亡くなってしまい、そこから女手一つで僕と弟を育ててくれた。

 父の記憶はあまりないが、誕生日に毎年父が書いた絵本を貰ったことは今でも覚えている。父は絵を描く仕事をしており、絵を描くのが上手だったそうだ。実際に貰った絵本には可愛らしい絵が描いてあり、それを見ると父の凄さを感じることができた。1歳から4歳の誕生日に貰った本の内容は繋がっており、僕たち家族の日常を題材にしていた。

 今、読み返してみると当時の僕たち家族の幸せそうな様子を思い出して感動してしまう父の愛がたくさん詰まった作品だ。

 

 母との別れの日はたくさん泣いた。

 溢れる涙の結晶は止まることを知らない。

 そんな僕と弟を祖母は隣で静かに背中をさすってくれた。


 今、僕と弟は母方の祖母に引き取られて一緒に暮らしている。祖母は75歳で二年前に祖父を亡くしてからは1人で暮らしている。


 今日は高校の入学式だ。どこかで見ている母に僕の元気な姿を見て安心してもらいたい。

 そんな願いを胸に僕は新しい生活への一歩を踏み出した。

 

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