テンシとアクマの囁き

プジョー・106に乗る真希には目下の悩みがあった。


夏が終わる前に冬タイヤ用のホイールを見つけないといけない。

北海道で生まれ育った真希には冬タイヤの重要性は心骨に染み付いている。

夏にはタイヤを手配して冬用のホイールに組み付けて準備完了、10月を過ぎて慌てて量販店に駆け込むなんて愚の骨頂────


そう、北海道で車に乗るということは『ホイールセットを二組持つ』と同義なのだ。


それなのにも関わらず……


『プジョーに合うホイールが見つからない』!!


自動車のホイールにはさまざまな規格があるが、その一つに『取り付けナット・ボルトの穴数とPCD』がある。

日本車ではPCDは100mmか114.3mmが一般的だが、プジョーはPCD108mmという奇妙な値を代々採用している。

同じ4穴だとしても、PCDが数ミリ違うだけでそのホイールは装着することができない。

これが一つ目の大きな壁となる。


とはいえ、社外ホイールの中でも欧州メーカーであればPCD108mmに対応するものを出しているが、ここで真希のプジョーにはもう一つの壁が立ち塞がる。

『プジョー・106の純正ホイールサイズが14インチ』ということである。


昨今のインチアップ化の波で、欧州メーカーでも新品で14インチ、PCD108mmを満たすホイールはまず見つからない。

真希が中古パーツをネットで探すと、15インチでPCD108mmのものはいくつか見つけたが、ホイールの取付面の出代(オフセット)や、ホイール自体の幅(リム幅)を勘定すると納得のいくものが見つからない。


うぅぅ〜〜ん……いま履いてるホイールを冬用に回すなら、夏用は最悪15インチでも……でもオフセットがなあ〜〜


とはいえ、アレコレと悩むこの時間がいちばん楽しいのだが。


そうしてはや数日、ネットの海でプジョーに合うホイールを探し求めていた真希。


「こっ、これはっ!」

真希はタンクトップに半パンのだらしない部屋着でいたが、口に咥えていたアイスを思わず落として声が出てしまう。


とうとう見つけてしまったのだ!

軽量ホイールの王道『RAYS TE37』のプジョー・106専用サイズを!!


「こ、これはっ……あたしでも知ってる間違いないやつやん〜!」

謎の関西弁セルフツッコミ。


「即決価格10万と6,000円、106千円か……ふざけやがってェ……」

真希は画面を睨みつける。

過去の落札相場を見ると、同じサイズのTE37は数ヶ月スパンでさまざまな人が出品しており、状態によるがおおむね10万前後で安定している。

ここで買わなければ冬の準備に間に合わないかもしれない、そもそもサイズの合うホイールが他に出てくる保証もない。



…………ポチ



か、買ってしまったァ〜〜!



あたしのバカバカ、こんな無計画な浪費してたら美佳のこと言えないじゃないっっ

今ならまだキャンセル……


自分を責める真希の脳内で天使と悪魔が囁いた


アクマ「こんなかっこええ〜ホイールを冬用に回すなんて勿体ネェ、すぐにでも今のホイールからタイヤ入れ替えて二人に自慢しようぜェ」


テンシ「だめよ!せっかくのいいホイールなんだから、タイヤもお金貯めてちゃんとしたやつ履かせるまで寝かせましょ?」


あっTE37買うのはもう決定事項なんですネ……



数日後……



ブロンズのTE37が4本着弾。

箱を開けてチラッと見て、うずうず、うずうず……



…………



大学の駐車場にて。

リアのラゲッジに積んだTE37を見せながら、真希は凛子にことの顛末を語った。

「ということがあってさあ、タイヤどうしようか考え中なワケ。」

「思い切った買い物したね。でも価値のあるホイールならそれも実質無料ってことかな?」

「くぅぅ、この間の意趣返しね。まあ、それはそう思いたいところだけど……」


真希が若干困っている様子を見て、凛子はふと思いついて提案する。

「あ、そしたらさ、真希。わたしがお世話になってる整備工場に行ってみない?。」

「なんていうところだっけ?」

「南幌町にある、内藤モータースっていうとこ。お祖父ちゃんと古い知り合いなんだって。わたしもジェミニを借りてから、何度かメンテナンスに行ったくらいだけど、親しみやすくてなんでも話せる感じだよ。」


真希は少し興味を見せる。

「へえ、それなら相談に行ってみるのもいいかも。」

「じゃあ、次の休み一緒に行こう!」



    ◇



「凛子が言ってたのはここね。南幌町……あらぁホントに周りなんもないや。」


真希が内藤モータースに辿り着くと、先に来ていた凛子が店主らしき男性と会話していた。


あれが内藤さんね?なんかでっかくてヒゲ面で面白い感じのおじさんね。


「あ、友達来ました。」

「おおー、プジョーの106か。」


真希は車から降りて挨拶をした。

「こんにちは、真希といいます。凛子さんに紹介されて、お世話になります。」

「はじめまして、『内藤モータース』店主の内藤万次郎です。」

内藤は凛子と出会ったときと同じように、ツナギから名刺を取り出して真希に差し出した。


「プジョー106、面白いのに乗ってるね。当時は草ラリーでも結構乗ってるひとを見かけたよ。」

「まだ乗りはじめたばかりで、これからメンテナンスもしていかないといけないんですけど、今日はタイヤのことで相談したくて。」

「うん、どうしたの?」


真希はリアハッチを開けて、内藤にホイールを見せた。

「最近ホイールを買ったんですけど、これを冬用にするのはもったいなくって。でも新しいタイヤ買う余裕もないから、いま履いてるのを組み替えしてほしいんです……」

「TE37だ!えらいの買ったねえ。なに?これ、専用サイズなの?ほぉー。」

内藤は興味津々といった様子でホイールを持ち上げ、しげしげと観察した。


「いま履いてるタイヤは……ん〜なるほど。ああそうだ、ちょっと待ってて。」

内藤は大きな台車を工場から引っ張り出すと、裏の廃材置き場からタイヤを4本携えて戻ってきた。


「このタイヤ、ちょうど一昨日に廃車で入ってきたばかりなんだけどどうかな?サイズもぴったりだし、いま履いているやつよりちょっといいタイヤだから、TE37にもぴったりだよ。」

タイヤはヨコハマ製で、まだ山も十分にありそうだ。


「えっ……でも、いまお金無くて……」

「組み付け込みで5,000円でどうだい?このタイヤせっかく状態良いのに、うちじゃあんまり使う車が無いからさ、それなら凛子ちゃんの友達にサービスだよ。」

「……!それならお願いします!」

内藤はニカッと笑い、二人に事務所で待っているように伝えた。


「うわぁー、事務所も雑誌とかミニカーとかいっぱいあって面白いね。」

「ね、内藤さんの家もすぐ隣だけど、昼間作業してないときはずっとここにいるんだって。真希もコーヒー飲む?」

「あ、ありがとー。男の秘密基地って感じ、実家の倉庫思い出すなw」

「そうだねw ちょっと似てるかも。」


二人はコーヒーを飲みながら思い思いの雑誌を手にして時間を過ごした。



40分ほど経ったころ、作業を終えた内藤がドカドカと階段を駆け上がって事務所に戻ってきた。


「ふぃ〜、あっちいあっちい。いま伝票作るからチョッチ待っててねえ。」

内藤は冷蔵庫からコーラを取り出して飲みながら、キーボードを叩いて明細票を印刷した。


真希は明細を確認して、最初に言われたとおり5,000円を支払った。

「はい、じゃあ確かに5,000円頂戴しました。じゃ、クルマ見に行こう!」


三人は事務所を出て、下に降りた。

そこにはホイールをTE37に履き替え、精悍さの増した真希のプジョー・106があった。


「いやーーん、やっぱりこのホイール買って正解っ!ますます自分のクルマって感じがして愛着も湧くわ♡」

「ね!かわいい感じだったのが、カッコよさがすごく増した感じがするよ。」

凛子も真希と一緒に喜んだ。


「凛子ちゃんのジェミニも渋くてカッコいいけど、このプジョーは元気さが溢れてるね!ボクもキビキビ走るハッチバックは大好きだから運転してみたいくらいだよ。」

内藤も満足げにうなづいた。


「元のホイールはビニール掛けて車ん中に積んでおいたよ。凛子ちゃんから、自分で色々やっちゃうって聞いてるけど、何か困ったら力になるから、タイヤ以外でもいつでも遊びに来てね。」

「はい!実は、この車を買ってから決まった整備工場がなかったので、これから色々お世話になりますっ!」



カシャッ🎵



真希はスマホで自分の愛車を撮り、凛子、美佳とのグループLINEに送信した。

「うっふふ〜、美佳ったらいまバイト中だから、終わって見たときの驚く顔が楽しみだわ!」

「確かに、でも美佳はTE37って分かるかなあ?」

「最近あたしん家来るたびにベスモ見てるんだから分かるでしょ〜!」


内藤は二人の楽しげな様子を温かく見つめてつぶやいた。

「若者はいいねえ。クルマに対する情熱、友達との日々、本当に楽しい時代だ……」


凛子はちょっと恥ずかしそうに返す。

「あはは、でも本当は内藤さんのクルマの話ももっと聞きたいんですよ、お祖父ちゃんとのこととか。」


「それなら、次回の来店時にはじっくりと話そう!お菓子も用意しておくよ。」

内藤は一瞬驚き、アッハッハと大きく手を振りながら笑顔で言った。

「それまでに、二人ともまた楽しい思い出を作っておいてね。」


「約束します!」凛子と真希は元気よく応じた。


二人は店を後にして、それぞれの岐路についた。

真希が帰宅して、シャワーから出るとスマホに通知音が鳴った。


「あっ、美佳からだ!」真希が急いでLINEを開いた。


「マジで!?あのTE37をマジで履いちゃったの!?超カッコいいけど、こんなに早く変えるなんて!」

美佳はテキストでも興奮がダダ漏れだ。


真希は自慢げに笑って、タイプを開始した。

「へへ〜、すごい変わるでしょ?今度、直接見せるから!」


その夜、三人の間でクルマの話題で盛り上がるやり取りが続いた。

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