第11話 心に刺さるということ
難しいのか⋯⋯と、おやすみをしてから考える。
信号機は今日も規則正しく動く。
青、黄色、赤。点滅が区切り目。
わたしたちの恋も、いい加減、区切り目に来たのかもしれない。パパに新しい女性が現れたように。
⋯⋯弥生さん、かな?
怖くて、同じ高校に進んだのか訊けずにここまで来てしまった。
高校生になったアキ。
今でもピンと来ない。
逢う度に高くなる彼の背が、わたしをぐんぐん遠いところへ追いやっているようで怖くなる。
背が高くても低くてもアキはアキなんだけど、中身まで成長されてしまったら、あのレンゲ畑から出られないのはわたしだけになる。
わたしたちの恋、レンゲ畑、それはなんだ?
もしかしたらなにかの呪縛でしかないのかもしれない。
ゴロン、と寝返り打って思う。
呪縛って、なんなん?
誰がわたしたちを呪うのよ。
わかんない、それは業というものかもしれない。
「眠れないのか?」
「ちょっと。昼間出かけたせいかも」
「⋯⋯明日は土曜日だろう? 半日、病院でカウンセリングやるんだけど午後から暇なんだ。そのプラネタリウムにでも行ってみようか?」
わたしは布団の中でクスクス笑った。
布団の中はまだよく知らない恭司の匂いがする。
わざわざ違う布団で寝る意味があるのか、と思うくらい。
「あ、今日行ってきたのか?」
焦った声がまたかわいくて笑ってしまう。
かわいくて、というのは失礼かもしれない。
けど大きな図体をして、そういうお茶目な間違いをされると笑うしかない。
「そんなに笑うなよ」
「満里奈と行くのと恭司と行くのでは、きっと星が違って見えると思うよ。試しに行ってみようよ。⋯⋯それに実は、今日は寝ちゃって半分しか見てないし⋯⋯」
今度は恭司が笑った。それは行く価値があるかもしれないと。
これってデート?
いやしかし保護者だし。
デートはまずい、浮気になってしまう。
今日、最後のメッセージは『今夜は満月だよ。おやすみ』だった。
いつからそんな甘い言葉を覚えたんだろう?
やっぱり、なんだか寂しくなる。
暑いのは変わらない。
目にはさやかに見えねども、秋はやって来るものだと習ったけれど。
大学は九月は夏休みだけど、高校は授業がある。
今頃、冷房の効いた教室で、なにを勉強してるんだろう?
恭司は着替えるために一度、帰ってくると言っていたので、わたしは先に出てブラブラしてると言った。
しまった、着る服がない、と思う。
恭司だって刺激の強い格好は気まずいと思うに違いない。
カバンから服を引きずり出して、グルグル巻きにして突っ込んできた薄くて長いスカートと、キャミソールに薄手のシャツを着る。
あんまりわたしの趣味ではないけれど、露出の少ないものはこれくらいしか思い付かなかった。
あのワンピは洗濯物だし。
そんなわけでアイボリーの長いスカートに、薄手のブラウスを羽織って、ブラウンのレースの付いたキャミ。
恭司に敬意を表して、髪もきちんとまとめてきた。それなりに。
駅前はやっぱりゴミゴミしてて、暑くてかなわないので駅ビルに入る。
雑貨を手に取って見てると、声をかけられた。
「千遥」
そんなところで声をかけられると思っていなかったので、なんの警戒もせずに反射的に振り返る。
「なにしてんの?」
「それは俺の台詞。俺はバイトの時間までの暇つぶしだよ」
ああ、と言って文具の棚に戻る。
キレイな色のボールペンのシリーズが出ていて、試し書きをしてみる。黒に、それぞれ違う色のラメが入ってる。
ラメっていうのは誘惑で、派手なんだけどいつだって乙女心をくすぐる。
「千遥はなにしてんの? まだあの男のところにいるの?」
「⋯⋯まぁ」
知ってるヤツに隠す必要もあるまい。
「彼氏なの? 歳、離れてない?」
「だからオジサンだって」
「不自然だろう?」
「不自然でもなんでも、彼氏なんかじゃないし」
なにムキになって変なヤツ、と思う。
このペンは買っていこう。なにかに使えそう。
そういう口実が大事。
「⋯⋯少し暇ある?」
「あー、どうかな? 小一時間くらいかな」
「えーと、お茶でもどう?」
わたし? と自分を指さす。
「バイトまで少し時間あるから」
なるほど。
約束あるからちょっとだけだよ、と言って同意した。
航太も、俺もそんなに時間ないし、と訳わかんないことを言った。とりあえず、長居はしないということだ。
エスカレーター脇のフロアガイドを見て、どこにするか決める。
流行りのコーヒーショップの新作が気になったけど、あそこはいつも混んでる。
紅茶専門店を見つけて、行ってみるかとなった。
店内は女の子ばかりで、カップルさえ少ない。
場違い感が否めないまま、席を通される。
よくわかんないけどオシャレな藤の丸テーブルに向かい合って座る。
昨日のヨーグルトシェイクの時とはずいぶん違う。
店内にはアレンジされたちょっと前の流行りの曲が流されていた。
「なににする?」
「えー? 時間ないもん。アイスティーかな、アールグレイ。シロップ二個付けてもらおう」
ココアは今もすきだ。でもここは紅茶専門店で、しかも夏場にココアは暑い。
「航太は?」
「⋯⋯どれがいいのか全然わからないんだけど」
やっぱりそんなところも普通だ。
「暑いからアイスティーにしなよ。アイスティーと言えばアールグレイ。つまり同じものを二つ頼めばいいよ」
航太はわかった、と言い、すみません、とスっと手を挙げた。それはわたしの知らない航太だった。
航太は店員が来るとさっきまで知らなかったと思われる単語を魔法のようにスラスラと喋り、忘れずにシロップを二つ頼んだ。
そしてこっちを向くと「あとはいい?」と訊ねた。
わたしは思わず「お、おう」と答えてしまい、手で口を塞ぎたくなる。恥ずかしい。
店員はオーダーを繰り返すと、ごゆっくり、と微笑んで戻って行った。プロだ。
わたしは急に緊張してきた。
またしても暑いのに長いチノパンにTシャツ、生成の半袖シャツを着ているソイツが、オシャレな男に見えてきた。
落ち着いた態度で氷水を飲んでいる。
「どうした?」と訊いた。
「なんか馴染んでるね。さっきまでキョドってなかった?」
「あー、紅茶ってあんまり飲んだことなくて品種とかわかんなくてさ」
「へぇー」とかわいくない返事をする。照れた顔しやがって。
きっとコーヒー豆の種類ならわかるとか言い出すんだよ、このタイプは。
「なんだよ」
「なんでもないよ」
ヤバい、緊張。
アイスティーは二つやって来て、そっと透明な琥珀色の液体は並べられた。
キラリ、と光りそうな氷がカランと音を立てる。
「千遥さぁ、『
「うん、そうだけど今さらなに」
「一度訊いてみたかったんだけど。香田克己って写真家知ってる?」
心臓が止まるかと思った。
どうするべきか?
不整脈。目眩を起こしそう。
「違ったらごめん。あんまり珍しい苗字って訳じゃないと思うんだけど、親戚とかかなと思ったんだよ。恥ずかしいんだけど憧れてて、そういう繋がりがあったらすごいなぁって。ほら、妄想なんだけど」
「そうだね、あんまり珍しくないよね」
「千遥で人生二人目だけど。なんでもない、忘れて。すごく有名な人ってわけでもないんだ。著作も少ないし。たまたま写真集、見つけてさ」
グラスを手元に寄せる。
イマドキ、きちんとコースターがある。結露して落ちる滴を受け止めている。
シロップのフタをカチッと開けて、ひとつずつグラスに入れる。もやっとした糖分はストローで掻き回すと、紅茶と均一になる。
「そうだよ」
「え?」
「わたしのパパだよ」
航太の顔がパァッと明るくなった。
良かったじゃん、パパ。パパの写真、ひとりにでも届いてて。
昨日のシェイクのようにズズッと下品な音を立ててアイスティーを吸った。
「そうなんだ? じゃあやっぱり千遥もお父さんの影響で写真やってんの?」
一番触れられたくないところに。
立ち入ってほしくないところにズバッと。
ああ、誰かわたしを連れ去ってくれないかな? どこに行ったのよ、アキ。
こういう時こそそばにいてくれないと。
さて、どうしたものかと頭の中で戦略を立てているとスマホの着信音がピロンと、ごめんなさいね、マナーモードじゃなくて。
『着いたよ』
『すぐ行く』
わたしは頭がキーンとするくらい、一気に紅茶を飲んだ。
ああ、甘い。
チッ、高いだけあってアールグレイの香りがグッと来る。やっぱりこういうところは『なんとなく』来るもんじゃない。暇つぶしにも。
「ごめん、プライベートなこと訊いて。怒った?」
言いたいことはいろいろ頭を巡ったけど、出てきたのは一言「わたし行かなくちゃ」。
あ、待って、とショルダーバッグを肩にかけてると航太が半分腰を上げ、わたしを止めようとした。
焦る顔を振り返る。
「あのさ、今日、いつもよりすごくかわいいってずっと言おうと思ったんだけどなかなか言えなくて。いや、変な意味じゃなくて。⋯⋯ごめん、引き止めて」
財布を取り出すと、千円札を一枚取り出す。ピン札だ。運のいいヤツ。
「褒めてくれてありがとう。またね」
おい、と声をかけられる。
周りの、他人の話がすきそうな女の子たちが何事かとチラチラ見てる。こんなところに置き去りにするなんて、拷問だな。
ま、罪があるのは本当は航太じゃないのはわかってる。
悪いのは誤魔化しようがなくパパで、もしかしたらママも共犯かもしれない。
駅ビルと外を仕切る自動ドアからは誰かが開ける度に熱気しか入ってこない。
わたしはその熱気の中に踏み出した。
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