第4話 天体観測
部屋を出る前にもっとよく、あるものを確かめておくべきだったよなぁとうだるように暑い中、さっき百均で買ったエコバッグをだらしなく手に提げて炎天下、ぼてぼてと歩いていた。
暑くなければどうでもいいやと思って、Tシャツが長くなっただけのワンピースを着ている。
あとで服も少し買いたいな。
あんまり持ってきていない。
帽子も日傘も置いてきてしまった。
そう言えば、アキとプラネタリウムに行った時、これを着てたっけ。······複雑な気持ちになる。
中学生の男の子が誘ってくれるにはずいぶんロマンティックな場所だったし、わたしもとても気に入ったのに、こんな服を着ていったのか。
わたしもまだ十五で、男心のわからないバカ女だったのかもしれない。
あれから何回かの夏が来て、このワンピも何度も洗われて色が抜けてきたけれど、それにしても、こんなに雑な服で。
わたしを誘うのに――例え馴染みの従姉妹とは言えどれだけ勇気がいったのか。
あの時のアキの顔を思い出してみる。
······ダメだ。なんだかすべてがキラキラして見えて、アキの顔が思い出せない。
わたしは空を見た。
涙が流れないように。目の縁で留まってくれるように。
誰かが刷毛で思いっきり塗りつぶしたような青空だった。遠くの方に入道雲。最近は突然降ることが多い。気を付けないと。
考えた末に、今日はとりあえずご飯は電子レンジでチンとできるやつにしておく。まぁ、仕方ない。
鍋があるのかすごく不安で、定番はカレーのところを、電子レンジでできる肉の塊のスチーム料理のパックを買った。味付け要らず。なんかすごい手抜きみたいで罪悪感を感じる。
ひとつ七十円だった特売の小ぶりなサラダ菜を買う。なかなかいい感じ。
あの分だと、お肉がでーんとあればそれでいいんじゃないかと「ふふっ」と笑いがこぼれる。
――すごいじゃないか!
きっと破顔するに違わない。
考えてみると、誰かを喜ばせたいなんて思ったのはすごく久しぶりのことだった。人間として欠陥があるのかもしれない。
わたしはずっと内にこもっていた。
大学生には無事になったし、サークルにも順当に入った。
それも『天体観測部』。
肝心な天体観測はどこかに行っちゃってるサークルで、夜集まるのは飲むためばかりだった。
ので、標準的天文ファンのわたしはいつの間にか通わなくなっていった。退散だ。
しかしそこで知り合いは何人かできた。
誘い文句が上手いのか、人数の多いサークルだった。
中でもお節介なのは
夏休みの今でも、規則的に生存確認のメッセージを寄越す。
世の中には奇特な人もいるもんだな、と思う。
それから次にお節介なのは
航太は名前の通り平凡なヤツで、髪型は流行りのみんなと同じモッサリしたヤツ、TシャツもパンツもGUだと豪語していた。しかもその上、馴れ馴れしかった。わたしのことを許可してないのに呼び捨てにし、大学内で見かけると遠くからでも走ってきた。
あれは犬だ。
こいつも生存確認のメッセージを時々寄越す。
わたしって、そんなに儚げに見えるのか?
それはないように思うけど。
そんなことを考えながら買い物をしていると喉が乾いてしまって、コンビニでアイスバーを買う。
そこは車が通り過ぎるのは困難だと思われる細い路地にあって、どうして客がいるのか謎だった。
でも自転車が何台も停まっていて、変な話だが、売れてる店のようだ。
店の前のガードレールにもたれるようにして、袋を開ける。空色のアイスバーは急がないと溶けて割れてしまいそうだった。
無心に食べる。
汗が頬を伝う。
氷はもらってきたけれど、もたもたしてたら肉が腐るよなぁと考えながら、サクサク、アイスバーを平らげる。
その残骸の棒には『アタリ』と焼印があって、またこんな変なところで運を使っちゃったなぁとため息をつく。
⋯⋯もしもここにアキがいたら、最高にラッキーだって、喜んでくれたかもしれない。そしたらわたしも素直に⋯⋯。
帰り道はアキのことばかり考えていた。
サークルの飲み会で大量のノンアルを持ってきた航太は、テーブルの端っこで小さくなっていたわたしの隣に座った。ノンアルとジュース、どっちがいいかと聞いてきた。
「ジュース」と素っ気なく答えると、なにも考えてないのか笑顔で「オレンジでいい? カルピスとコーラもあるよ」と言った。
長居する気は毛頭なかったんで「なんでも」と言うと「そう? じゃあ俺の今日の気分はオレンジだから、これにしよう」と人のコップになみなみとオレンジジュースを注いだ。
量が多かったのでなかなか飲みきれず、その間航太は同じ学科かもしれない、という話を繰り返していた。コイツ、酔ってるんじゃないのかと思ったくらい。
工学部に女子は少ないので覚えていたのかもしれない。
しかし男子は多いので、悪いけど航太のことは覚えてなかった。だって身長も普通で、ありきたりだったし。
もし彼に個性があるとしたら、ごく普通だということだ。貴重な個性だ。
航太をじっと観察しているとどうしてもアキと比べてしまい、比べ出すと止まらなかった。
「わたし、すきな人いるよ」
ボソッと言うと、航太はハッとした顔をして「そういうつもりじゃないよ。やだなぁ。親睦会でしょ?」と軽いノリで言った。
アキには決してそんな台詞は吐けない。
アキに最後に会ったのはいつだ?
もう何ヶ月も前。
アキがこっちにある大学のオープンキャンパスに来た時、それ以来だ。
あの日はアキのすきなエビフライをがんばってママと作って、なぜかアキがエビの下処理が上手すぎてわたしの手を出すところがなかった。仕方がないのでレタスをちぎりまくった。ママは久しぶりに上機嫌で、わたしを笑った。
その翌日は久しぶりに二人で出かけた。
合格祈願で有名な天神様にお参りした。
アキがあまりに長々とお祈りしてるので、わたしは手を合わせたままマジマジとすぐ隣のアキの横顔を見た。
わたしたちが離れておよそ三年の年月。
アキの横顔はサクラさんに驚くほどそっくりで、目鼻立ちがスッキリした美青年に成長していた。
半分同じDNAを持つわたしは自分が美女になったという自覚はまるでなかった。高校も三年間テニス部で、日焼け止めはわたしには存在しなかった。気にしなくても少しずつ、穏やかに肌は小麦色になり、そばかすができた。
身長も見上げるようになったアキは、猫背だった背中も伸び、おお、と感嘆するほどに成長していた。
そしてその顔で、声変わりした少し低い耳をくすぐるような声で「ハル」とわたしを呼んだ。
トキメキがなかったと言ったら嘘だ。だってアキはあの日のように、わたしの名前を呼んだ。
「ハルすきだよ」と。そしてココアよりも甘い、甘いキスをした。「すきだよ」と。
まるで木管楽器のようにやさしい声だった。
ああ、なんとか道に迷うことなく恭司のアパートに戻る。
時計は四時半。門限は守れた。
どっこらしょ、とコンクリート打ちっぱなしの玄関で靴を脱ぎ、荷物を下ろす。
どっこいしょ。
小さい冷蔵庫に、肉とサラダ菜を入れる。
それから麦茶と水の大きなペットボトル。こいつが重かった。
独身の男の人の冷蔵庫なんて、特に夏ならビールばかり並んでるものだと思っていた。
上から下まで点検すると、食パンどころかご飯も一膳分ずつ冷凍されていて、あの炊飯器が動くことがわかった。
わたしと同じく大雑把そうに見えたのに、意外と神経質なことがわかり、身の引き締まる思いをする。
明日、お米を買いに行こう。
炊きたてを食べてほしいから。
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