第5話 居候、客人
恭司は門限を設けたくせに帰りは遅かった。
九時半頃に帰ってきて、ただいまもそこそこに手を洗いに行った。
うちのパパはわたしが起きている時間に帰ってくることが少なかったので、なんだかドキドキした。
これは別に恭司にときめいているわけじゃなくて、新婚さんのようなシチュエーションに萌えちゃってるわけだ。
どうしよう、とりあえずハンガーがいるかしら?
やだな、ほんと、奥さんみたい。
バカなことを考えているうちに恭司は部屋に入ってきて「お、ご飯だ」と言った。
えへん、という気持ちになる。そして仰々しく「お世話になってるから」と言うと「そういう心持ちは大切だよな。偉い」と褒められる。ぽーっとなってしまう。
あの大きな手でポンとされると、肩でも頭でもぽーっとなる。なんかわたしにはそういう性癖があるんだろうか?
考えたことがない。
でも初恋はあの線の細いアキだし⋯⋯。
アキのことを考えるとそれはそれでうっとりする。わたしだけのもののような気持ちになる。
あんなにキレイなものを持っていたら、誰だって見せびらかしたくなるだろう。
と、浮かれたことを考えてると恭司の姿が見えなくて、気が付くと脱衣所から彼は出てきた。
スーツはしっかりハンガーにかけられて。
「あの、ワイシャツとか、洗っておきましょうか? 明日もいい天気だと思うし」
ああ、と恭司は見えもしない青空を天井を見て想像したらしい。
目が焼けそうな太陽は、明日も現れるだろう。ワイシャツは汗ジミがつくから、とよく聞く。早く洗った方がいいのではないかと思う。
「面倒だから全部クリーニングに任せてるんだよ。ハルの服は洗濯機、自由に使っていいから。お、うちベランダないんだけど、部屋干しで大丈夫か?」
「あー」
口を開いてしまった以上、言わないわけにはいかないと心の中を整理する。なるべく穏便に。
「下着が」
「ああ、そうだよな。その辺に干すのもなんだよな」
ふむ、と言ってスマホを出す。器用に太い指でフリック入力してなにかを書いた。
するとすぐにスマホのバイブ音が鳴って、恭司はこっちを見た。
「脱衣所に干したらどうかって」
「誰が?」
「ん、その、なんだ。前の女っていうか」
嫌な空気が部屋を満たした。
居心地の悪さを感じる。
まるでその女の人がこの部屋にいるような錯覚をおぼえたけど、あながち間違ってない。だって恭司と彼女の間はネットで繋がってるんだから。
「あの、わたし、邪魔じゃないでしょうか?」
「どうして?」
「その⋯⋯女の人、呼べないでしょう?」
恭司に女がいるのはちょっとショックだったけど、想定の範囲内とも言える。
これだけいい男っぷりならモテないということもないだろう。
恭司は後ろ頭をポリポリ掻いた。
「それは誤解だ。悪いけど先にシャワー浴びてくるよ」
とても気まずそうな顔をして、恭司はシャワーに行ってしまった。
古い物件のいいところはお風呂とトイレが別のところ。
ここのお風呂は狭いけどなかなか気持ちがいい。
少し熱いお湯で体を流せば、気分も良くなるだろう。
⋯⋯女の話をさせるなんて、本当に悪いことをした。反省する。
でも妄想は止まらなくて、やっぱりあの隣に並ぶのは背が高くてスレンダーで、紅いルージュが似合う女性に決まってると思う。そしてその上、高いヒールを履いてたりするんだ。
それでもきっとまだ恭司の方が背が高いに違いない。
あーあ、いいな。
美男とか、美女とか。
一度はなってみたいものだ。
夕飯は思った通りの展開になって、恭司は喜びの声を上げた。
「おお、肉じゃないか。これどうした?」
「スーパーを見つけて。ほら、昼間はひとりで暇だから」
「無理するなよ、外食したっていいし、今日使った分の金、払うからレシート出すんだぞ」
住み込みのオバサンみたいになってきた。でもなんのお返しもしないでのほほんとベッドを借りているわけにもいかない。お給仕くらいはしなくちゃ。
わたしはなにも言わず、ご飯の支度をした。
「炊飯器、使えるかわからなかったからレンチンご飯ですみません。ちなみにそのお肉もレンチンですから」
「ああ、炊飯器は使えるから自由にしていい。基本的になんでもすきにしていいよ。レンチンでこんないいものできるのか。世の中進んでるな。――向こうの部屋は勘弁な」
恭司の部屋は実は2Kで、襖の向こうにもうひとつ、小さな部屋があった。実はちょっと覗いてしまったんだけど、しっかりしたデスクとパソコン、それからたくさんの専門書がキレイに山積みにしてあった。山はひとつではない。欲しい本をどうやって出すのか、まったくわからない。
どうやら本棚は買わない主義らしい。
お陰で部屋は二つあっても、わたしたちは同じ部屋で寝ることになるらしい。
居候なので、なにも言わない。
恭司は肉を胃にたっぷり詰め込んで、上機嫌だった。冷蔵庫から出した麦茶をごくごく飲んだ。
やっぱり市販のものは味付けが濃い。わたしも少し、甘辛いなぁと思って食べていた。
一緒になって麦茶を飲む。
TVの音もしない部屋で、畳敷きの上に座布団ですわり、麦茶を飲む。なんだか知らない『昭和』にタイムスリップしたみたいだ。
恭司のTシャツはよくわからない前衛的なロックバンドかなんかの柄で、下にはラフなハーフパンツを履いていた。
冷房はつけっぱなしなので涼しい。この部屋は古いのに、エアコンだけが真新しく眩しいくらい白い。
背中に汗をかくこともない。
わたしは立ち上がって食べたものの片付けを始めた。食器をシンクに運ぶ。おいおい、と恭司が声をかけてくる。
「お前さぁ、働きすぎ。せっかくお客様なんだから、少し楽にしたらいいのに」
「居候だから」
恭司はわたしを厳しい目で見た。少し怖かった。
けどそこにわたしに対する悪意はないのがわかっていた、んだけど······。
ふっと目を伏せる。直視できるほど強くない。
「いつ帰るのも自由だし、心の整理をつければいい。だからあくせく働かなくていいんだよ」
厳しく聞こえるけれど、そっと目を上げるとやさしい顔をしていた。
わたしはやさしさに弱い。すぐに取り込まれてしまう。
だから、別の意味では怖かった。
恭司とサヨナラする時は悲しいだろうか?
トンチンカンな時間に鳴く蝉がいる。昼間に鳴くには暑すぎるんだろう。わからなくもない。
街灯と信号機の点滅が、またわたしを照らす。
現実が揺らいでくる······。
「なんだ、まだ起きてるのか?」
「はい。上手く眠れなくて」
恭司は黙ってしまった。眠る前の一声だったのかもしれない。身動きひとつしない。
「······眠れない日は誰にでもある。だから眠れないことを恐れなければいいよ」
「はい」
恭司はまた少し黙ったかと思うと、いきなりガバッと起き上がった。なんなんだ、とパニックに襲われる。
例えば今夜は満月で、恭司は狼男、なんてのはバカげた妄想だ。······あながち、冗談じゃないかもしれない。
わたしなんて日焼けで肌はボロボロだし、髪も伸ばしっぱなしで洒落っ気ひとつないし、胸も腰も微妙でそんなに美味しくは。
「敬語、使わなくていいから」
「はい?」
「だから、敬語」
「······うん」
「気を遣うなよ。俺はそんなに疑わしい人間か?」
さっきまでの妄想を思い出す。
なんとも言えない。ごめん。
「まぁ、知らない者同士だし、上手くやろう」
そこまでが恭司のアクションだった。
おやすみ、と言うと、わたしに背を向けてゴロンと横になった。丸まった背中。少しかわいらしい。
たった二日目なのに、なぜか愛着を感じた。
それとも大人の男にはそういうフェロモンが出てるのだろうか?
フェロモン······わたしからは出てないんだろうか? 一応、年頃なんだけど襲われそうな気配が微塵もない。
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