一話(3) 代償の清算

 



「こんな幕引き、認めないわ!」


 石橋の半ばでリズは叫んだ。

 日の暮れた往来は人もまばらで、帰路を急いでいるのか関わるまいという決意か、リズなど目にも留めず去っていく。


「何が気に食わない。あの爺、やはり殺すか?」

「ヨアンの思考は常軌を逸してること、自覚したほうがいいわよ」

「あいにく人間の常識になど興味はない」

 取りつく島もない。リズはぐったりと石の欄干に寄りかかった。


「真相解明。女の敵に鉄槌を! までは良かったのに。問題はその後、コレよ……」

 親指と人差し指で丸を作る。金だ。


 精霊トラブル相談所として受けた、元貿易王の身辺調査。

 リズたちを利用し偽装しようとした不倫に始まり、違反武器の密輸に所持。掘れば掘るほど現る罪科。

 殺人未遂という現行犯まで重なり、社長の身柄は駆け付けた警察預かり。当然、家財も捜査対象と差し押さえられ……この一週間が無駄骨だ。


「金が幸せを生むわけではないのだろう?」

「生まなくても、役には立つわ。目先のドルチェとか」

 中に詰まったフランボワーズの酸味香る揚げ菓子ベニエ。カリっと表面の焦げた濃厚クリームブリュレ。一口で心を満たしてくれる至福の魔法。

 こんなことならお茶会のドルチェをもっと堪能しとくんだった。


「この聖都で契約不履行なんて由々しき事態だわ。努力に結果を。労力にはご褒美を!」

「なるほど賛同しよう」

 それで? まなじりを吊り上げた不敵な笑みが迫りくる。……まずい。


「手綱を握られた馬車馬のごとく働いた、この俺に褒美はないのか?」

「ど、ドルチェの話をしてたらお腹空いたなー。夕食ディナーは何にし……」

 背を石の欄干に阻まれ。横へ逃げる進行方向、豪快に長い足の杭が打ち立てられた。

「まさか忘れたわけではあるまい?」


 この俺にいらぬ面倒を強いる、その代償は高くつくぞ。……叶うなら、無駄骨依頼からまるごと全て忘れたい。しかし彼が引くなどあり得ない。だ。


「……せめて、家に帰ってから」

「従う義務はない」

 唐突に掴まれた手首を引く間もなく、ヨアンはリズの薬指を食んだ。

 騒動で擦り傷でも作ったか。熱い舌が指に絡みつくとピリリと浅い痛みが走る。滲んで固まった血を舐めとられる、……それだけなのに。

 生ぬるくて柔い感触。ぞわりとリズの背筋が震え、暑くもないのに頬に熱がたまる。


 落ち着きなさいリズベット。これはただの契約。

 代償の清算をしてるだけなんだから。


「――足りんな」

「いッ!」リズは悲鳴を呑み込む。

 舐めるだけで終わらず、ヨアンが容赦なく指先に嚙みついたのだ。元の傷より深く抉られ、見えずとも血が溢れるのが分かる。


「ヨア、ん……ッ」

 ごくりとヨアンの喉が鳴る。鋭い赤い目に捕らえられると、痛みだけではない刺激がリズの身体を駆け巡る。


「素直に鳴いてみたらどうだ。……楽になるぞ」

「調子に、のるな!」

 悔しい……。口だけ抗ったところで逃げる術はなく。翻弄されるしかないリズをヨアンはいつも愉快げに見下ろすのだ。


 いつか絶対、目にもの見せてやる!

 リズがぎゅっと目を閉じると、低い声が落とされた。

「……邪魔が入ったか」


「やっと見つけたぞ、お前たち!」

 甲高い声に拘束が緩み。抜け出したリズの元へズカズカ迫る一つの影。腕を組んで仁王立ちをする姿を前に、リズの目線が落ちる。


「お前達だろ、ご主人をサツに突き出したのは。破格の働き口だったっつーのに、どうしてくれんだ!」

 えっと……。リズはぐるりと周囲を見る。「迷子かしら。連れはどこに行ったの?」

「馬鹿にすんな! オレは王都から出稼ぎにきてからずっと、この腕だけで生きてきた。一人前の男だ!」

 たしかに。態度は一人前だが、その背丈は十歳かそこらだろう。

「……小さな犬がよく鳴くのは、王都産も同じか」

「な、誰が子犬だと!」

「吠えるな殺したくなる」

「ヨアン」

 低い威圧に怯む少年。リズは彼の前に滑り込んだ。


「あなたの雇用主って、今頃牢屋にいる、元貿易王のことかしら」

 そうだと少年は頷く。騒動の巻き添えに、彼を含む一部の従業員が解雇されたのだという。

「寄る辺がないなら“大聖堂”を目指しなさい。あなたの年齢なら悪いようにはならないはずよ」

「オレはガキじゃないって言ってんだろ!」

 温度の下がるヨアンを睨むと、やれやれと金髪頭がそっぽを向く。


「それに聖堂って、教会の孤児院だろ。オレはやることがあって聖都に来たんだ」

 なのに! 貫かんばかりの勢いでリズを指す少年。

「お前らが大事な食い扶持ぶちを潰してくれたせいで職なし文無し、今晩の宿もない! 責任を取れ!」

「逆恨みも甚だしい。付き合ってられん」

 確かにそうなんだけど……。


「……リズベット。駄犬に甘さを覚えさせるのは得策ではない、とだけ忠告しておこう」

「このまま放置もできないでしょ。だから一つだけ、あなたの希望を聞き入れてあげる」

 神秘に抱かれ栄えた聖都。しかし華々しい光の分だけ足元の闇は深い。一宿一飯くらい渋るほど重くはない(本音はきついけど!)――そう、思っていたのだが。

 言ったな? 紫水晶アメジストを思わす大きな目に不穏な影が差す。


「オレには果たさなきゃならない義務がある。マイア姉ちゃん。生き別れになった、オレの姉を探してくれ!」

 なんでそうなる。


「ここ聖都では契約がすべてなんだろ。お前は聞き入れるといった」

「駄犬に違いはないが。多少は頭が回るらしい」

「納得しないでヨアン。あのね、あなたから仕事を奪った負い目はあるけど」

 だとしてもとても受け入れられる話ではない。ある意味ではともに被害者。リズが負うには重すぎる代償だ。


「諦めろリズベット。この俺の善意を踏みにじった時点で、お前の負けは決まっていた」

 あんたはただ面倒くさくなっただけでしょ!


 さっさと帰路につくヨアンは振り向きもしない。その背を当たり前に追う少年を、リズには止める言葉がなかった。

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