一話(2) お前のそれより、俺の方が“重い”
「きゃあああ!」
上がった悲鳴はこちらを向いていない。
放物線を描いて注ぐ熱湯の雨。遅れて、テーブルに並んだティーセットがひっくり返り、
眼前に、翻る純白。
ヨアンによって振るわれた純白のテーブルクロスが紅茶の雨に染まる。
床に散乱する茶菓子に割れたカップの破片。
「いきなり何するのよ!」
空のポットを掲げる美女メイド。その奥でのらりと影が動く。
「金だ、金があるんだぞ」
正気じゃない。血走った眼に震える夫人が映る。
「なにが裏切りだ。飼われていることに感謝したらどうだ。財も持たぬ、老い醜い女がわしに相応しいとでも思っているのか⁉」
「ふむ。あの爺、どうやら一度も鏡を見たことがないらしい」
「……そういう話をしてるんじゃないと思うけど」
「うるさいうるさい! なぜお前たちはわしに従わん。金のために人は仕える。金があれば若い女だって身を捧げる。どれほど高潔ぶったところで、人は金に逆らえん!」
消せ! その一言に再びメイドの精霊が動いた。
投げつけたポットをヨアンが叩き落とす、その一瞬で肉迫し。蹴り上げ構えたデザートナイフが夫人めがけて輝く。
「伏せて!」
リズが夫人に被さるのと、刃が蹴り飛ばされたのはほぼ同時だった。ヨアンはそのまま美女の腕を取り床に叩きつけるが。
だめだ、弱い。
見た目はたおやかな女。しかし精霊の見目などなんの尺度にもならない。
ならば。短い思案の後、赤い視線が社長を射抜く。「殺すか」
主の危機を察してか、美女は標的をヨアンに切り替える。
「ヨアン。生かしたまま制しなさい」
「下らん。今さら清純ぶる意味もあるまい」
「何度も言わせないで。これは命令よ」
「……いいだろう。だがこの俺にいらぬ面倒を強いる、その代償は高くつくぞ」
距離を取るヨアンを追って美女も消える。東屋に残ったのは三人。
リズは夫人を隠すように背筋を伸ばす。
「よっぽど目が悪いのかしら。不倫騒動の渦中、妻である彼女になにかあれば、真っ先に疑惑が向くのはあなた自身でしょう」
「疑い? そんなもの捻じ曲げてやればいい。シナリオはそうだな……」
濡れ衣を晴らさんと雇った無法者どもが金欲しさに愛しい妻を手にかける。棺に眠る妻を抱きしめる夫の涙は止まることはなかった。美しい
「妄言ね。そう上手くいくとでも?」
「いくさ。金は心の臓よりも重い」
そう言って男が懐から取り出したのは、……
「そこらの
ここまでなんて聞いてない。一等級違反武器じゃない!
背後を思うと動けない。固まるリズを降伏と受け取ったらしい。銃口だけリズに残し、社長の意識が外へ向く。
「さっさと終わらせんか。代償にどれだけ金を注ぎ込んだと思っているんだ!」
苛立ちのまま精霊に怒鳴りつける。美女がヨアンの残像を切り裂くたび、蹴られた花弁が散っていく。
「……空しい人ね」
なんだと。呆けた顔がリズに戻る。
「口を開けば金、金。あなたは自分の財を誇るけれど、その手は何一つ手に入れてはいない」
愛も人望も、金に物を言わせ捻じ曲げた紛い物。
「お金が幸せを生むわけじゃないでしょう」
「だまれえ!」
引き金にかかる指が怒りに震え、響く甲高い発砲音。
「紛うことなき茶番だな」
ぐああぁッ! 轟く野太い叫び。小銃を取り落とした男の手が、背後のヨアンによってあらぬ方向へ捻じ折れていた。
「お、まえ……ぐぅッ、わ、しの精霊は⁉」
荒れた庭園に横たわる影。突き立てられたナイフに豊満な胸が赤く染まり、
「な、なぜだ……代償にわしは、湯水のごとく、わしの金を!」
「簡単な話だ。代償とは量より質。
それだけだ。ヨアンが言い捨てた時。ぼろりと顔の形をした灰が地面に落ちて砕けた。
ほどなく騒ぎを聞きつけた人が呼んだ警察によって、社長は逮捕。騒動は終わった、
……のだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます