一話(1) それが精霊トラブル相談所

本作品はフィクションです。

作中に一部、暴力・残酷描写が登場する場合があります。

作中ルビは一部、フランス語表記です。

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   一話(1) それが精霊トラブル相談所




 祝福されし都。聖都リュミラック。

 神秘と共存するこの都において、“契約”以上に重いものなど存在しない。


 しかし稀にいるのだ。そのを理解できない輩というものが。

 そういう人間が起こす多様なトラブルに、依頼を受けて対処する。


 それが精霊トラブル相談所。




「お招き預かり光栄ですわ、社長。初めまして夫人マダム。所長のリズベットです」

 いかにも、な庭園にたたずむ東屋ガゼボ

 甘い香りただよう王都式のアフタヌーンティーに、席に着く中年の夫婦。この茶会の主催者ホストにリズは頭を下げ。


「茶番の間違いだろ」低くのたまう金髪頭を引きずり下ろす。

「こっちは助手のヨアン。躾のなっていない精霊ですが、これでも助手としてはそこそこ有能なしもべなんですよ」

「なにが躾だ。赤子の時分には、おしめまで変えてやっていたこの俺に向かって」

 黙って頭下げときなさい! 反抗する頭を全力で押しとどめる。


「よい。今日はわしに着せられた濡れ衣を脱ぎ捨てる、良き日なのだからな」

 見てくれたまえ。社長は三つ揃いのスーツの襟をただして続ける。

「今日の為に王都の一流デザイナーに用意させた。やや細身のデザインだが、これが流行の最先端。など脱ぎ捨て、潔白のベストを身にまとおうではないか」

「夫は貿易商を営んでいましてね。そのおかげで閉鎖的な聖都にあっても、外の文化に寛容なのですわ」

「素敵でございます。夫人のネックレスも聖都では滅多にお目にかかれない、遠き南方のものでは?」

「あらまあ。これが分かるなんて貴方、見込みがあるわあ」


 頃合いよく勧められた椅子に腰掛けようとすると。

「最先端も王都から着く頃には、散々着古された後だろう」

 椅子を押す振りをして、ヨアンが小さく呟く。幸い、菓子ドルチェに手を伸ばす二人には聞こえなかったようだ。


 メイド服の美女がリズの前にカップを置き、三段プレートにこれでもかと盛られたドルチェは下段からヨアンが適当に取り分ける。

 これでやっと、場が整った。


「早速ですが、依頼のご報告を始めさせていただいても?」

「遠慮しなくていいんだぞ。恩人となるお前のために用意した席なのだから」

「ありがたいお誘いですが、後にも仕事が迫ってまして」


 背中をつつく赤い視線。

 分かっているから、何も言わないでその書類を渡しなさい。


「この度の契約ですが、期間は一週間。昼夜、社長に同行し、私たちが見たままの報告書を提出すること、でしたよね?」

「その通り! あの無能ゴシップ新聞社め。書くに事欠いて、このわしが不倫など。好き勝手な妄想を書きやがって!」

 ドン。衝撃にティーカップが踊る。


 社長の手には一週間前に発行された新聞。“貿易王、ただれた不倫生活”との題で、華々しい夜遊びが書き綴られている。

「夫は事実無根なのでしょう?」

「当たり前だ! だいたい会社コンパニーと屋敷を往復するだけのわしに、若い女にかまける時間があると思うのか!」

 一週間経っても怒りは収まらないらしい。


「リズベット」差し出されたヨアンの手を取って立ち上がると、まだ湯気を纏う紅茶がこぼれ流れてきていた。


「ずいぶん気の利く精霊をお持ちなのね」

 夫人には曖昧な相槌を返す。

 ぎこちない手つきで紅茶を拭き取る美女を見やり、夫人は続ける。

「契約から日が浅いせいか。夫の精霊はこのとおり、どうにも気遣いは苦手らしくって」


 美人だとは思っていたが。彼女は社長の “契約精霊”なのね。

 どうりで……。つい目線が整った顔から下がる。目を引く、グラマラス美女だ。


「少々取り乱してしまった。なんせ騒ぎから一週間、仕事もままならなくてな」

「心中お察しいたします。それで、こちらが調査報告書です」

 おお! 奪うように書類を取る派手な手。しかし装飾だらけの指がページをめくる毎に、その顔は青く白くなっていく。

「あなた……これはどういうことなのかしら?」

 反して、隣の夫人は今にも火が出そうだ。


「ちがう、なな、なんだこのデタラメな報告書は!」

「人聞きの悪い。私たちは契約の通り社長に同行し、ただ“この一週間、見たままの事実”を報告しただけです」

 紙には日別に社長の動向が事細かに綴られている。朝も早くに出社し夜半に帰宅する。その間の外出先と、日替わりに訪れる女性たちの名がずらり。

 爺の観察日記など毛ほどの興味もない。この一週間ヨアンは散々ぼやいていた。


「だいたいこの外出というのがおかしい。中央区の高級ホテルだと?」

 会社のある聖都東区から片道、馬車でも一時間はかかる距離だ。

「白昼堂々、女に会いに往復したというのか? この足は出社すれば退社まで、一歩として外に出てはおらん! 社長室前に張り込んでいたお前たちなら知っているはずだろう!」

「そうね。五階にある社長室に扉は一つ。陽が高いうちに社長が出てくることは一度としてなかった」

 ほらみたことか! ふんぞり返る鼻先に、リズは新たな書面を突き付ける。


「ここにスイートルームの宿泊者記録があるわ。二日と開けず、よくもまあ通いつめたものね」

「あなた……」夫人はそれ以上の言葉が出ないのだろう。目だけは夫から離れない。


「そ、んなの偽物に決まってる、捏造だ! ホテルにも守秘義務があるだろ!」

「自分の宿泊記録を渡すな。そんな契約を一介の成金が、聖都随一の老舗高級ホテルと交わしてるというの?」

「そんなこと……ッ。しかし小娘相手に、おいそれと上客の個人情報を渡すわけがない!」

 よほど頭に血が上ったか。自白していることすら気付かない様には、ため息しかない。


聖都リュミラックの人間なら知ってるでしょ。リンゴ一つに領収書。この街では契約がすべて」

 契約がなければ“例外的”にどんな情報を開示させることだってできる。

「さも己の手柄のよう誇ってくれる」

「しー、静かに」今いいとこなんだから。


「だ、だが、わしが会社をどう抜け出したというんだ。五階だぞ。窓から飛び立ったとでもいうのか? 鳥じゃあるまい。人間にそんな真似は……」

「だから一歩も出てないんでしょう。その足では」

 夫人の目が動く。今にも泣きくずれそうな視線を受けても美女の表情は動かない。


「お前は! 安くない金を受け取りながら、雇用主を裏切るのか。こんなの契約違反だ!」

 人聞き悪い。リズたちはただ、契約通りの見たままの報告をしているだけだというのに。

「だいたい、夫婦にとって最も尊ぶべき契約を反故にしたのは、あなた自身じゃない」

 あなったって人は! 夫人は夫に飛びつく。「なんて裏切りを。入り婿のくせに!」

 放っておけば最先端のスーツが引き千切れそうだ。

「だ、だがわしの精霊が、わしを中央区の女の元へ運ぶなど。この細腕だぞ」


「神秘に人の枠組みがあてはまるとでも? ヨアンだって、男を抱えて飛び降りるくらいなんてことないわ」

「爺を抱くなど気が進まん」地を這うほどに声は低い。「だが五階程度、骨折どころか骨にはヒビすら入らんだろう」

「精霊って骨、あるの?」

「さてな。……調べてみるか?」

「いらない……から脱ぐな!」

 いつの間にボタンを外したのか。腰を引き寄せられ、シャツの胸元をはだけさせたヨアンと体が密着する。


 まるで人のように暖かく、男性のように骨ばった身体。開いた左の胸元には文字の羅列のような “黒い模様”がのぞく。

 これはヨアン。これはあの。分かっているけどッ。

 やり場に困って目線が逃げる。鼻で笑う声が、ああ腹立つ!


「ヨア、……前!」

 言い返してやろうとした苦言は、焦燥に消える。言うより早くリズを抱えてヨアンが飛ぶ。


「きゃあああ!」

 上がった悲鳴はこちらを向いていない。

 放物線を描いて注ぐ熱湯の雨。

 遅れて、テーブルに並んだティーセットがひっくり返り、




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