リズベットの契約精霊は あらゆることを慎まない

志奈

序章 契約



 これは契約。


「リズベット・ミロワードの名のもと、なにものにも敗れず、決して屈することを許さない。わたしのしもべとなりなさい。代償は――」


 目で示すと、靴も履いていないリズの足を、恭しい手つきで持ち上げる金髪の青年。眼前に跪き、そっと掲げた素足に唇を寄せ。

 淑女の手に口づける騎士を思わすその姿。状況が違えば、少しは胸がときめいたのかしら、なんて。……馬鹿らしいにもほどがある。


 家屋だった瓦礫に腰掛けるリズ。転んだ時にガラス片でも刺さったのか。傷だらけで血に濡れそぼった素足を、ヨアンの舌がぬったりと這う。

 指の間から脛をのぼり。


「痛っ……ヨア、ン」

 腿裏にある一際深い傷に触れられ。まだ塞がらない傷口から止めどなく溢れる血を何度も、執拗に舐めとられる。


「いい景色だ。痛みに、ただ悶えることしかできない姿というのは」

「こんの、悪魔! あんたなんか、の皮を被った悪魔よ!」


 足の間にある金髪を掴むが、非力な手は押し返すこともできない。蹴り飛ばそうにも負傷した足はヨアンに捕らわれ、微塵も動かせない。低くヨアンは笑う。


「よく知っているだろう。それを決めるのはお前たちだということは」

「ふ、ぅッ」声にならない叫びが漏れる。容赦なく痛覚を抉る舌。痛くて痛くてたまらない。なのに、

 なにこれ、熱い。

 伝う血をヨアンが舐める度に、胸の奥に熱が灯る。傷口から得体の知れない力を流し込まれているみたいだ。


 これが、契約。

 血液を通して、彼との境界があやふやになって……溶けてしまいそうだった。


「……契約締結。この時より全ての契約はリズベットのものだ。それで?」

 捕獲はいつしか支えに代わっていたらしい。解放された足ごと、崩れ落ちる体。


「この手に支えられねば立つことすらままならない。か弱き主はこの俺に、いったいなにを願う」

 赤い瞳に映るリズはひどく小さく。リズは彼の胸倉を掴み、ぐっと異質なほど整った顔を引き寄せる。馬鹿にするな。


「やつらに鉄槌てっついを下す。私から全てを奪ったものたちに復讐を、死を越える罰を!」

 至近距離。なにが愉しいのか赤い目が笑んで、こめかみにキスが落ちる。

「なに」するの。問う声はじくりと痛みに消える。せめて顔にだけは傷を残さないで。最期まで繰り返された母親の説教はどうやら守れそうもない。


「いいだろう。精霊ヨアン。忠実なるしもべとして。この俺のすべては、お前のものだ」

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