第2話 契約/Engage
地獄の始まりはほんの数分前。
俺とマリアが買い出しを終え、別行動だったアビゲイルとセレスに合流した時だった。
ソレは唐突に現れた。
「ご機嫌麗しゅう。お久しぶりでございます、レイナード様──いえ、ア・ナ・タ」
「は?」
「は?」
「は?」
黒いドレスを纏い黒い日傘をさした少女はわずか一言で和やかな場の空気を戦場に変えた。
「えっと…どちら様ですか?」
「まあ!酷いですわ…婚約者の顔を忘れるなんて…」
「「「婚約者!?」」」
三人が目を点にしてこちらを見つめる。
「婚約って、俺にそんな人はいませんよ」
「もしかして、御父上からお聞きになってないんですか?バルクムントとグラムバルテが契約を交わした事を」
「グラムバルテ!?ってもしや君は…」
バルクムントは俺の実家だ。王国御三家の一つ。
そしてグラムバルテとは───
「名乗るのが遅れました。
───グラムバルテ家はうちと同じ王国御三家であり、公爵の娘であるフェリシアーデは俺の幼馴染でもある。
「フェリシアーデ!?君があの!?」
「はい。五年ぶりですねレイナード様」
言い訳させてほしい。俺はハーレムを作るべく一度出会った美少女の名前と顔は決して忘れない男なのだ。
ただ、彼女は余りにも変わりすぎていた。別人なんじゃないかというほどに。
そもそも彼女と最後にあったのは五年前、俺が十歳のとき。
俺が聖剣に選ばれた事で勇者の修行が始まったのを境に顔を見ていなかった。
「でも…だってあの頃の君はもっとつめた──凛として寡黙で感情を表に出さない子だったから」
「ふふっ、人は変わるものです。それにあの頃は照れ隠しもあったんですよ」
「え!そ、そうなんだ…へぇー…」
あまりの直球な物言いに恥ずかしくなって顔を背けると表情をなくした三人と目があった。
「勇者様、急用を思い出したので失礼します」
「私も同じくです」
「私も」
そう言って三人はスタスタと歩き去ってしまった。
「えっ!ちょっと何処行くのさ!おーい!」
「まぁまぁ、皆様は空気を読んで下さったのですよ。さぁ、私達も夫婦水入らずの時間を過ごしましょう」
フェリシアーデは俺の手を握り三人とは逆方向へ歩き出した。
大通りを抜け路地裏に入ってゆく。
「な、なあ、こんな方になんの用事があるんだ?」
「フッ、フハハハ!やっと見つけたぞ人の子よ」
「えっ、何?怖いんだけど…どうしたの…?」
「…貴様まさか本当に
フェリシアーデ───そう名乗っていたソレはケタケタと嗤う。
黒いドレスが炎に変わり、その炎がドレスに変わる。
黒いドレス。だが、今度のそれは先程までのレースで飾られたプリーツのドレスとは異なり、金糸の刺繍が施された気品ある漆黒のドレス。
「忘れはせんぞ、その銀の髪、銀の瞳、忌々しき光の剣。人の子よ、よくも吾を殺してくれたな」
金の瞳が向けられる。
その瞬間、鼓動が停止した。
山が、海が、空が、自然現象そのものに敵意を向けられたかのような錯覚。
世界すら容易に壊せそうな殺気をソレは俺というただ一点に向けて放つ。
息が出来ず、身体も動かず、成す術なく口をパクパクと開閉する。
「おっと、いかんいかん。吾は復讐に来たんじゃった」
殺意が解かれ血液が高速で巡りだす。
「───ッハァ!ハァハァ…何なんだよ…お前…」
「まだ解らんか?吾は竜。昨日貴様が殺した黒竜じゃよ」
「黒竜って嘘だろ…!?だって俺は昨日確かに…」
「そうじゃ、貴様が百分割して氷漬けにしたあの黒竜じゃ。あれは大変だったのぅ、流石の吾も一回死んだからの。生き返るのに随分と力を使ってしもうたわ」
「生き返った…だって…!?」
訳が分からない。コイツは今、あの状況から生き返ったと言ったのか。
ありえない。もしそんな奴がいるのなら、そいつに敵うことも逃げることも出来っこない。
「そうそう、お陰で吾は今大変困っておるのじゃ。そこで、貴様にチャンスをやる。吾に傷を与えることが出来たらお主を用心棒として生かしてやる」
「…出来なかったら?」
「殺す」
目の前の怪物は顔色を変えずニコニコとそう言い放った。
───どうやら戦うしかないらしい。
「分かった戦おう。ただし、かすり傷でもついたら帰ってくれよ」
「できたら、な」
「───『
不意打ち気味で炎の槍を叩き込む。
至近距離で直撃し炎の海が石畳を焦がす。
「───それで?」
にも関わらず目の前の怪物には火傷どころか身に纏う衣服にすら一切のダメージは見られない。
「───ッ!?『
超位魔法の連続詠唱。
吹き荒れる蒼炎が周囲から熱を奪い一面を氷に閉ざしていく。
「二度目は効かんぞ」
それでも怪物は仕留められなかった。
黒竜は腕の一振りで火炎を巻き起こし、真正面から凍葬獄炎を掻き消した。
超位魔法が力負けする程の魔力放出。その事実が目の前の怪物の異常性を訴えていた。
「もう終わりか?呆気ないのう」
「……まだだ、まだ終わるか…!」
それでも俺はまだ諦められない。
まだ夢を叶えていない、ハーレムを手に入れていないのだから!
「『
光の鎖が黒竜を捕縛する。
「ほう?」
「───虚空は鎖 罪科は
省略のない完全詠唱。確実に目標を消し去るための渾身の力で放つ全身全霊の超位魔法。
「───邪欲を
指先に魔力が収束し、黒い超高密度の魔力塊が形成される。
「───『
射出された黒い光弾は真っ直ぐに黒竜の胸に着弾する。
「これは───」
直後、直径二メートル強の漆黒の球体が黒竜を飲み込んだ。
闇属性の圧縮系超位魔法『
要は擬似的な小型ブラックホールだ。
とはいえ、光速でも抜け出せない程の力が働いているわけではない。空間が漆黒なのは空間表面に形成された外側に向けた圧力膜のせいだ。
この魔法はその性質上、魔力が続く限り空間を無制限に侵蝕する。そのため、圧力膜で外部空間を弾き出し引力圏の境界を定めているのだ。
だから圧力膜がある限り、この魔法が破られる事は無い。
(あとは黒竜が僅かなかすり傷でも負ってくれれば良いんだが)
しかし、そんな願望を一蹴するように球体表面にヒビが入る。
「嘘だろ…」
圧力膜を突き破り拳が出現する。圧力膜が欠けた事で空間内部に向けて大気が流れ込み、辺りに突風が吹き荒ぶ。
「中々に面白い技じゃった。が、これでは吾は止められん」
少女姿の怪物は黒髪をたなびかせながら左手を空間の中心へと伸ばす。
「まさか…ありえない…」
左手が何かを掴むように閉じられると同時に引力空間が消失し、残っていた圧力膜も砕け散った。
突風は止み、残ったのは無傷の怪物だけ。
「次はなんじゃ?どんな術を使うんじゃ?」
「あ…あぁ…」
膝から崩れ落ちる。
最大火力の超位魔法でもかすり傷一つ与えられ無かった。
人間離れした身体能力も魔法の才能もこの世界で手に入れた全てを積み上げてもまるで届かない。
所詮、俺の強さは人間のそれでしかなかった。人の理の外では何てことはないものでしかなかったのだ。
「勇者様…何が…起きたんですか…?」
背後からの声に振り返ると、そこにはマリア達三人の仲間がいた。
「ああ…!そうだ、四人で力を合わせれば……三人とも協力してくれ!俺一人じゃコイツは倒せな…いん…だ……」
最後まで言い切る前に三人は走り去っていた。
───分かっていた。彼女達は俺の財産や地位を目当てに集まってきた人達だ。割に合わなければすぐ逃げるのも当たり前だ。
(……でも最後まで、名前で呼んでもらえなかったな)
「
失意の底で項垂れる。
結局、こっちの世界に来ても俺は何も変わっていなかった。ただ惰性で目の前のレールに乗っかるだけ。何も考えず流れに沿って生きるから、取り返しの付かない致命的な状況に陥って後悔するしか出来ないのか。
別に良いじゃないか…レールに乗っかったって…俺だって、チヤホヤされても良いじゃないか…。
そんな嘆きも虚しく、黒竜が歩み寄る。
「ここまで愉しませた褒美じゃ、苦痛なく殺してやろう。それじゃあ───ッ!?」
振り下ろされた手刀は俺の首ではなく、上空より飛来した光の矢を斬り払った。
「───此奴は吾の獲物じゃぞ」
「あのさー、そいつを消すのが僕の仕事なんだよね。だからさ、邪魔しないでくれるかな?」
その声は光の矢と同じく上空より降ってきた。
白い髪。金の髪飾り。背には純白の翼。
右手に光で象られた弓を持った神秘的で中性的な女性。
「その薄汚い態度…やっぱり、あのクソのパシリじゃな」
「カッチーン。計画とは違うけど、あの方の脅威を纏めて排除できるチャンスだ。死に損ないの
「羽虫風情が吠えるでないわ」
「天に仇なす愚か者が…!死ねよ、
白い女は再び光の矢を放つ。ただし、今度はさっきの矢の十倍近い魔力が込められている。
「舐めるな!」
黒竜は射線上、俺と女の間に光の
光の矢に込められた膨大な魔力を何とか障壁で防ぎ切ったものの出力で押し負け、障壁が砕け散る。
「クソ!逃げるぞ!」
「え───どわっ!」
華奢な外見からは想像できない膂力で、自分より大柄の俺を軽々と持ち上げ、肩に担いで走り出す。
「お、おい!一体何が起きてんだよ!」
「喋るな、舌を噛むぞ。…奴は使徒。吾の本来の獲物である『雷神』の手下じゃ」
路地裏を駆け抜けながら黒竜が語る。
「貴様に殺されたあの時、吾は消耗した力の回復のために休眠しておったんじゃ。が、貴様のお陰で折角回復した力を蘇生に使い果たし、腹いせに貴様を殺しに来たら今度はクソ羽虫とバッティングじゃぞ?貴様は疫病神か?」
「とってもソーリー。でも何で休眠する程消耗してたんだ?」
「それは───チィッ!」
黒竜の障壁が光の矢を遮り、そして砕ける。
「クソ!魔力の制御が安定せん!万全ならこの程度の攻撃、百でも千でも防げるものを…!」
最早、四の五の言ってる状況じゃ無くなったみたいだ。
コイツが負ければ俺は死ぬ。だったら───
「…なぁ、その障壁に名前はあるのか?」
「名前なんぞないぞ?吾の生まれつきの能力じゃからな。貴様も自分の指にいちいち名前なんぞ付けないじゃろ」
「あー多分それだ。消耗してる上に人間になった状態で竜と同じ感覚で魔力を使うから制御が安定しないんだ。魔法として名前をつけりゃ上手くいくぜ」
「偉そうに。第一、この吾に人間ごときの技を使えじゃと?」
「ほらほら〜後ろ来てるぜ〜」
背後に迫る使徒が光の矢を番え弦を引き絞る。
「ええい、貴様の態度が癪じゃが!癪じゃが、やってやろう!」
放たれた光の矢は空中で三つに分裂した。
「マジかよ!?」
「───『
黒竜の詠唱と同時に生じた光の障壁が三発の光の矢全てを防ぎ切る。
今度の障壁は───砕けない。
「ほう…この感じなら…イケるのう!」
「ん?イケるって何が───おわっ!?」
黒竜は突然立ち止まり、俺を放り投げた。
「貴様もいつまで吾に担がれとるつもりじゃ。貴様の足で歩け」
「おやおや、鬼ごっこはもう終わりかなー?」
「阿呆か、逃げる必要が無くなったんじゃ」
白い使徒は依然として上空から俺達を見下している。
「確かに、さっきは僕の矢を防いだみたいだけどさ───これは無理でしょ」
使徒が再び矢を番え弦を引く。
「あんなもんぶっ放したら街が消し飛ぶぞ!?」
使徒の目的は俺と黒竜の抹殺。そのためには人間の街一つが消えようと構わないということだろう。
「つくづく阿呆じゃな。えーと、名前を付ければ良いんじゃったか」
黒竜が右手を天に掲げ、魔力を束ね始める。
「よし、決めた。では行くぞ───『
光の矢を迎撃する形で放たれた火球は光の矢と接触、光の矢が炸裂する間も与えずに蒸発させた。
「な、馬鹿なあ!?僕の神器が敗れることなどお───」
火球が使徒を飲み込み爆発する。
周囲に灼熱の突風が吹き抜け、上空には魔力の残滓が赤く煌めいた。
「…なあ、今の何?」
「何って、吾の吐息を一割の出力で再現した魔法じゃ。吾の障壁が『
「頭痛くなってきた…」
今の火力で一割?とか。やったら出来たって嘘だろ?とか。俺の超位魔法を上回る魔法を上回る魔法が出てきてスケール感がバグって吐きそうとか。
とにかく言いたいことは色々あるが、ひとまず危機は去った……のか?
「あー…つまるとこ、アイツに勝てたのは俺のお陰…?」
「半分くらいはそうじゃな」
「じゃあ、その功績に免じて俺を見逃してくれたりは…」
「それは無い。そもそも貴様に殺されてなければこんな面倒事は起きとらんじゃろが」
「デスヨネー」
つまり寿命が数分延びただけ。さようなら我が人生。
「───じゃが、貴様の有用性を再考した結果、此処で殺すのはやめた」
「へ?」
「人の子よ、吾と契約を結べ。雷神を殺すための契約じゃ」
「けい…やく…?」
「じゃーかーらー、あのクソ野郎に命狙われとる貴様と命狙っとる吾とでコンビを組むと言っとるんじゃ」
「…つまり俺死なないってこと?」
「癪じゃがな」
「───結ぶ!結ぼう!結びます!契約!」
「分かった、分かったから吾の手を掴んでブンブン振るな…!」
俺の手を振り払った黒竜は右手の人差し指を突き出す。
「…何?」
「飲め」
「飲めって…何を?」
「面倒じゃな…ほれ」
黒竜は躊躇いなく自身の人差し指を噛み、指の腹から赤い血が滴る。
「えっ…これ飲むの…?」
「傷が塞がる前に早う飲め」
「えぇ……分かったよ…」
滴る血を指で掬い、口に突っ込んで飲み込んだ。
「うげぇ…鉄の味がするぅ…」
「よしよし。これで貴様は吾の眷属じゃ!」
体の芯が熱くなる感覚をおぼえる。
これが契約成立ということだろうか。
ともかく、こうして俺は勇者から邪竜の眷属に
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