第十四話 僕と先輩と頭なでなで

「はっ!?」


 目を覚ましてまず目に入ってきたのは、窓から差し込む強烈な夕日の光だった。

 僕の体は部室の片隅のソファに横たわった状態で、どうやら眠ってしまっていたらしい。


「よぉ、起きたか」


 声がした方を見ると、僕のすぐ隣で椅子に座っていた先輩がこちらを心配そうに見ていた。夕日に染まったその顔が綺麗だ。


「先輩? あれ、ここは? 僕は何を?」


 寝ている間によほど強い衝撃を受けたのだろうか、頭のてっぺんがズキズキと痛む。


「……おまえなぁ、何も覚えてないのか?」


 先輩が呆れたようにため息をついた。


「茉莉と先輩と一緒に部室に来たところまでは覚えてるんですけど……どうもその先の記憶が抜け落ちちゃってて……」


「……まあ、忘れてた方がおまえにとっても、あたしにとってもいいのかもな。頭、大丈夫か?」


「先輩ひどい!? 起きて早々頭おかしい人呼ばわりですか!?」


「い、いや、そうじゃないって! そ、そのー、何だ……あたしが相当強く肘打ちしたから……」


「先輩が……?」


 ぼんやりとだが、記憶が蘇ってくる。

 そうだ、僕は何を思ったのか先輩に抱きついて……そうか、それで殴られたのか……。僕は何てことをしてしまったんだろう。


「せ、先輩、すみませんでした! 僕、あのときは頭がどうにかなってたみたいで……本当にすみません!」


 謝って許されることとも思えないが、それでも僕はただ謝るしかなく、とにかく頭を下げ続けた。


「いいんだよ、あたしの方こそごめんな……」


「どうして先輩が謝るんですか! 明らかに僕が一方的に悪いのに!」


「落ち着け。空手の世界にはな、人に打たれず人打たず、事なきを基とするなりって言葉があんだよ。手を出さざるを得ない状況にした時点で、あたしが未熟だったんだ。実際、七瀬はそれができていただろ」


「そんな……」


 そんなはずはないのに。

 この人は口調は荒っぽいけど、本当に、どこまでも優しい。思わずまたママーと叫んで抱きついてしまいそうだ。


「先輩、今日バイトあるって言ってたけど……それは……?」


「あ、あー、ははは、休んだ。流石におまえを放っていけないだろ? 玉石と七瀬も残るって言ってたんだけどな、これはあたしの責任だからって先に帰らせたよ」


 先輩はそう言って笑うだけで、決して僕を責めることはしなかった。


「……先輩、この恩は、いつかきちんと返しますから」


「バカ、おまえが恩を感じることなんか何もないんだよ。それよりも殴った詫びに、あたしにこそ何かさせろよ」


「えぇ……それこそ僕が悪かったんだから、詫びなんて……」


「そうしないとあたしがスッキリしないんだよ! べ、別におまえのためとかじゃなくて、これはそう、あたしのために言ってんの!」


「えぇ……そ、そう言われてもなぁ……」


「いいから、なんか言え!」


 先輩に何かしてもらうと言っても、これといって何も浮かばず、僕は困り果ててしまう。


 やや気まずい沈黙が続いて、やがて先輩が顔を赤くしながら、ごにょごにょと口を開いた。


「……あー……その…………じゃあ……撫でて、みるか……?」


「え?」


 その声が小さくて、よく聞き取れなかった。


「だ、だから! あたしを撫でたかったんだろ! なら撫でろ!」


「えぇ!?」


 思いもよらぬ先輩からの提案に僕は驚いてしまう。


「い、いいんですか?」


「良くなかったら……言わねーよ。その、なんだ、今回だけだぞ……」


 何だろう、これは。

 僕が悪いことをしたはずなのに、こんなことをさせてもらってもいいのだろうか。


「いやでも先輩、本当は嫌なんじゃ……」


「うっさいボケナス! 何かしないとあたしがスッキリしないって何度も言わせんな!」


 うわぁ、ボケナスって初めて言われたよ。


「わ、わかりました……じゃ、じゃあ失礼して……」


 僕が手を伸ばすと、先輩は怯えたようにギュッと目を閉じた。


「そんな風にされると、なんかイケないことをしてるみたいで罪悪感がすごいんですけど!?」


「う、うるさいな、あたしだって男子に撫でられるなんて初めてなんだから、緊張くらいするんだよ……」


 そんなことを言われるとますますイケないことをしてる気持ちになってくるんですが、先輩。


 僕は意を決して先輩の頭に手を乗せて、それからできるだけ優しく撫でた。先輩への感謝と謝罪の気持ちがほんの少しでも伝わってほしいと、そう思いながら。


 柔らかく、さらさらとした先輩の髪の感触が心地いい。いつまでも撫でていたいと思うほどだ。


 先輩は最初の方こそ緊張して固まっていたが、数分も撫でられていると慣れてきたのか、上目遣いでこちらを見て、微笑んだ。


「……ああ、たしかに……うん、悪くねぇな……誰かに撫でられるってのもさ……」


 先輩、可愛いすぎます。


 そのあまりの可愛いらしさに「先輩は押しに弱いからこのまま押し倒してしまえ」と、内なるデビル坂井が僕にささやきかける。


 しかし「いやいや何を言ってるんだ、そんなことしたら今度こそ完全に嫌われるぞ」と内なるエンジェル坂井が必死の抵抗を試みる。


 激しい攻防の末に、エンジェル坂井が勝利を収めた。……辛勝しんしょうではあったが。


「……先輩、撫でられるの、気持ちいいですか?」


 って、僕は何を言ってるんだ! くそ、デビル坂井め、まだ息があったのか……!


「……うん、気持ちいいよ」


 その言葉は、声は、僕の胸に深く刻み込まれた。

 これだけで、ご飯百杯はいけそうな気がした。


 しかし、いつまでこうしてていいんだろうか。

 もう結構な時間、先輩の頭を撫でている気がする。


 そんなことを考えていると、不意に僕の胸元に先輩の頭がもたれかかってきて、寝息が聞こえてきた。


「すぅ……すぅ……」


 よほど疲れていたのか、それとも落ち着いたからか。

 先輩は僕の胸に頭を預けて、眠ってしまっていた。


 その邪気のない寝顔を見ていると、下心なんてどこかに行ってしまう。


「先輩……本当にすみませんでした……」


 僕はそれから先輩が起きるまでの三十分間、ずっと先輩の頭を撫で続けた。


 ちなみに下心がどこかに行ったというのは嘘で、その間ずっと僕の股間にテントが設営されていたのは秘密だ。


 女の子とこんなに密着していたらテントができちゃう、だって男の子だもん。

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僕と彼女と彼女の宇宙〜性的欲求を満たしてたわけじゃないんだからね!?〜 なかうちゃん @nakauchan

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