第十二話 僕と彼女と僕の宇宙
天文部の部室のドアを開けると、
「いらっしゃい、坂井くんに七瀬さん、それに……」
玉石さんの目が先輩へと向く。
「
玉石さんの目がキラキラと輝いた。
「お、おう、なんだ、あたしのこと知ってるのか、玉石」
「ええ、先輩は有名人ですから。先輩こそ、わたしのことをご存知でいてくださったんですね。嬉しいです」
そう、先輩はその目立つ容姿から、この学園では玉石さんに負けず劣らずの有名人なのだ。噂では玉石さん同様、ファンクラブもあるらしい。
「あんたの方こそ有名人だからな」
「ふふ、そんなことありませんよ。にしても坂井くん偉い! まさかあの楠先輩を連れてるくるだなんて!」
「いやぁ、それほどでも」
玉石さんに褒められると悪い気はしない。
「鼻の下伸びてる」
「い、いいだろ別に、僕だって褒められたら嬉しいんだよ」
「ふぅん」
そう言う茉莉は相変わらずの無表情で、付き合いの長い僕でもその感情はなかなか読み取れない。
「言いたいことがあるなら言いなよ。それ昔からだけど、茉莉の悪い癖だよ」
「わ、わたしは別に……何も……」
何もなくないでしょと言おうとしたところで、玉石さんが僕らの間に割って入った。
「ほらほら喧嘩しないの。せっかく先輩が来てくれためでたい日なんだから」
「あ、うん、ごめんね。……茉莉もごめん、ちょっと僕も言い方悪かったよ……」
「……ううん、わたしのほうこそ」
「はい、仲直り」
玉石さんが僕と茉莉の手を取り、握り合わさせる。
茉莉の手を握ったのなんて、小学校の低学年以来だろうか。あの日から変わらず華奢で、柔らかい手だった。
ただ手を握っただけなのに、顔が熱くなっていくのを感じる。
茉莉も僕と同じなのか、顔を赤くしたまま
「んー? おまえら付き合ってんのか?」
先輩のその言葉に、茉莉が慌ててパッと手を離した。
ああ、名残惜しい、もっと触っていたかったなぁ……。
「わ、わわ、わたしが悠介と? そ、そんなわけないじゃないですか」
おお、男の手を握るという慣れないことをしたからか茉莉が珍しく動揺しているぞ。これは非常にレアだ。
「そっか。あはは、残念だったな坂井、脈ナシだ」
先輩が笑いながら僕の背中をバンバン叩く。脈がないのは知ってるけど、改めて言われると悲しくなるからやめてほしい。
「そう? わたしにはむしろ脈アリに見えたけれど」
玉石さんが意地悪そうに笑う。
「ち、ちが! わ、わたしは! 悠介のことフッたんだから! 好きなんかじゃない!」
動揺し、混乱した茉莉がとんでもない暴露をしてくれた!
「…………」
「…………」
「…………」
場がなんとも言えない静寂に包まれた。玉石さんと先輩の、僕を哀れむような視線がとても痛い。
「……あの、その、なんか……ごめんなさい」
玉石さんが何故か謝る。
「……あー、その、元気出せよ、坂井。あたしはおまえのこと好きでもないけど嫌いでもないぞ」
先輩が僕の肩に手を置き、慰めなのか何なのかよくわからない言葉をかけてくれた。
「……ご、ごめん、悠介」
茉莉はとても申し訳なさそうにしていた。
女の子の過ちは許すのが男だと、僕は思う。
「いいんだよ茉莉……僕は気にしちゃいないさ……何も謝ることなんかないんだよ」
「そ、そう……?」
「でもちょっと涙目になってるぞ、おまえ」
せっかく精一杯のイケボを作ったのに、先輩が余計な茶々を入れてくる。
「これは青春汁ですから! 涙じゃありませんから!」
「そ、そっか、そんな怒るなよ、悪かったって」
「さ、さーて、気を取り直して、部活をしましょうか!」
玉石さんがやや強引気味に話を仕切り直す。
「今日の宇宙探求は、そうね、傷心の坂井くんには丁度いいものだと思うわ」
「傷心してないから!? 僕は全然気にしてないから!?」
言えば言うほど自分で傷口を広げているような気がして、何だかだんだん落ち込んできた。
「……で、僕に丁度いいのって、何なのさ?」
「昨日、犬とか猫とか動物の動画を見ていたの。みんなはペットって飼ってる?」
僕含めた三人が首を横に振る。
「そう。あの子たちって、撫でられるとすごーく気持ち良さそうにするのね? あれって多分、宇宙を感じているんだと思うわ」
うっとりとしながら言う玉石さんを見て、茉莉と先輩は何言ってんだこいつっていう顔をする。
僕はもう慣れてしまったが、これが普通の反応だろうと思う。
「ああ、たしかにそうかもね。あれは宇宙の片鱗に触れているのかもしれない」
「やっばり!? 坂井くんもそう思う!?」
「うん」
賛同者を得られたことが嬉しいのか、玉石さんの瞳の輝きが増していく。
「いや意味わかんねーし……宇宙って何なんだよ?」
先輩が当然の疑問を口にする。
「宇宙――それはあらゆる感覚を超越したその先にある、快楽のさらに向こう側にある未知なる世界――」
玉石さんの瞳にハートマークが浮かぶ。
完全に向こう側に行ってしまっている彼女を見て、先輩は引いていた。
「……あー、なんていうか……玉石もやべぇ奴だったんだな……」
「"も"って何ですか、"も"って!? 僕は普通ですから!?」
「悠介、普通の人は宇宙がどうのの話についていけないから」
茉莉の無慈悲な言葉が僕に突き刺さる。
「え、そうなの……? 薄々もしかしたらって思ってたけど……僕ってやっぱりやべぇ奴なの……?」
ここは否定してほしかったが、茉莉と先輩は当然かのように頷いた。
なんてこった……今まで僕は僕のことを普通の人間だと思って生きてきたのに……僕はやべぇ奴だったのか……。
否が応でも事実を突きつけられ、僕はその場に崩れ落ち、四つん這いになってしまう。
「坂井くん、落ち込まないの」
うなだれた僕の頭を、玉石さんの手が優しく撫でた。
「玉石さん……?」
「今はまだ理解されなくても、きっといつか
「た、玉石さん……そうなのかな……」
その優しい言葉に、僕は思わず泣きそうになった。
今の僕の目には、玉石さんがまるで慈愛の女神のように見えた。
「そんな日は来ないと思うけど」
優しく頭を撫で続けてくれる玉石さんの手の感触だけが、今の僕の世界の全てだった。
――――ああ、心が満たされていく。
――――人に頭を撫でられたのなんて、いつ以来だろうか。
――――この充足感、幸福感。
――――――――これもまた、一つの宇宙、か。
「宇宙を感じたようね、坂井くん」
「うん……おかげで立ち直れたよ。ありがとう玉石さん」
きっと現実では数秒の出来事だったのだろう。しかし宇宙へと旅立った僕には、そのたった数秒が幾年もの長い年月に感じられた。
――今の僕の心にある感情、それは一つだ。
僕はゆらりと立ち上がり、一連の流れをドン引きしながら見ていた茉莉と先輩に向き直った。
――この二人にも、この幸福な宇宙を感じさせてあげたい!
「ふふ、ふふふ……」
僕の不気味な笑い声に、二人の体がビクッと跳ね上がる。
「さ、坂井……? 大丈夫か? 主に頭とか頭とか頭とか」
先輩が恐る恐るといった様子で問いかけてくるが、僕はそれを無視した。
「さあ、二人も僕と同じ宇宙を感じろ! なでなでタイムの始まりだぁ!」
宇宙ゾンビと化した僕は、二人にもこの幸福を分け与えるために、まるで獣のように飛びかかったのだった。
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