第六話 僕と彼女と幼馴染

 教室に入り、席に着く。

 茉莉とは同じクラスで、しかも隣の席だ。

 いつもなら朝のホームルームが始まるまで他愛のない世間話なんかをするんだけど、何となく朝の気まずい空気を引きずったまま、僕は何も話をできずにいた。


 茉莉が失恋していたなんて知らなかった。

 しかも時期的に言えば、僕が茉莉にフラれた直後くらいの出来事らしい。


 くそぉ、茉莉を振るなんて……相手はどこのどいつだ……!

 僕だったら絶対に断らないのに。

 そこまで考えて、僕は不意に自分の気持ちが今どこにあるのか分からないことに気がついた。


「坂井くん」


 僕は今でもまだ茉莉のことが好きなのだろうか。

 茉莉が大切な存在であることはずっと変わらないけれど、今のこの気持ちはただの幼馴染であった時とも、異性として意識し始めた時とも違う。


「坂井くんってば」


 僕は今、茉莉をどう思っているんだろう。

 ……ダメだ、分からない。


「ねぇ、聞こえてないの?」

「うわぁっ!?」


 突然視界に玉石たまいしさんの顔のドアップが入り込んできた。僕は仰け反り、危うく椅子ごと後ろに倒れそうになってしまった。


「び、びっくりしたぁ! 驚かさないでよ、玉石さん!?」


 びっくりしたのと綺麗な顔を間近で見てしまったのと、相乗効果で僕の心臓はの鼓動は大きく跳ね上がった。


「もう、わたしはずっと坂井くんのこと呼んでたのに、あなたが気がつかなかっただけじゃない」


 玉石さんが呆れた顔をする。


「え、あ、そ、そうなの?」


 隣の席から冷めた視線を飛ばされているのを感じる。恐る恐るそちらを見てみると案の定、茉莉がジト目で僕を見ていた。


「ゆーすけべ」

「ゆーすけべ!?」


 思わず茉莉の言葉をオウム返ししてしまった。

 そんな酷いあだ名、初めてつけられたんだけど!?


「ゆ、ゆーすけべって何さ、茉莉!?」


 たまらず抗議するが、茉莉は変わらず白けた目をしている。


「鼻の下伸ばしすぎ」


「の、伸びてないよ! な、なに言ってるのさ!」


「嘘。十センチは伸びてた」


「それもう顔変形してるよね!?」


「うん。変形してたよ。キモかった」


「それこそ嘘だよね!?」


「……ごめん、変形してたのは嘘。でもキモかったのは本当」


「謝罪の言葉が全然響いてこないよ!?」


 僕らにとってはいつも通りのやり取りなのだが、玉石さんにとっては面白かったのだろうか。クスクスと笑い声が聞こえた方を見ると、玉石さんが可笑しそうに笑っていた。


「あなたたちって、仲が良いのね」


「え、そう? どうしよっか茉莉、僕たち仲良しに見えるんだってさ!」


 僕としては冗談半分で言ってみたんだけど、茉莉は心底嫌そうにしかめっ面をしていた。

 ……心底嫌そうといっても、茉莉は表情筋が死んでいるので、その微かな違いを見分けられるのは幼馴染の僕たちくらいしかいないんだけど。


「……遺憾の意」


「政治家が使うやつじゃん!? そんなに嫌!?」


「今の悠介は目がエロいから嫌」


「エ、エロくないよ!? 僕はいつも通りだよ!」


「ふん」


 これ以上話すことはないと言わんばかりに、茉莉はそっぽを向いてしまった。

 な、何なんだろう、今日はやけに突っかかってくるな……。


「そういえば玉石さん、僕に何か用?」


 相も変わらず、僕たちのやり取りを見て笑っている玉石さんに聞く。


「ええ、ちょっと坂井くんにお願いしたいことがあって……放課後、また部室に来れるかしら?」


 放課後……部室……。

 先日の肌色風船事件を思い出してしまい、危うく僕の股間の肌色風船も膨らみそうになる。


 落ち着け坂井 悠介……朝の爽やかな空気の教室で股間にテントを張ってたら、間違いなくやばいやつだぞ……。


「う、うん、僕は大丈夫だよ」


 どうにか平静を保ちながら返事をすると、茉莉が訝しげに聞いてきた。


「……悠介、いつの間に玉石さんとそんなに仲良くなったの?」


「ちょ、ちょっとしたご縁があってね……」


 流石に、玉石さんは実は足をつらせて宇宙を感じる変態で、その秘密を共有したから仲良くなったんだよとは言えない。


「ふぅん……縁、ね……。放課後、二人きり?」


「ま、まあ、そうなるのかな?」


 茉莉の詰問するような口調に居心地が悪くなり、僕は助けを求めるように玉石さんに視線を送った。


 た、助けて玉石さん……!


 果たして、彼女は僕の心の声に気がついたのだろうか。玉石さんはニッコリと笑うと、僕ではなく茉莉に声をかけた。


「そうだ、じゃあ七瀬さんも坂井くんと一緒に来ない?」


「え!? い、いいの、玉石さん!?」


 僕は驚いて素っ頓狂な声をあげてしまった。

 宇宙のことは二人の秘密ではなかったのか?


「七瀬さんがいいならね」


 ……ちょっとだけ残念な気持ちになる。

 いやいや、でも、これは茉莉に新しい友達ができるチャンスなのでは?


 隼人と高志は受験に落ちて別の高校に進学したので、同じ高校に茉莉の友達は僕しかいない。

 茉莉のコミュニケーション能力は壊滅的だ。さっきも言った通り表情筋は死んでいて、口数も少ない。


 今はまだいいかもしれないけど、このまま社会に出たら茉莉は生きていけないんじゃないか?


 ……心配だ。


「茉莉、どうする?」


 茉莉が口元に手を当てたまま一向に返事をしないので、改めて問いかけてみる。


 暫しの沈黙の後、茉莉はようやく口を開いた。


「…………行く」


 ポツリと、そう呟いた。


 積極的に人と関わることを好まない茉莉がそう言ったのは意外だったけど、僕はそれ以上に嬉しい気持ちになった。


 もしかしたら、茉莉も変わろうとしているのかもしれない。たぶん僕は、その手伝いをできることが嬉しいんだと思う。

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