4-12・エピローグ
その後、すぐ解散となった。明崎さんが一人で帰ろうとしたので、家まで送ろうと提案した。が、断られた。やむをえず、寅絵に明崎さんを任せた。明崎さんは寅絵のことまでは拒否しなかった。
寅絵は、俺が指示すれば明崎さんに対してスパイのようなこともしたかもしれない。しかし結局、俺は指示を出さなかった。紅邑寅絵への主導権を握っていることは確かだったが、行使するかどうかは俺の気分次第だ。今日は、気分ではなかった。
「ひとつ言っておくわ、朔夜さん」
別れ際、寅絵が俺に声をかけた。
「アタシはアナタたちの約束の証人よ。明ちゃんとの約束は決して
「……」
「あの子の手を離しちゃ駄目よ。助手なんでしょう?」
俺は、なんとなく寅絵から視線を逸らした。
「わかっています」
「アタシ自身はものの見事に失恋しちゃったけど、それでもアナタのこと、やっぱり嫌いにはなれないわ」
俺は心の中で物好き、悪食、蓼食う虫のどれが相応しいか悩んだ。
「アナタにとっての幸せってなんなのかしら。アタシも明ちゃんもそれを祈っているのに、アナタは、どうやらそうじゃない。なにがアナタの幸せなの? どうすれば、アナタは幸せになるの?」
「あなたには関係のないことだ」
「そうね。でも、明ちゃんもアタシと同じ気持ちだと思うな」
俺は、とうとう寅絵を見ないまま腕時計を見るフリをして背中を向ける。
「今日は失礼します」
寅絵は「そうね」とだけ返すと、明崎さんをタクシーに案内した。寅絵はもう俺からの別れの言葉を欲しがらなかったし、俺も、彼女に微笑んで手を振ったりなどしなかった。
俺にとっての幸せ? そんなもの存在するのだろうか? 幸せって、なんだ? どういう状態を定義する?
それは俺にとって本当に必要か?
「……疲れた」
二台目のタクシーに乗り込んで目を閉じる。運転手は無口な男らしく、必要以上には話しかけてこなかった。目的地に到着するまでの短い間、車の走行音を聞きながら微睡む。
夢の中、俺は食卓について三人のシェフに詰め寄られていた。誰の料理が一番だった? 一人目のシェフ、紅邑寅絵が勝気に尋ねた。素直な感想が聞きたいです。二人目、明崎さんが優しく微笑みながら言った。そして三人目――絶世の美貌に冷たい軽蔑を浮かべた長身の女が食卓越しに俺を睨みつけていた。ウェーブする豊かな黒髪、露出の多い派手な黒のドレス、黒のハイヒール、指先には黒のマニキュア、宝石を中心とする装飾品を指に、腕に、首に、足につけ、天井から釣り下がるシャンデリアの灯りを四方八方に反射している。女は腕を組みながら、時折、不機嫌そうに髪を掻き上げた。その仕草はどれも洗練されていて、映画の一場面から抜け出してきたみたいだ。女は
気付くと、紅邑寅絵と明崎さんはいなくなっていた。食堂には俺と女の二人きり。そこは生まれてから十五の冬まで過ごした屋敷で、俺の手元には新品のカトラリーが並んでいた。
いつのまにか隣にいた女が俺の髪を掴んだ。私の料理が一番だったろう。再度、女は言った。俺は急に明崎さんのクッキーが、マフィンが、アップルパイが恋しくなった。女は答えない俺を床に引きずり倒した。このあとどうなるか知っている。背筋が凍り付いて動けない。呼吸が乱れる。地面がぐらぐら揺れている。寅絵のせいだ。あの女が昔の話なんか持ち出すからこんな夢を見るのだ!
「お客さん、大丈夫ですか?」
男の声にハッとして目を開ける。タクシーは止まっていた。目的地についたのかと窓の外に目をやれば、渋滞に捕まっているだけだった。ルームミラーに映る俺の顔は真っ青で、呼吸は浅く、冷や汗が滲んでいる。
「そういえばお客さん、ナントカっていうキラープロデューサーは知ってますか? 最近、テレビのほうは下火なんですけどね、うちの業界では、まだ、噂になってまして……」
無口なはずの運転手は、なにか、取り留めもない話を不器用に語り出した。気を遣われているのかもしれない。
運転手の下手な話を
◆第四話『探偵たちの饗宴』了
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