1-8・解決
午後三時、ジャズの流れる喫茶店。俺と明崎さんは隣り合って座りながら河渡が来るのを待っていた。今日の明崎さんは淡いピンク地に白い花柄のワンピース姿だった。上に羽織るのはネイビーのジャケット。足元はダークブラウンのショートブーツ。やはり、アクセサリーの類いはつけていないようだ。
河渡が明崎さんに事件の依頼をしてから一週間が経過していた。その間に犯人である為池は警察に事情聴取され、逮捕のち犯行を自供している。俺が河渡に会うのは一週間振りだが、明崎さんは今日までに何度か彼女と会い、メンタル面でのケアをしていたらしい。そうして河渡の精神がある程度安定してきたところで、今日の報告会である。
俺はコーヒーを、明崎さんはミルクティーを注文し、やがて金髪ピアスの店員が席まで運んできた。
「お待たせしたです」
店員の男は明崎さんにミルクティーを渡しつつ「お連れ様をお待ちな感じッスか?」と俺に声をかけた。
「よく覚えているね」
「まあ、そっちのお姉さんはそろそろ常連さんかな~とオレは思うんで。それに、お兄さん滅茶苦茶イケメンなんで。印象に残りまくりッス」
店員は明崎さんに向け「ね」と同意を求めた。つられて、俺も隣の明崎さんを見る。
「そ、そう、ですね……」
明崎さんは若干ぎこちなく笑いながら俺と目を合わせないよう斜め上を見た。
「お、お綺麗な顔だと……思います……」
顔を見ないままに言われているが。
しかし店員の男は「ははぁ、なるほど」となにやら納得したように言ったあと「ごゆっくりです」と席から離れていった。
場には二人分の飲み物と、気まずい沈黙だけが存在していた。
「こ、紅茶、いやコーヒー、冷めないうちに! ね! 砂糖とかミルクとか入れないんですかね、黒繰さんって! わた、私はお砂糖入れようかな!」
何故か俺の注意を飲み物に逸らそうと必死な明崎さん。それをまったく無視して明崎さんを見ている俺。
ここで考えられる可能性は二つ。一つ目は、明崎さんがシンプルに俺をちょっと避けている可能性。嫌われれるようなことをした覚えはないが、こういうのはやった側には自覚がないことがほとんどだ。気付かないうちにやらかしている可能性はゼロではない。二つ目は、まあ俺も自分の顔が整っている自覚がないわけではない、そんな俺の『お綺麗な顔』に明崎さんが緊張している可能性だ。
普通に考えると、前者だろう。出会って三ヶ月にもなるのに顔を見るだけで緊張を覚えるというのも考えにくい。
そうか……じゃあ俺はなにかやらかしているのか……優しい明崎さんのことだ、きっと、俺がなにか気に入らない行動をしてもその場で指摘ができなかったのだろう。どれだろう。今日はきちんと駅前で待ち合わせて一緒に歩いてきたはずだし、間違いなく車道側を歩いていたと記憶している。明崎さんが隣にいるときは極力スマホなんかを見ないようにしているし、他の女性へ目移りすることもなかったはずだ。会話についても滞りなく世間話に興じたと思う。……そういえばお礼のお菓子のリクエストを聞かれたんだった。俺はそれに「なんでも大丈夫だよ。明崎さんの得意なお菓子で」と……、! まさか、これか!? なんでもいいが一番困る、そういうことなのか!? いや、違う、弁明させてほしい。これは俺にアレルギーや苦手な食品がないことを示したうえで『君の得意としているお菓子が食べたい』という、換言して『一番作り慣れているお菓子で大丈夫だよ』という、一種の気遣いを込めた……
「あ、河渡さん! こっちです!」
隣に座る明崎さんが、いつの間にか入店していたらしい河渡に向け手を上げる。それを受け、ライトブルーのニットにジーンズ姿の河渡が窓際ボックス席の向かいに座った。
「その……このたびは犯人を見つけてもらって、ありがとうございました! 私……本当に、感謝してて……」
河渡は明崎さんと俺に頭を下げながら笑顔を見せた。初対面時よりその雰囲気は明るく、俺への、つまり男性への恐怖心というのも薄らいでいるように見える。
俺は「よかったですね」などと相槌を打ちながら明崎さんへのお菓子のリクエストに『なんでもいい』をチョイスしてしまった現実に打ちひしがれていた。失敗だったし失態だった。次からは、なにか、具体的なリクエストをしよう。なんでもよかったのだ。クッキーとか、……クッキーとか。駄目だ。次回までにもっと手作りお菓子への解像度を上げておかなければならない。帰りに製菓系の本でも買うか。
「今日は、なんていうか、説明会のためにみなさんに集まってもらったんです」
明崎さんの声に意識を現実に引き戻せば、どうやら、河渡がこれまでの不安を吐露し乗り越え立ち直るまでの報告とそれを慰めたり励ましたり今後の幸福を祈ったりするフェーズは終わっていたらしい。全然聞いていなかった。しかしこの手の報告は話す側が話したいだけ話すことこそが重要なので聞いていなくても問題ない。よし。
「説明会というのは、コンクリートブロックが落下した時点で地上にいたはずの為池さんがどうやって屋上からブロックを落とし得たのか、そのトリックについての解説になります」
今日の本題である。
俺は思考を切り替える。いつまでもくよくよしていては、これから始まる明崎さんの推理披露が楽しめないというものだ。
「結論から言って、今回のトリックは『糸を切るトリック』です」
「糸を、切る?」
不思議そうな顔の河渡に明崎さんは「そうです」と首肯する。
「事件前夜の時点で屋上の端にコンクリートブロックを紐で支えるかたちで設置しておき、事件当日その紐を切ることでブロックを落とした……というのがトリックの大筋です」
「で、でも、ブロックが落ちてきたとき、犯人は私に声をかけていて……つまり、地上にいて……」
「そう、このトリック最大の利点はその場にいなくても紐が切れることです。焼き切る、という言い方がより正しいでしょう」
明崎さんはスマホを取り出し、河渡に写真を見せた。それは鍵が壊れ開いたまま閉まらない屋上扉の写真だ。
「現場は白いナイロン紐で装飾されていました。コンクリートブロックを支えていた紐も同じものです。そして、警察が駆けつけたとき屋上扉は半分開いた状態でした」
明崎さんはスマホ画面をスライドさせ、屋上のギリギリで溶け切った蝋の写真を河渡に示す。そして言った。
「犯人はブロックを支える紐を壊れて閉まり切らない扉に引っかけ、その紐を屋内に立てた蝋燭で焼き切ることで地上にいながらブロックを落としたんです」
そう――今回は遠隔トリックまたは時間差トリックに分類されるものだ。
時系列はこうだ。事件前日の夜、屋上に侵入し黒魔術の装飾を施す。このとき足跡を残さないよう靴を足ごとビニール袋で包んでおく。装飾後、コンクリートブロックを屋上の端に落下ギリギリの状態で、紐で支えるように立てて設置する。このとき、立たせたブロックを支える紐は二本以上が好ましく、横だけではなく縦にも紐をかけることが必要であり、場合によっては紐を三つ編みにすることで紐自体の強度を上げたり、しかし蝋燭で切るための紐は強度を上げるべきではなかったり――等々、細かな注釈が入るのだがこの場では割愛する。翌朝、河渡がアパートの部屋を出るタイミングで紐をかけた屋上扉のそばに欲しい時間の長さ分だけの蝋燭を立て火をつける。その間に屋上から降り、道を歩く河渡に声をかけ、落下ポイントまで誘導する。やがて短く消えかける蝋燭が、ブロックを支える紐を焼き切る……。
「現場は白いナイロン紐で装飾されていました。その紐には二種類の意味が込められています。一つは、コンクリートブロックを落とすため。もう一つが、コンクリートブロックを落とす本命の紐を隠すためのミスリードです。警察から詳細を聞けたわけではありませんが、おそらく、現場には焼ききれた紐が残っていたはずです」
「ま、待ってください。じゃあ、この魔方陣は……?」
「それこそ、ミスリードです。そもそも今回、屋上に残っていた魔法陣や溶けた蝋や虫の串刺しに意味らしい意味はありません。むしろ、紐を隠すなら紐の中、蝋を隠すなら蝋の中……本命をそうと悟らせないためのノイズだったんです」
さらに言及するなら、このトリックの肝は『いかに被害者を落下ポイントまで誘導するか』にかかっていた。為池は、そこでミスをした。河渡が為池の話に足を止め耳を傾けていたなら、もっと成功に近付いたのかもしれない。が、元々そんなに成功率の高いトリックではない。俺の店で売っているトリックは最低金額三百万円からスタートする。このトリックは俺の記憶が確かなら最低額で売っていたはずだ。もちろん、金額は成功率や完成度に比例して設定されている。
「あの朝、声をかけられたとき、足を止めなくてよかったんです。今回、犯人の為池さんは動機として心中をほのめかしていると聞いています。だから……河渡さんが無事で、軽い怪我で済んで、本当によかった」
河渡は推理を聞く間ずっと驚いたような顔をしていたが、明崎さんの『本当によかった』という言葉を聞くと涙ぐみ「本当に、ありがとうございました……」と頭を下げた。
為池の動機には、俺はあまり興味がなかった。為池真鯉は河渡蛍の先輩にあたる大学生だったらしい。河渡いわく、接点はさほどないはずだったということだがこれは被害者側の意見だ。自覚なく為池に優しさを振る舞っていても河渡は覚えてなどいないだろう。とにかく、理由はわからないがストーカー行為の果てに心中しようと思い立ち、為池は俺のトリックを買ったのだ。だとしたら、なぜ、このトリックだったのか。もっといいトリックが他にもあったはずだ。あるいは、学生という身分では三百万しか用意できなかったのだろうか。うら悲しいことだ。もちろん俺は金に困ったことがない身分だし、この副業で身を立てているわけでもない。それでも、トリックにそれなりの金額を設定しているのはそれが買い手の覚悟の値段だからだ。
人間を殺すための商品なのだ。それを買うというのであれば、相応の覚悟を見せてほしい。俺の店の金額設定はその覚悟を金というかたちで清算しているにすぎない。
為池真鯉が三百万しか用意できなかったのなら、それは彼の覚悟がその程度だったというだけのことだ。
俺の店でトリックを買った客だからといって、同情するわけでも感情移入するわけでもない。どうでもいい。興味がない。どうとでもなればいい。それは為池だけでなく河渡もそうだ。極論、今回失敗した心中が成功していようとなんとも思わない。明崎さんは河渡を過度に気にかけているが、それも、俺からしてみれば理解が及ばない。明崎さんにとって、友人の紹介で知り合っただけの河渡はそこまで重要度の高い人間なのだろうか? ただの依頼人、ただの被害者、ただの新しい知り合い。たびたび会ってメンタルケアをするほどの関係か? 俺なら、そうは思わない。
もちろん、そこも含めて明崎さんの美点なのだが。
しかし美点はときに欠点へと反転する。その優しさに付け込まれ足を取られ泥を被るとき、彼女がどのような反応をするのか――興味がないと言えば嘘になった。
が、そんな事態を防ぐのもまた俺という助手の役割なのだろう。
河渡が明崎さんに「本当にお世話になりました」と白いハンカチを返すのを眺めながら、俺は欠伸を噛み殺した。
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