第7話 契約

「戻ったわ、メイ」


 双子が地下監獄を崩落させ、二人を連れて自室に戻った私は、部屋の掃除をしているメイに声をかけた。

 すかさず仕事の手を止め、彼女はこちらへ頭を下げてくる。


「お帰りなさいませ、お嬢様」


 しかし次に顔を上げると、彼女は双子に気づいたのだろうか。

 やや怪訝な顔をして、私に尋ねた。


「あの、お嬢様…失礼ですが、そちらのお二人は」

「あぁ、紹介するわ。私の弟と妹よ」

「弟と、妹…?」


 彼女が首を傾げる。

 まぁ確かに、私、グレイス・ガルシオンには年下の兄弟が双子を除いて三人いる。

 彼らはずっと地下にいたし、メイが知らないのも無理はない。

 しかし、しばらく考えて思い当たる節を見つけたのだろう。

 彼女は目を丸くした。


「まさか、あの地下監獄の化け物たちのことですか!?」

「メイ。…この子たちも一応、ガルシオンの子供なのだけれどね」

「あ…し、失礼致しました」


 私が無礼を嗜めると、メイはすぐさまはっとし、謝罪した。

 …いくら継承権を剥奪され、人工的に造られた存在だったとしても、彼らは私たちと同じ姓を持つガルシオンの人間だ。

 同じ公爵家の人間ならまだしも、それを理由に他家の人間が二人に礼儀を欠くのは見当違いだろう。

 …当の本人たちは、この話が聞こえているのかすら危ういが。

 私は二人にちらと目をやった。

 彼らは初めて見る外の景色に興味をそそられているのだろう、手を離して走り回ったりはしないにせよ、僅かにきらきらと目を輝かせてあたりを見回していた。

 先程彼らに直接聞いたところ、二人の名は、兄の方はヘル、妹の方はアビスというらしい。

 噂の通り、「地獄」の名を持つ双子だ。

 私はドレスを床に垂らしてしゃがみこみ、彼らに目線を合わせると、できるだけ穏やかな声に努めて言った。


「二人とも、そんなに畏まらなくてもいいわよ。楽にして頂戴」

「…」

「…」

「え、えっと…そうね、何か欲しいものはある?食べたいものでもいいわ」


 問いかけにも無言で応じる彼らにしどろもどろになりながらも、私は思いつきで提案してみる。

 協力を持ちかけるにも、まずはお互いにリラックスして話せる環境が必要だろう。

 私の言葉に、双子は顔を見合わせる。


「…あめ」

「飴?」

「…うん。あめ、食べたい」

「まあ…本当に飴玉が好きなのね。メイ、厨房に飴はあったかしら?」

「そうですね、来客用のものだったらあったと思いますが…それでもよろしければ」

「かまわないわ。できるだけたくさん持ってきて頂戴」

「承知しました」


 メイに命じると、彼女はそそくさと部屋を出ていった。

 メイがいないくなり、再び私たちの間に気まずさが戻ってくる。

 このまま彼女が戻ってくるまでこの空気に耐えるのは、流石に厳しい。

 私はなんとか話題を捻り出した。


「…それにしても。ヘルはまだしも、アビスはほとんど喋らないのね。恥ずかしがり屋さんなのかしら」


 精一杯の笑顔をつくってみるが、自分で見なくても、明らかに引きつっているのがわかる。

 …この顔のせいで、怖がられないといいのだが。

 笑みを作って警戒されては、流石に傷つく。

 しかし、そんな私の顔を前に不思議な顔をしたのは、兄のヘルの方だった。


「…アビスは、ぼくとしかはなさないよ」

「…?そうなの?」

「うん。ぼくは、アビスの心臓だから」

「心臓…?」

「そう。アビスの心臓は、ぼくなの」


 彼の言葉に、私は戸惑った。

 アビスの心臓がヘルというのは、いったいどういうことなのだろう…?

 二人は生まれてからずっと一緒だろうし、見たところ、かなり仲が良いように見える。

 それくらいお互いを大事に思っている、ということなのだろうか?

 どちらにせよ、小さな子供が言うことはわからない。

 返答に困っていると、タイミングよく、メイが籠いっぱいの飴玉を持って部屋に帰ってきた。


「持って参りました、お嬢様」

 助かった、と私は胸を撫で下ろす。

「ありがとう、メイ。さ、二人とも。遠慮せず、たくさん食べて」


 私がそう促すと、二人はさっそく目を輝かせ、互いに床に座り、そわそわと飴の包みを開き始めた。

 ちゃんと椅子に座らせようかと思ったが、この夢中さだ。

 邪魔をしても悪いと思い、私は黙って彼らを見守ることにした。

 それにしても、なんでも好きな物を頼んでいいとは言ったが、まさか飴玉を要求されるとは。

 彼らくらいの年頃なら、いくら監禁されていたとはいえ、もっと高価なものを求めるだろう。

 何か、飴玉に深い思い入れでもあるのだろうか。


「…」


 私はしばらく、彼らの様子をテーブルに頬杖をつきながら眺めていたが。

 籠の中の飴玉が減ってきた頃。

 思い切って、彼らに話しかけてみた。


「…ねえ。ヘル、アビス」

「…?」


 リスのように頬にいっぱいの飴詰め込んだ二人が、こちらを振り返る。

 喉に詰まらないといいが、と一瞬そんな心配がよぎるが、私は続けた。

 姿勢を正し、私は彼らに向き直る。


「あのね。さっきも言ったけれど、私が二人をここに連れてきたのは、あなたたちにお願いしたいことがあったからなの」

「…」

「…あなたたち二人の力を、私に貸して頂戴。私が継承戦で生き残るには、あなたたちが必要なのよ」


 力強く、私は彼らに訴える。

 …回帰した直後、継承戦で生き残るため、前世と同じ間違いを犯さないため、私が真っ先に考えたのは、ジークとの婚約破棄と二人に協力を求めることだった。

 二人の力は強力な反面、想像を絶する危険を伴うため、私のように彼らの力を借りようと考える候補者は現れないだろうと踏んだのだ。

 そうして実際、私は彼らを連れ出すところまでは成功したのだが。

 つまるところ、今の私には情けなくも、彼らに協力を仰ぐ以外継承戦を勝ち抜く方法はないのだ。

 ここで二人に拒絶されれば、私は完全に生き残る術を失う。

 かなり危険な賭けだが、成功させるしかない。

 私はぐっと拳に力を込める。

 沈黙が流れる中、先に口を開いたのはやはりヘルの方だった。


「…それは、ぼくたちとけいやくをむすびたい、ってこと…?」

「契約…そうね、あなたたちからするとそうなるかもしれないわ」

「…」

「対価は問わない。命以外なら、どんな代償でもかまわないわ。力を貸してくれるなら、どんな願いも叶えてあげる」


 私は椅子から立ち上がり、再び屈んで彼らと目線を合わせた。

 二人の表情は微動だにしない。

 長い沈黙に、私の頬を冷や汗が流れ落ちていくのがわかった。

 …彼らはいったい、私に何を要求してくるつもりだろう。

 私の命以外で、とは言ったが、何を考えているのかわからない二人のことだ。

 もしかしたらこの公爵家の存在や、はたまたはこの国を…皇位を欲しがる、なんてこともありえるかもしれない。

 いや、もしくは彼らが使う黒魔法の唯一の弱点であり相反する光魔法、神聖力の集う教会の壊滅か。

 だとしたら、教皇の一族のアミュレット家であるノエル・ガルシオンとは、いち早く対立しなくてはいけなくなるが。

 対価は小さなものに越したことはないが、帝国を滅ぼすほどの力を持つ彼らに手を借りようとしているのだ。

 それなりの覚悟はしておくべきだろう。

 私は固唾を飲み、彼らの動向を伺っていたが。

 ヘルは籠に残った最後の飴を手に取ると包みを開き、それをアビスの口にころんと転がし込みながら言った。


「…いいよ」

「えっ…ほ、本当!?」

「うん…けいやく、おねえちゃんとしてあげる。あと、たいかもいらない」

「いらない…!?」


 ヘルの予想外の発言に、私は思わず仰天し声を張り上げた。

 がばっと、はしたなくもドレスを翻して勢いよく立ち上がり、呆気にとられる。

 対価がいらないとは、いったいどういうことなのだろう。

 もちろん、契約者が代償を必要としない場合、対価の回収は必須では無いが。

 だが、これではあまりにも釣り合いが取れなさすぎる。

 いくら私でも幼い子供を利用して、見返りを支払わなくていいと手放しで喜べるほど非情ではない。

 そんな私の考えに反して、ヘルは小さく首を振った。


「おねえちゃんは、ぼくたちをあそこから出してくれたし、これからもこのお家でめんどうをみてくれるんでしょ?たいかは、それでじゅうぶん」

「それは、そうだけれど…でも、それじゃあ流石に悪いわ。私の気が済まないの。何かないかしら」

「…」

「…む、無理にとは言わないけれど」

「…じゃあ、ぼくとアビスに毎日あめをちょうだい。それなら、いい…?」

「かまわないけれど…本当に、それだけでいいの?」


 私が聞くと、ヘルは迷わずこくっと頷いた。

 飴を貰えると聞いたからか、その顔は心做しか嬉しそうに見える。

 …契約を結ぶことには成功したようだが、本当にこれでよかったのだろうか。

 少し不安になった私は、思い切って二人に尋ねてみた。


「ねえ…どうしてあなたたちは、こんなにも私に優しくしてくれるの?」


 ふと彼らと目が合う。

 紅い二つの双眸が、こちらを静かに見つめていた。

 正直なところ、彼らがここまで私に親切に接してくれる真意がわからない。

 二人は生まれつき意思が著しく弱いというが、それに倣って欲も少ないのか。

 だがもし本当にそうならば、強欲な私の父が彼らを数年間もあの監獄に放置しておくはずがない。

 底なしの欲を持つ当主のことだ。

 ヘルたちの力を存分に利用し、皇家を滅ぼすなり、他勢力の家門を潰しにかかったりしたはずだろう。

 それだというのに。

 だが、ヘルは続けた。


「…おねえちゃんがあのとき、あめ、くれたから」

「…?それって、さっき言ってた…?」


 ヘルが言っているのは、先程地下監獄で会った時も話していた、幼少の私から飴玉をもらったという話だろう。


「…」


 やはり再度耳にしても、そのようなことをした記憶はないし、人違いにしか思えないのだが。

 仮に本当に彼らが私を誰かと間違えているなら、その見返りを私が受けてしまうのは気が引ける。

 飴玉を食べ終わり、ヘルはアビスの手を引くと立ち上がり、もう片方の手を私に差し伸べた。


「ヘル…?」

「…おねえちゃん。て、だして」

「え、えぇ」


 彼に言われるがまま手を差し出すと、左手をアビス、右手をヘルの小さな手のひらがきゅっと握られた。

 何をするつもりなのだろう、と私が首を捻っていると。


「きゃあッ!?」


 突如、先程地下監獄でも見た赤黒い閃光が私の目の前に飛び散った。

 目が潰れるほどの眩しさだった光はしばらくすると明るさを弱め、ぱあああっと淡い光を放ち始める。

 目を細めながら二人を見てみると、彼らは私には聞き取れない言葉で、ぼそぼそと何かを呟いていた。

 途端、私の指先から腕へと、するすると赤い蔦のようなものが這い上がってきた。


「な、何…っ!?」


 血管のようにも見えるその線は、やがて私の左の甲に収束すると、するすると美しい魔法陣の形をかたどり始める。

 ぱっと二人が私から手を離す。


「ふ、二人とも、これは…」

「…けいやく、できたよ」


 ヘルの言葉に私は、え、と思わず聞き返した。

 次から次へと突飛なことが起こり頭が混乱していたが、なるほど、今のは契約の儀式だったのか。

 ヘルはそっと、私の甲の上にできた魔法陣を指で触れた。


「…ぼくたちが生きているあいだ、このけいやくはゆうこうだから。これは、そのあかし」

「…」

「…われらヘル・ガルシオンとアビス・ガルシオンは、おねえちゃんがけいしょうせんでいきのこれるよう、じんりょくすることをここに誓います」


 彼は拙い言葉でそう呟くと、アビスと代わる代わる魔法陣の紋に口付けをした。

 まだ幼い子供であるのにその仕草が妙に大人びていて、可愛らしい反面どこかドキッとしてしまう。

 …地下監獄の化け物。地獄の名を持つ、人工的に造られた半魔半人の呪われた双子。



この口付けは、私が彼らの力を手に入れた瞬間だった。

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