第6話 地下監獄の化け物達

 かつて英雄が治めたファーガス帝国に、唯一存在する公爵家、ガルシオン。

 その広大な屋敷の真下には地下監獄と呼ばれる、とある幼子を幽閉した、禁呪に満ちた空間が存在した。

 誰も近寄らず、誰も近寄れないその空間には見張りすら立たず、立てばその者は近いうちに病魔や死に苛まれるという。

 そしてその中には、手と足を鎖で繋がれ、水も食料も与えられないまま、ただ壊れた人形のように永遠に問答を繰り返す、二人の化け物が存在した。

 「地獄」の名を持つその半魔半人の化け物たちは互いに手を握り合い、今日も秘密の会話を囁き合う。


「ねえ、アビス?」


 底なしの闇を連想させる漆黒の髪に、鮮血のように赫焉と鈍く輝く真紅の眼。

 そのような容姿をした齢四、五ほどの幼い化け物は、隣にいるまた同じ姿をした化け物の少女の頬に手を伸ばす。


「なあに、ヘル?」


 アビス、と呼ばれた少女は、伸ばされた少年の手に触れながら、録音機のように決まった台詞を返答する。

 このやりとりはもう既に永遠に、何万回と繰り返されてきたことだが、彼らは飽きず、ただ壊れたように彼らだけの言葉遊びを続ける。


「きょうね、おきゃくさんが来るよ」

「きょうね、おきゃくさんが来るの」

「まえにも、会ったね」

「まえにも、会ったよ」

「もどってきたんだね」

「もどってきたよ」

「こんどは、うまくいくといいね」

「こんどは、うまくいくよ」

「飴、またくれるといいね」

「飴、またくれるよ」



呪われた双子はあの日のように、今日も彼女を待ち続ける。





 ランプを片手に、地下監獄への階段を一段ずつ、ゆっくりと降りていく。

 じめじめと湿気が籠り、カビ臭さの蔓延する地下牢には人ひとりおらず、ただ、カツーン…カツーン…とヒールを踏み鳴らす音だけが牢に木霊する。



ガルシオンには、「地下監獄の化け物」と呼ばれる、二人の怪物が存在した。



 数年前。

 私たちの実父であり現公爵家当主、ロゼット・ガルシオンは内密に屋敷に魔術師たちを収集し、とある実験の一環として、彼の血と黒魔法により人工的な二人の半魔半人を作り出した。

 帝国では、魔術師は先の戦争で皇室から大規模な制裁を受けており、今では皇帝に仕える宮廷魔術師以外、ほとんど存在しない。

 父はそんな魔術師たちの生き残りを集め、糾弾される危機をおかしながらも彼らを生み出したわけだが。

 そうして重大な禁忌を経て誕生したのは、帝国を一夜にして滅ぼすことができるほどの莫大な魔力を持った、正真正銘の化け物だった。

 だが魔術のみでは複雑な神経の入り組む脳までは完全に再現できなかったのか、彼らの意志は弱く、誰かが命令などを下さない限りは彼らが自ら帝国に害をなすことはないということで、当主は二人の継承権を剥奪し、今も彼らは見張りすら立たないこの地下監獄に幽閉されている。


「…」


 …私は、彼らの力を利用してみるつもりだ。

 彼らは人工物とはいえ半分人間であり、そして半分は魔力でできた何か。

 当然、その対価は尋常ではないとわかってはいるが。

 上手く気に入られれば、継承戦をより優位に進められる強力な足掛かりとなるのは確かだ。



 階段を降り切ると、とうとう彼らを長年閉じ込めている牢が見えてきた。

 二人から溢れた魔力が満ちているせいか、牢屋に近づくにつれ、徐々に体が重くなっていくのを感じる。

 緊張で、額から冷や汗がたらりと垂れる。

 恐る恐る、彼らの待つ監獄の前へ立った。

 そして。


「…!」



その言葉にも変えられない悲惨さに、私は思わず絶句した。



 決して広いとはいえない牢屋の中央に、互いに抱き合うようにして横たわる、まだ体の小さな子供。

 私が息を飲むと彼らは私の存在に気がついたのか、ゆっくりと身を起こした。

 手足に繋がれた枷がじゃらりと音を鳴らし、濁りきった紅い目がこちらをぼんやりと見つめる。


「…だあれ…?」


 そう声を出したのは、少年の方の化け物。

 彼はこちらに僅かに興味を示す反面、警戒するようにぎゅっと妹を抱き寄せていた。

 怖がらせては、彼らと交渉すらできないかもしれない。

 私は声を和らげた。


「大丈夫よ、あなたたちを傷つけることはしないわ」

「ほんと…?」

「えぇ。…初めまして。私はグレイス・ガルシオン、あなたたちの姉よ。今日は、あなたたちにお願いしたいことがあってきたの」

「ぼくたちに…おねがいしたいこと…」

「そうよ。…あぁでもそうね、その前に」


 私はちらりと、彼らを縛る鎖に目を向けた。

 彼らの力を使うにも、ここから出ることは先決だ。

 だが牢だけではなく、手足の自由も奪われているとなると、話は変わってくる。

 一応監獄は錠前で閉じられており、護身用に持ってきた短剣でも破壊可能だが、流石に鎖を断つことはできない。

 彼らの存在は秘匿されているため、公爵は目に見えるところに鍵など置いていないだろうし、そもそも足枷を解く鍵が存在すること自体怪しい。

 メイに頼んで金槌でも持って来させるべきだろうかと、顎に手を当て思案し始めた時だった。



ひたり、と白く小さな手が、私の頬に触れた。



「えっ」

「ぐれいす…、がるしおん…」


 手を伸ばしてきたのは、少年だ。

 少年はうわ言のようにそう私の名前を復唱すると、じっと緋色の瞳で私の顔を覗き込んだ。


「…かえってきたの…?」

「………え?」

「…おかえり」


 今まで無表情だった彼の顔がその瞬間、ふっと緩んだ。

 愛らしい少年の顔が、私を見つめる。


「…」


 一方私は、彼の言葉を上手く飲み込めずにいた。

 どくん、どくん、とただ何かを想起させるような胸の昂りが、鼓膜に響いて離れない。



…ずっと、考えていた。



 何故、自分だけが回帰したのか。

 どうして、自分だけが過去に戻ることができたのか。

 唯一考えられるとすれば、それこそ神のような超常的な存在だが、生憎私には信奉している神様はいない。

 だが。

 …もしも彼らが魔法を使って、私を回帰させたとしたら?

 震える声で、私は尋ねた。


「まさか…あの時、時間を巻き戻したのって…」


 確証はない。

 ただ今現在、最も現実的だったのが彼らだっただけだ。

 だけれども。

 …こくん、と彼は小さく頷いた。

 私は驚愕する。


「ど、どうして?私を助けても、あなたたちにとって良いことなんて、一つも…」


 そう。

 彼らが私を回帰させたところで、利益など微塵も得られないはずなのに。

 彼らには私を助ける義理もなければ、恩を売る必要もないのだ。

 なのに、何故私を助けたのだろうか。

 考え込んでいると、ぽそり、と少年は私の目の前で言葉を零した。


「…あめ…」

「え?あめ…?」

「そう。あめ、くれたから…」

「…?私が…?」

「うん。おねえちゃんが、ちっちゃい時に…」


 彼の言葉に、私は首を傾げた。

 彼の言う、あめ、というのは恐らく、砂糖菓子の一種である飴玉のことだろう。

 だが私には、彼に飴玉をあげた記憶がない。

 そもそも、ついさっき初めて会ったのだ。

 子供特有の言葉遊びの一つなのか、人違いなのかはわからないが、私は彼の手を取ると小さく首を振った。


「…ごめんなさい、覚えがないわ」

「…」


 少年は何も言わず無表情のまま、私を相も変わらずじっと見つめている。

 …ヒースのような、感情の起伏がわかりやすい子供なら、まだ対応できるのだが。

 彼らは兄弟の多いガルシオンの中でもまた違ったタイプで、どうも扱い方に困ってしまう。

 強いて言うなら、私と最も歳の近い妹、フーシャ・ガルシオンに似ているような気がしなくもないが…いや、彼女は今でこそああだが、昔はもっと手の付けられないお転婆だったような気が…。

 うーん…と頭を悩ませる。

 と、私は握っている彼の手が酷く冷えていることに今更気づいた。

 はっとし、すぐさま彼に顔を向ける。


「ひとまず、早くここから出ましょう。鎖は…」


 二人に絡みつく鎖を見て、再び私は頭を悩ませた。

 そうだった。

 まずは、この枷をどうにかしなくては。

 おずおずと少年の手からぶら下がっている鎖を手に取ってみるが、やはり短剣や素手でどうにかできる代物ではない。

 ぐっと唇を噛むが。それを見つめていた少年が、小さく首を傾けた。


「…おねえちゃん。これ、とっていいの…?」

「え?え、えぇ、そうね。どうしたら取れるか、今考えていたのだけれど。今ある道具では…」

「…ぼく、とれるよ」


 彼の言葉に、へ、と頓狂な声を漏らした。

 その時。


「っ!?」


 突如、赤く黒い禍々しい光が監獄を包み込み、ドゴォォォォンという凄まじい破壊音と共に、爆風が全体に吹き荒れた。

 悲鳴を上げる暇もなく、私はうずくまる。

 やがて、数分後。


「…!!」


 うっすらと開けた目に飛び込んで来たのは、荒廃と化した、かつて呪いの地と呼ばれた地下監獄だった。

 ぱらぱらと崩れた瓦礫があちこちで落ちてきているが、二人は私に保護魔法でも施してくれたのか、体には傷一つ見当たらなかった。

 呆気にとられた私の手を、片方は少年、もう片方は少女がそっと掴む。


「…おねえちゃん、いこう?」


 …彼らは自らの魔力だけで、地下監獄を吹き飛ばしたのだ。

 強大な力には越したことはないと、実直に彼らに会いに来てしまったが。


「…」


 …本当に上手くやっていけるのだろうか、と私は心底不安になりながらも、崩壊した地下監獄を後にしたのだった。

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