第5話 車椅子の少女
ヒースと別れた後。
私はコツコツとヒールの音を響かせながら、地下監獄へ通じる屋敷の廊下を歩いていた。
何度か使用人たちとすれ違い、その度に頭を下げられる。
が、しかし。
化け物たちのいる場所に近づくにつれ、その数は徐々に少なくなっていった。
そして。
「…あら」
「あ…」
途中、私は再び兄弟の一人と出くわした。
今度は妹。
青年二人を背後に控えさせ、車椅子に乗った白髪紫眼の少女だ。
その顔には、まだ僅かに幼さの残る可愛らしさと、白と紫から連想される儚さが漂っていた。
彼女は私を見るなり、一瞬怯えたようびくりと肩を揺らしたが。
何度か視線を宙に泳がせると、やがてへにゃり…と無理矢理な笑顔を私に向けた。
「ご、ごきげんよう、グレイス姉様。その…あ、暖かい午後ですね…」
「…」
「え、えっと…お、お元気、でしたか…?屋敷ではなかなかお会い出来なかったので、ご挨拶も…」
何も答えない私に彼女は不安になったのか、次第にちらちらとこちらの顔色を伺い始める。
気まずい間を必死に取り繕おうとしているのだろうが、続く言葉が見つからないのだろう、彼女は終始わたわたとするだけだった。
…相変わらずね、この子も。
心の中で呟き、はぁ、と小さく息をつく。
時間が巻き戻っても、彼女は変わらないまま。
あがり症で、卑屈。
自信がなく、人と目も合わせられず、いつも逃げることばかりを考えている…まるで、私のような人間だ。
…だからだろうか。
彼女を見ていると、とてつもなく落ち着かなくなる自分がいる。
「…そうね」
私は、彼女の言葉を肯定した。
一拍置いて、彼女が反応する。
「…え、」
「だってそうでしょう?あなた、いつも書斎に籠ってばかりで、全然私たちに会おうとしないじゃない」
「…!」
「いつまで逃げ続けるつもり?隠れていたって、何も変わらないわよ」
…これは鼓舞か。はたまた同族嫌悪の類なのか。
詳細はわからないものの、私の辛辣な言葉に彼女の顔が一気に青ざめるのがわかった。
核心を突いたせいか、彼女の手はふるふると震え、目にはうっすらと涙がたまり始める。
彼女は、私と同じ…いや、私以上にこの屋敷で冷遇されている少女だった。
名は、ステラ・ガルシオン。公爵家の六女であり、九番目のガルシオンの子。
…平民の母を持つ、この継承戦の最弱候補者だった。
無きに等しい平民の後ろ盾に加え、病気による母親の早世。
そして何より、生まれながらの脚の悪さとその愚鈍さから、彼女が「継承戦から最も早く脱落する候補者」として公爵家の間で囁かれるのは、なんら不思議ではなかった。
…まぁ。前世ではそんな彼女より早く、私は脱落してしまったのだが。
見ると彼女は俯いたまま、きゅっと質素なドレスの上に置かれた手を握りしめていた。
黙り込んだまま、こちらに言い返してくる気配は一切ない。
「…」
そんな彼女を見て、私はさらにステラに畳みかけた。
「…あのね。わかってるとは思うけれど、継承戦はあなたが死ぬか、あなた以外の全員が死ぬまで終わらないの。他者を避ければ避けるほど、どんどん自分が不利になっていく。それくらい、あなたもわかっているはずでしょう?」
「…はい」
「それでもあなたが態度を改めないのは何故かしら。…あなたに継承戦を生き抜く気がないのなら、今ここで話をつけてもいいのよ」
私がそう強く言い切ると、彼女は俯きながらもひくりと喉を鳴らした。
…我ながら、自分でも驚くぐらい痛烈な物言いだと思う。
しかしここまで言われても、彼女は黙り込むだけで、まったく言い返してはこなかった。
私はぐっと息を飲み込む。
…どうして何も言わないのよ。
好き放題言われて、悔しくないの…?
無意識に、そんな思いがふっと湧き出た。
悪役令嬢と呼ばれた前世の私は、相手が誰であろうと、自分を貶めた者には容赦なく噛み付いた。
自分の尊厳を守り、生き抜くためにはそうするしかなかったからだ。
だが実際、ステラからは死臭というか、明らかな諦めの色が強く見える。
同じ弱い立場でも、彼女はみっともなくもがいていた前世の私とは違い、継承戦への希望も生への執着も、もはや断ち切っているようにすら見えるのだ。
はたから見れば、私が幼い妹をいびり倒しているようにしか見えないだろうが…挑発でもすれば、少しは憤慨して言い返してくるとでも思った私が間違いだったのだろうか。
しかし。
次の瞬間。
「…!!」
怒りをあらわにしたのは彼女ではなく。
「…」
…彼女の後ろに控えた、灰色髪の少年だった。
「…あんた、ステラを侮辱する気か?」
「…」
「黙って聞いてりゃ、好き勝手言いやがって。同じ候補者だからって、何言ってもいいと思うなよ」
憎悪に燃えた少年の目が、私を鋭く睨みつける。
あろうことか、彼は即座に剣を引き抜き、その切っ先を私へ躊躇なく突きつけていたのだ。
すぐさま私は、背に隠し持った短剣に手を伸ばす。
「…っ」
だが、しかし。
それを制したのは、ステラの悲鳴だった。
「や、やめてセイン!」
「ッ、だって、こいつが…」
「やめろ、カルセイン」
声で少年を制止したステラと違い、今度は彼女の背後にいた茶髪の青年が、少年の腕をがしりと掴んだ。
穏やかだが落ち着いた声で、青年は少年に言い聞かせる。
「落ち着け、カルセイン。そうやって感情に任せて動くのは、お前の悪い癖だぞ」
「うっせ。先に宣戦布告してきたのはあっちだろうが。主人守るのに、敵に剣を突きつけて何が悪い」
少年の言い草に、青年は肩を下ろしてため息をついた。
どうやら彼の態度には、ステラだけではなく青年も手を焼いているらしい。
「…」
私は少年の姿に見覚えはなかったが。
茶髪の青年のことは、よく知っていた。
名は、シオン・アークベルト。
彼はステラの父親違いの兄であり、ステラの母親が公爵家の妻に入る前に、同じ平民の男との間に生まれた子供だ。
白髪紫眼のステラと違い、妹と似ても似つかない茶髪翠眼のその容姿は、恐らくは父親似なのだろう。
聞くところによると、彼の父親は下町でも有名な医者で、戸籍上は公爵家の人間ではあるが、彼自身当主の血を引かず継承権は持たないため、今でも父親の姓を名乗っているらしい。
剣術に優れ、幼い頃からステラを守ってきた、れっきとした彼女の従者である。
彼はこちらに顔を向けると、深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、グレイス様。うちの連れが、大変御無礼を」
「…いいえ。気にしてないわ」
私はそっと、背中に回した手を下ろした。
ここで私が反撃しようとしていたとばれれば、新たな火種を生みかねない。
そもそも出来心だったとはいえ、私が先に喧嘩を売ったのだ。
これ以上は波風を立てたくない。
「…それで、そちらの方は?初対面のようだけれど」
「…」
先程の灰髪の少年に目を向けると、彼はギロりと私に凄んだ。
よっぽどステラを貶したことが許せなかったらしい。
だが、セイン、と不安げにステラに愛称で呼ばれると、彼は渋々名乗り始めた。
「…どうも。ステラの従者、カルセインです」
ぶすっと明らかに不満げな顔で、彼は小さく頭を下げる。
先程の剣を突きつけられた時といい、今の挨拶といい、非常に礼を欠いた人物だと感じるが。
カルセイン、という名に、私はぴくりと反応した。
いくら待っても、その後に続く名が彼の口からは発せられない。
まさか、と思い、私は彼に尋ねた。
「カルセイン…?あなた、家名は?」
私が聞くと、彼はあからさまにチッと舌を打った。
忌々しげに、こちらを見上げる。
「…いちいち言わなきゃわかりませんか?」
「!」
「あんたの想像通り、俺は奴隷出身です。半年前、街で売り飛ばされかけてたところをステラに拾われました」
カルセインの言葉に、私は呆気にとられた。
彼が奴隷出身ということにではなく、ステラが彼を従者にしたことに対して、だ。
帝国では、奴隷を持つことは帝国法で禁止されている。
しかし、未だ貴族間や治安が行き届かない貧民街や地下街では取り締まりきれていないのが現状だ。
身分の高い者にぞんざいな扱いを受ける彼らの中には、貴族を恨む者も多い。
平民ならまだしも、わざわざ身に危険の及ぶ可能性のある者を従者になど、普通は考えないものだが。
ステラを見ると、彼女はどこか言いにくそうにもじもじとしている。
「えっと、その…咄嗟に、といいますか…酷い扱いを受けていたところを、私がお金で…」
「…そう」
「ぶ、無礼だと感じられたのなら申し訳ありません…でも、悪い子ではないんです!さっきも、私を思ってくれてのことで…」
しゅんとステラが肩を下ろす。
…いや、彼女なら有り得るかもしれない。
平民の娘というだけで、肩身の狭い思いをしてきた彼女だ。
恐らく、彼の身の上に同情し、自分の身も顧みず連れてきたのだろう。
「それに…それに、セインだって本当は…」
未だ話を続ける彼女に、私は首を振った。
ステラが誰を従者に迎えようが、私には関係ない事だ。
実際、継承戦でも従者の有無や身分、人柄は候補者の自由とされている。
これ以上首を突っ込んでも、時間の無駄だろう。
それに私はこれから、地下監獄へに会いに行かなければならない人物がいる。
「…普段と違って、よく喋るわね」
「…!あ、す、すみませ…っ」
「あなたの好きにしたらいいわ。あなたが誰を味方につけようが、私には無関係なことだもの。…では、私はこれで。また会いましょう、ステラ・ガルシオン」
最後まで棘のある言い方だとは思ったが、あそこまで挑発した以上、急に優しくすることはできないと感じた私はそう言い残すと、くるりと踵を返し、彼女たちのもとを後にした。
…まあ結局、彼女は何を言っても謝ってばかりで、反論すらしなかったが。
次会う時は、お互いに本気で殺し合う時だろうかと心の隅で思う。
ステラはまだしも、あのカルセインという少年と、彼女の兄のシオンを相手にするにはまた対策が必要だろう。
ほぼ確実に、私の護身用の短剣だけでは歯が立たない。
どうしたものか、と足を動かしながら頭を悩ませた。
その時だった。
「ま…っ、待ってください!」
「!?」
突如廊下に、ステラの大声が響き渡った。
聞き慣れない彼女の大声に目を丸くしたのは、私だけではない。
長年彼女を見守ってきた兄も同様だった。
「ステラ…?急に何を、」
「あのっ!」
シオンの制止を遮り、遠くでステラが精一杯叫んでいるのが見える。
…いや、そこまで声を張り上げなくても十分聞こえているのだが。
だが、彼女は絶え間なく息を吸い込んで続けた。
「今度…今度っ、私の部屋に来てくださいませんか…っ!」
「は、はぁ…?」
「姉様の時間を無下にすることは、絶対に致しませんっ、ですから、どうか…っ!」
普段大きな声を出し慣れていないのだろう、ステラはそこまで言うとごほごほと喉を押さえてむせ返し始めた。
カルセインがすぐさま駆け寄り、彼女の背をゆっくり摩る。
「…」
…なんなんだろうか、この状況は。
私はしばらく放心する。
敵である候補者に出会ったかと思えば、今私は廊下で彼女に大声で呼び止められている。
いや、部屋に来いというのも単に継承戦の話か、はたまた私を仕留めるための口実にしか考えられないのだが。
それにしてもこの状況はあまりに混沌としていて、私は思わず頭を抱えた。
「…」
「あっ…、姉様…!」
いくら少ないといえど、ここでは使用人の目もある。
背後で未だステラの声が私を呼び止めてくるが。
いたたまれなくなった私は、急ぎ廊下を後にした。
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