第13話 拍動が聞こえる

 狸の妖怪は後ろ足で立って背伸びをしながら、鞭を振り回しつつ緋出を待ち構えていた。緋出ひいでは端末の設定を網膜もうまく投射とうしゃから眼前がんぜん投射へと切り替え、犬のホログラムを出現させた。真っ白い中型犬が歯噛みをして妖怪をきっと見据みすえると、妖怪は目を見開いて動揺しているようだった。


「これならどうだ。狸の天敵は犬。昔話じゃテンプレだ」

確かに、淡路島あわじしま芝右衛門しばえもんだぬきは老人に化けたが、犬にまれて死亡しその正体を現す。あるいは播磨国はりまこく犬飼村いぬかいむらの伝承では、猿神さるがみに化けた狸が犬に正体を見破られ、逃走するという結末を迎える。半透明の電子の犬が追い迫ると同時に、妖怪は右に左に振り向いて、退路目掛けて一目散に逃げ出した。緋出の乏しい妖怪知識から出た策は功を奏したことになる。

あかね!どこにいるんだ」

路次の奥には、茜の姿は見えなかった。その代り、左手に分かれ道が続いており、走り去る妖怪の後ろ姿が認められた。

「あいつが茜を連れ去ったに違いない。だけどどうやって?小刀を飲み込んだわけじゃないだろうに」

緋出は路次を右に左に折れまくり、地下に潜って階段を上り、壁にぶつかり空き缶につまずきながら、妖怪を追いかけまわした。気付くと彼はスラム街に迷い込んでいた。赤さびた金属でできた小屋がちらほら並ぶ未舗装の通りを、彼は走る。目の前にはスクラップの残骸が進路を塞ぎ、妖怪が立ちすくんでいた。ようやっと標的を追い詰めたのだ。

「また突風攻撃か?同じ手には乗らないからな」

緋出は杖を地面に突き刺して、鞭が生み出す風をしのぐ。風が止んだのを見計らって、杖の先端を思いきり妖怪に叩きつける。杖は見事尻尾に命中し、体からは小刀が転がり落ち、それはたちまち人間の姿となった。茜だった。

「茜、これは一体どうなってるんだ」

「うーん……。そこで寝てる狸に捕まえられて、びっくりしちゃって。思わず刀に変化したら、こいつの体にしまわれてたみたい」

見ると妖怪の肥大した尻尾は二股に分かれており、一方が破けて穴が開いていた。彼女はここに「収納」されていたらしい。茜はそこにしゃがみ込んで、尻尾をしげしげと見つめる。「えいっえいっ」もう一方の尻尾を手刀の印で切り開くと、鮮血がじわじわと染み出してきた。今夜被害に遭った動物のものだろうか。

「血を飲むんじゃなくて集めてたのか。何のためか知らないけど、とどめを刺しておくか」

緋出が杖を振り上げた瞬間、


「よくも、邪魔をしてくれましたね。杖の法師よ」

緋出と茜が振り向く。そこには、一人の少年がいた。時はもう深更まよなかだというのに、その瞳にはディスプレイの光は灯っていなかった。この子は、人間なのか?

「お前は妖怪か、それとも僕と同じ妖怪関係者か?何のためにこの狸を放ったんだ」

「狸って……。法師だというのに、あなたは牛打うしうぼうも知らないんですか」

少年は馬鹿にしたような、呆れたような様子で、緋出を睨みつけた。

「牛打ち坊は家畜―広く言えば人間の飼育下に置かれている動物に対して、吸血する習性を持ちます。そのために鞭から魔風まふうを呼び出して、動物を病気にして弱らせるわけです。元は狸なので、吸い取った血液は八畳敷はちじょうじきに貯蔵できる。招具しょうぐのトリガーを確保するのに便利な妖怪でした」

少年は背中に手をかけて、弓らしきものを取り出した。

「そう、こういう風に」

腰のベルトから小さなガラスびんを取り出し、弓の空洞部に中身の液体―おそらく動物の血液―を流し込む。

「呼び出すんです」

弦つるを軽く引っ張って音を鳴らし、弓を口元に引き寄せる。

反魂はんごん山荒やまあらし

弓の上端―末弭うらはずめられた黒石が光り出し、緋出は一瞬目がくらんだ。目の前にはヤマアラシとは似ても似つかぬ、目を血走らせた獣がいた。全身に針のような毛を生やしていることは実在の動物と同じだが、ムササビのように飛膜ひまくが発達していることからして、妖獣ようじゅうの一種であろう。緋出は杖を構え、警戒態勢をとった。背後は屑鉄の山。逃げ場などない。

「はじめまして。わたくしは弓の法師、大槻おおつき紫蘭しらんと申します。こんな所で出会えるとは、僥倖ぎょうこうの至り。佐野を破ったというあなたのご威名いめい、かねがね聞き及んでおりましたよ。我ら逢魔座おうまざと、お付き合いいただけますか?」

「断る。僕の父は何者かに殺された。僕の目的は、遺品であるこの杖の素性について知ることだ。お前らの手先になって、こんな物騒な武器を使い倒すなんて御免だね」

「ならばこちらに返していただきましょう」

「どうせお前らのものじゃないんだろ」

「その通り。それは我らの作ったものではない。しかし我らのためのものです」

「テロリストはやっぱりお前達だったってことだな」

「テロリスト。人間側であるあなたにとってはそうなのでしょうね。どうです、妖怪こちら側に立ってみるのは。さすればその理想を理解できようというもの」

「逢魔座が研究所サイドの組織だったとしたら、杖を狙ってるのは政府側の人間のはずだ。だから事件の後、杖のことは警察には黙ってた。国が妖怪軍団を雇ってるなんて、笑えない話だからな。でももう分かった。逢魔座がテロリストサイドなんだったら、ここで通報してしまえばいい。国がお前らを取り締まってくれる」

「そうですか、残念です。しからば、あなたには杖の法師を降りていただきましょう。代わりなら、とうに見つけておりますから」

ぐしゃり。緋出は、胸を何かでえぐられた感触を覚えた。轟音ごうおんが鳴り響く。茜の悲鳴なのか?いや、これはきっと、露出した心臓の拍動はくどうなのだ。

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