第12話 いざ、大都会へ

 吉備都きびと中央区ちゅうおうくは、天蚕糸てぐすちょうから車で行くには遠い。緋出ひいでとツルギミサキは最寄り駅に向かって夜道を歩いていた。彼の背負う竹刀しない袋の中には、百鬼杖ひゃっきじょうが納められている。

「そういえば、君の名前は何て言うの?」

「私?ツルギミサキだよ」

「いいや。種族じゃなくて、個人の名前」

「それは猫ちゃんにとっての『おこま』とか『とら』みたいなの?」

「そうだね」

「それなら無いよ。ゴミあさりヤローみたいに名前のあるお化けの方が少ないかも」

 自分の名前を持たないということ。それが何を意味するのか、緋出にはよくわからない。もちろん見知らぬ街やネット空間の中において、匿名の存在として振舞ったことなら数えきれないほどある。だがどんな時にも、彼には生まれた時から、「緋出」という自分だけの名前があった。

相棒の烏天狗からすてんぐにも「牛王坊ごおうぼう」という名前がある。己の生前についてはほとんど語ってくれないものの、人間であったらしいことは確かである。そういう意味で人間に近い妖怪である。

では、佐野の召喚した妖怪達には個別の名前があったのだろうか。おそらく、無いだろう。例え自分の愛用する道具であろうと、名前を付けることはごく稀である。桃太郎に出てくる鬼どもにだって名前は付いてなかったと思う。よほど有名な鬼でない限り、ただの鬼止まりである。それが妖怪にとっては自然な姿なのかもしれない。

「殿はさ、私に名前があった方がいいと思う?」

名前を持つべきか否か、緋出には判断しかねる。だが牛王坊と同じように、彼女が人間じぶんに近しい存在であってほしいと彼は思った。

「うん、いいと思うよ」

「じゃあさ、殿が付けてよ」

緋出は首を横に振る。ペットのようにはいかない。自分には荷が重すぎるのだ。

「いいじゃん、とりあえず付けちゃえ」

「じゃあ……。あかね

緋出は一昨日の夕焼けを思い出していた。

「どういう意味なの?」

彼は少し赤くなった。いつもは夜道の安心を保証してくれるはずの街燈がいとうが、今夜ばかりは自分をひやかしているように感じられた。駅はもうすぐそこである。


 電車に揺られること約三十分。天蚕糸町駅から車両は北上を続け、吉備都中央区に至る。駅舎の長いホームを抜けると大都会であった。「大都会」というのは事実である。ヨタでもネタでも揶揄やゆでもない。なんでも今世紀初頭には既に、岡山は大都会と呼ばれていたらしい。緋出にはなんだか違う意味に聞こえるのだが、事実なんだから仕方がない。

 そもそも中央区は高原上に位置する。かつてはその立地から交通の便に恵まれず、旧岡山県域の中でも辺鄙へんぴな土地であった。それが二十五年前、「カドゥルー事件」による近畿からの大移住に伴い、東京に次ぐ日本の副都ふくとに選定され、急激な発展を遂げることとなった。つらなる摩天楼まてんろう、縦横無尽に張り巡らされた立体道路網、そして不夜城ふやじょうの如き都下の殷賑いんしん―それらが新たなる高原都市、中央区の象徴となったのだった。MTモモタロウ動物園へはホームから徒歩で10分ぐらいかかるはずだ。緋出と茜はそこへと続く大通りを歩きだした。

「殿、お城がいっぱいだね!しかもみんな光ってる」

「ああ、ここは吉備都一帯の城下町みたいな所だからね。ほら、あれがMTタワー」

「お寺なの?何重塔なんじゅうのとうなんだろう」

「いいや、あれは仏塔じゃないんだ。中央区のランドマーク……この街の大黒柱みたいなもんだよ」

「そーなんだ」

「手前にあるのがMTモモタロウミュージアム。その奥に見えるビルがMTモモタロウモール。右手の建物はMTモモタロウ―、あれ、茜?」

茜は緋出の前から姿を消していた。何かに気をとられて右手の路次に入ったものか。そう考えた緋出は路次へと足を踏み入れた。その時、すさまじい突風が彼の行く手を遮った。

「妖怪……か。チュパカブラじゃなさそうだな」

彼の目の前、路次の奥には犬とも猫ともつかぬ、大きくて真っ黒い獣がいた。ふくれ上がった二股ふたまたがよく目立つ。猿でもないのに二足歩行で、しかもむちを持っていることからして、ただの獣ではありえない。緋出は端末から画像検索をかけて、現実の動物と照らし合わせた。

「一番近いのが狸か。野生の狸は見たことないもんな。そういえば幼稚園の時にMT動物園で見たっきりで……うわあああっ」

緋出は風にあおられて、路次から通りの中央まで吹き飛ばされた。この辺りの自動車道は高架上にあるため、轢禍れきかとは無縁なのが幸いであった。

「いてて……。風が吹く直前、あいつは確か鞭を振るってたよな。原理はよくわかんないけど、あれが送風装置みたいになってんのかな。一人で相手するには危険そうだし、放っておくのが常識的な判断だろうけど……」

緋出はすっくと起き直り、竹刀袋から百鬼杖を取り出して、ボタンを押す。そうして背丈ほどにもなる元の長さに引き伸ばした。この杖は逢魔座の狙うアイテムという意味において、彼にとっては命綱である。逢魔座が董卓とうたくなら、百鬼杖は曹操そうそう七星剣しちせいけんにあたろうか。そして父の死の手がかりという意味において、お守りでもあるのだ。彼は元来臆病なたちであるから、妖怪と戦うなど気が引ける。杖の存在が彼の使命感をふるい立たせ、後押しをしてくれる。

「あいつを倒せば、逢魔座だって黙ってはないだろうしな。何より茜を見捨てるわけにはいかない。狸の妖怪だとしたら、対抗策ならあるぞ」

深呼吸をして、再び路次に踏み込んだ。

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