第9話 払子の法師②

 石室の暗闇の中、緋出ひいではもう一人の法師、佐野さのなぎ相対あいたいしていた―少女型の妖怪を挟んで。

「ともかく、私の推測は当たっていたようね。杖の機能を確かめられたのだから、ここに長居ながいする必要はもはやない」

「待て!響太きょうたのことを放っておいて、お前はどこに行くんだ」

逢魔座おうまざ吉備都きびと中央区ちゅうおうく支部へ。もちろんあなたもよ。私に同行する気がないのなら、あなただけじゃない、彼の命もないものと思いなさいな」


 佐野はそう言って、石棺の中に左腕をさしこんで何かを持ち上げてみせた。それが響太の体であることは、緋出にも容易に察せられた。しかし響太は気絶でもしているのか、一言も発しない。佐野による苛烈かれつな暴行。ちぎれた耳。つぶれた鼻。れ上がった頬。歯茎しけいからしたたる幾筋もの血―恐ろしい想像が緋出の脳内を占領し、緋出は恐懼きょうくした。それとともに、自分の網膜ディスプレイが停止していることに緋出は感謝した。瞳のライトが響太の体を照らしてしまえば、その想像は現実のものとなるかもしれないのだから。

「そういえば、今のあなたには響太君が見えなかったわね。体内端末と妖怪との相性は悪いんだから、法師たるもの体外式通信機スマートフォンを持っておくべきだわ。ほら」

スマートフォンのライトが点灯する。それが響太のいる方へと向けられる。浮き上がる石棺の輪郭りんかく。佐野の左腕。左腕がつかんでいる物は―。石棺は箱となり、響太は哀れな猫となり、緋出はもうじき観測者となる。やめてくれ!

「あのー。すみません」

緊迫きんぱくした状況にはおよそ不釣り合いな間の抜けた声が、緋出の意識を捉えた。それまで黙していた少女が、ここに至って口を開いたのだった。

「誰かに呼ばれた気がしたんですけど……」

「私、佐野が呼んだの。後にいる男は敵だから、やっつけっちゃって♪」

間髪かんぱつ入れずに佐野が答える。緋出は慌てて後に退しりぞこうとしたが、蛇帯じゃたいに首を強く締め付けられるので、それどころではない。

「どこでしょう?暗くて見えませーん」

少女、いや妖怪が自分のすぐそばまで近づいている気配がする。

「さあどうするの。私について来るか来ないか。優柔不断があなたの死因になるわよ」

「僕は……。」

ぶちっ。何かがちぎれる音がした。緋出は途端に首の圧迫から解放され、肩に何かが乗っかっていることに気付いた。

「緋出殿。先程は不甲斐ないところをお見せ申した」

緋出の耳元で牛王坊ごおうぼうの声が聞こえる。

「牛王坊!?どうやってここに?随分小さくなっちゃって」

「大天狗の衣が石室の入り口で邪魔をしておったので、からすに化けて入り込んだのでございます。敵に感づかれないようそろそろと歩いて、ようやく殿の元に辿り着きました」

「しまった!入口の目張めばりが甘かったみたいね。蛇帯もやられちゃったし……」

佐野が狼狽ろうばいの色を見せる。

「形勢逆転でござるな、佐野とやら。天狗の眼光は爛々らんらん煌々こうこう。この暗中でも貴様の困り顔がよく見えるわ」

烏姿の牛王坊は緋出の肩を降り、元の姿に戻る。

「あなたが敵なのー?」

「んん? おおそうじゃ。まずはお主から片付けてやろうぞ」

「いいや違う!」

はやる牛王坊を緋出がさえぎる。

「僕らは敵なんかじゃない。本当の敵は君の後の女だ」

「そーなの?じゃあ証明してよ」

ツルギミサキというのは、案外話せば分かる妖怪であるらしい。こちらは銃ではなく剣なのだが。

「あぁ、えーと。これならどうだ!」

緋出が杖を振り回すのに合わせて、遊環ゆかんがじゃらじゃらと音を立てる。

「ん……あっ。その音!呼ばれた時に聞こえたんだ!」


 随分と原始的な方法であったが、彼女には通じたらしい。緋出は「ツルギ」という名前からして、切断攻撃に長けているのではないかと考えていた。あまりにも安直な推論であるが、名は体を表すとも言うではないか。ここで彼女を倒してしまったら、もう脱出できる可能性は残されていない。

「今僕らはここに閉じ込められてるんだ。頼む、入口の覆いを切り払ってくれないか?」

「了解!」

「させるか、テイテイコボシよ行け!」

「ふふふふ。太刀を使うまでもなかったようだな」

佐野の繰り出した木槌きづちの妖怪が、ものすごいスピードで飛行してツルギミサキに迫る。だがそれは牛王坊によって受け止められてしまう。がしゃり。天狗の怪力が木槌を粉砕した。

「殿はここからお逃げください。佐野を退治してご知音ちいんをお救いしましたらば、すぐに参りますゆえ」

「殿だっけ?早く行くよっ」

ツルギミサキに手を引かれながら、緋出は開口部へと向かう。手探りゆえ彼らにはよく見えないが、つるつるとしたカーテンらしきものにぶつかったので襟立衣えりたてごろもが目の前にあることが知れた。

「これかな?えいっえいっふーっ」

ツルギミサキは右手で手刀しゅとう印形いんぎょうを作り、呪文めいたものを唱えながら左右に切る。霊剣の聖性が魔道まどうとばりを切り裂いて、彼らは脱出に成功したのだった。


「蛇帯、襟立衣、テイテイコボシ。ふははははは。皆器物の化け物ではないか。天工てんこうに人工が勝るいわれなどない。取るに足らぬわ。大人しく殿のご知音を返すことだな、佐野よ。そうすればむやみな殺生をせずとも済む」

牛王坊の大笑が石室を揺るがしていた。


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