第8話 払子の法師①

 緋出ひいで牛王坊ごおうぼうに抱えられて、天蚕糸てぐすちょうの空を北に向かって飛んだ。剣塚つるぎづか古墳の鎮座する小丘陵、原山はらやま中腹に降り立つには片時へんじも要しなかった。古墳の周囲には年古としふりたる樹々きぎ鬱蒼うっそうと生い茂り、昼なお深い暗がりを形作っていた。ことに古墳に穿うがたれた開口部は一際ひときわ闇を増し、怪異の潜む漆黒の中枢が緋出らを待ち構えているのであった。緋出は牛王坊を外に残し、杖のみを手にして古墳の中へと入っていった。歴史の授業で聞いただけなのだが、古墳の内部はごく狭いという。空中戦を得意とする天狗には不利な環境である上に、太刀たちを振るうこともままならない。ひとまず緋出が敵をおびき寄せ、古墳の外で牛王坊が迎え撃つ、という算段である。

響太きょうた!僕だ!」

「ようこそ。新米しんまいさん」

網膜ディスプレイの発するライトを頼りに狭い羨道を通り抜けると、少し広くなった空間がある。その中央にはふたのない石棺が据えられており、かたわらには長身の女性が立っていた。暗所のためよくは見えないが、あちらもディスプレイを光らせている所を見ると、妖怪ではないらしい。

影女かげおんなとでも思った?私はれっきとした人間。百鬼ひゃっき招具しょうぐの一つ、百鬼ほつの所持者、佐野さのなぎよ」

「影女?」

緋出は妖怪に関する知識はほとんど持ち合わせていない。ディスプレイで検索しようとした瞬間、右腕に何かが巻き付いて、検索画面がダウンしてしまった。

「うわっ!」

「事情が呑み込めていないようね。あなたの腕を縛っているのは蛇帯じゃたい。女性の執念が帯に宿り、蛇となって人を襲うの」

「何だと……。それでどうして端末が動かなくなるんだ」

「あなたも妖怪と一緒にいるんだから、もう分かってるんじゃない?妖怪が人間の間近にいるからよ。詳しい理由が知りたかったら、私の下僕となることね」

腕が猛烈な力で締め付けられる。緋出は杖を取り落とし、叫び声を上げた。その刹那せつな、彼の肩を何かがかすめ、石室内は完全なる暗黒に閉ざされた。

「外で待ってるんでしょう?あなたのしもべが。でも無駄ね。私は大天狗だいてんぐ僧正坊そうじょうぼうの魔力が宿った、襟立衣えりたてごろもで開口部を塞いだの。天狗の社会は階級制。下級の天狗である烏天狗からすてんぐには、大天狗の持物など斬れやしない。おとなしく降参することだわ」

「緋出殿!いかがなされた!」

外で牛王坊の声が聞こえる。だが退路は断たれた。こうもやすやすと攻略されてしまうとは。緋出は己の無策を恥じた。

「お願いだ。響太のことは解放してやってほしい。僕のことは……」

恐怖のあまり、後に続く言葉が出てこない。

「賢明ね。さて、百鬼招具とはどういうものか、下僕であるあなたに知ってもらうことから始めましょうか」

「そもそも、あなたはどうやってその杖を手に入れたの?」

友人と自分の命を危険に晒した当人と口をきくことほど、屈辱的なこともそうあるまい。しかし蛇帯の存在が、緋出に対する佐野の立場を活殺自在かっさつじざいなものとしている。今の緋出は重い口を開くことしか、選択肢を持たなかった。

「……父さんの書斎にあったんだ。遺言から使用法を推測して、竜王山りゅうおうざんの神社で試した」

「遺言、ね。杖を起動したのは例のくすのきの前ね?」

「ああ。それも遺言の通りだ」

「なるほど。百鬼招具は杖を含めて全部で六つあるの。そして妖怪を召喚するために必要なトリガーは一つ一つ異なっている。百鬼杖のトリガーはおそらく、妖怪伝承のある場所」

「そうか。あの楠は天狗がいる場所だって、聞いたことがある」

「天狗杉に天狗松、天狗けやき……。高木に天狗が宿るとする伝承は全国各地に存在する。あなたのお父さんはその伝承を利用したってわけだ」

危地にありながらも、緋出の心は徐々に平静さを取り戻しつつあった。杖にまつわる謎はきっと、父の死の真相とも繋がっている。核心へと一歩一歩、近づいているのだ。

「河童石なら河童が、鬼の岩屋なら鬼を呼べるはず。現地に行く必要のあるのが難点だけど、応用の範囲は広いわね。」

「うぐっ!」

シュルシュルとか細い音を立てながら、蛇帯が緋出の右腕から首に移る。絞殺されるかと思ったが、意外なことに締め付けはすぐ緩くなった。

「実際に試してみましょう。ほら、腕が自由になったんだから、杖を拾いなさい」

「ここで?」

「この剣塚古墳はツルギミサキ伝承で知られる場所なの。古刀の神霊しんれいを祭ってたのね。ネットに情報を流したら、あなたじゃなくてお友達が釣れるなんて、予想外だったわ。まあ恰好の人質になったし、構わないんだけど。いい?拒否したらくびり殺すから」

緋出はしぶしぶ杖を拾い取り、その石突いしづきを強く地面に突き立てて、その妖怪の名を呼んだ。自分の声と遊環ゆかんの揺れる音とが狭い石室の中で反響し、混じり合い、杖の先端からは閃光が発せられた。


 緋出と佐野の間には、何者かのうずくまっている気配が感じられた。今はもう暗闇に覆われて見えなくなっているものの、石室内が明るくなった一瞬間の記憶を頼りにすれば、それは―少女ではなかったか。いやいや、美少女であったのではなかろうか。否むしろ、絶世の美少女であったという可能性は考えられないだろうか。

「おい下僕、何考えてる?」

「あっ。いや、何でも……ないです」


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