第7話 横穴の虜囚

 冷たい。両手に伝わる感覚だけが、響太きょうたの意識を占領した。谷本たにもと響太は剣塚つるぎづか古墳の石室で、暗がりの中、湿った石壁に触れていた。石壁と言っても石材は粗削あらけずりで、隙間なく積まれているわけではない。何しろ切り石積みが普及する少し前の、今から約千五百年前の築造になるのだそうだ。

ぴと。むき出しになった響太の腕に、何かが取り付いた。右目から発せられる、ディスプレイのライトに照らしてみる。長くてか細い触覚には不釣り合いな、小ぶりでずんぐりとした茶褐色ちゃかっしょくの昆虫が、響太の腕に止まっていた。軽く腕を動かしてカマドウマを振り落とし、石室の四周ししゅうを見渡した。この虫は隙間すきまを好む。石と石との空隙くうげき、この石室の隙間という隙間に、こいつはわだかまっているのに違いない。響太はそう思っただけで、ぞくぞくと身震みぶるいいした。

「いやー、風情ふぜいがありますなあ。妖怪なんて出なくったって、この奇怪きっかいな雰囲気を味わえただけで収穫ってもんだよな」

きびすを返し石室を出ようとしたその時、開口部によって切り取られた長方形の光の中に、何者かが立っていた。

「どうも! お先に失礼」

響太は腰をかがめつつ狭い羨道せんどうを抜け、入口に待ち受ける人影に近寄った。



緋出ひいで殿、折り入っておうかがいしたいことがございまして……」

土曜日の昼下がり、緋出と牛王坊は例の書斎にいた。牛王坊はやや伏し目がちになって、くちばしを小刻みに開閉している。人間なら唇をパクパクさせているところだろうか。よほど聞きづらいことでもあるのか。

「う、うん。何?」

「殿と御母堂は時々、右目を光らせて何か独りちていらっしゃるご様子。もしや坂鳥家は秘伝の妖術を扱う一族なのではないかと拝察いたしまして……」

「いやいや、これは体内端末のディスプレイが出す光でね。現代人は十中八九じっちゅうはっくこれを装備してるんだ。Gizmo Techギズモ テック社が開発した侵襲式BMIブレインマシンインターフェイスによって通話や検索が念じるだけで可能になって……って。分からないよなあ。どこから説明したらいいものか……」

緋出はディスプレイを起動して、右目を光らせてみせた。それから設定を網膜もうまく投射とうしゃから眼前がんぜん投射に切り替えて、今朝のニュース画面のホログラム映像を牛王坊に示す。吉備都きびと中央区ちゅうおうくにあるMTモモタロウ動物園の様子が映し出されている。牛王坊の方も目を光らせて映像に見入る。もちろんこちらは比喩的な意味で、である。

「おおっこれは!大勢の畜生ちくしょう蝟集いしゅうしておりまする。幻を宙に描いてみせるとは、乾闥婆城けんだつばじょうの術でございますな!」

「そうじゃなくって……。いや、そうとらえられなくもないのかな。だとすると現代社会は妖術に満ち溢れているとも言えるのかなあ」

牛王坊は興奮のあまり、ますます画面ににじり寄る。すると突然画面が消えた。

「あっ、また故障しちゃった。百々爺ももんじいの時もそうだったんだけど」

「殿。術の成功には、たゆまぬ鍛錬たんれんと適度な養生ようじょうが必要にございます。化け物との遭遇で最近お疲れなのでしょうから、ごゆっくりお休みなさいませ」

緋出は釈然としない。春の学期始めということもあって、百々爺の一件のあった日、緋出ら生徒は健康診断を受けていた。しかし体内端末には何らの異常もみられなかった。端末が最低限の機能を残して停止するタイミングといえば、バーチャル空間にアクセスしている時くらいだろう。これは没入感を高めるための措置そちであって、五感もまた外界から遮蔽しゃへいされるのだ。

「もしかして」

緋出は数歩後ずさり、牛王坊から離れる。すると端末が復旧し、元のようにホログラムが投射された。

「ほー。妖怪の近くにいると端末が使えなくなるみたいだな。となると何かしらのエネルギーを放出してるってことかも」

「えねるぎいとは?」

「目に見えない力のこと。気、とも言えるかな」

「はて。化け物が一様にそのような気を放つことなど、ありうるものでしょうか」

「うーん。これが世に言う妖気ってやつかな?」


その矢先、右目のディスプレイが点滅した。見知らぬ者からの着信、それはアドレスからして旧式の体外式通信機―スマートフォンから発せられているようだった。

「緋出……。俺だ、響太だ……。」

「あなたが杖の法師ね?」

響太のうめき声に、若い女性の声が続いた。

「お友達の響太君が会いたがってるの。剣塚古墳まで来てくれる?」

杖―響太―剣塚古墳、三者を結ぶキーワードはそう、妖怪しかない。

「……逢魔座おうまざだな」

「ご名答。例の杖について、あなたの持ってる情報は限られてるはず。だから先輩である法師の私がレクチャーしてあげようってわけ」

あからさまな罠。危険な申し出。それでも立ち向かわなければならないと、緋出は半ば強迫的な決意を固めていた。それは響太の安否を気遣ってか、はたまた杖にまつわる謎をあきらめんとしたものか。自己分析している暇などない。緋出は牛王坊に目配せをして、

何女なにおんなだか知らないが、受けて立とうじゃないか」



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