第6話 策謀の摩天楼

 右手と左足、左手と右足、右手と左足、左手と右足……。を進めるに従って、手は前足に、足は後ろ足へと変わる。下生したばえに鼻をくすぐられながら、青年は森の沃土よくどを踏みしめる。前後の足がもつれて転び、腐葉土の香りを吸い込んだ。四足歩行は難儀なんぎなものだと、うなだれる代わりに耳を伏せた。もちろん彼は李徴りちょうでも、グレンドン博士でもない。ましてや変質者などではない。緋出は狐のアバターをまとい、バーチャル空間の学校で森林生態学の授業を受けていた。

「おいおい、そんなぎこちない斜対歩しゃたいほじゃ、俺に食われちまうぜ」

一回りも二回りも大きな熊が、背後から緋出を揶揄からかう。同級生の谷本たにもと響太きょうたである。

「うるさいなあ。こっちにはエキノコックスがあるんだからな」

「寄生虫だっけ?おお怖い。くわばらくわばら」

「何それ?」

「知らね。紗耶香さやかの口癖」

 紗耶香とは響太の曾祖母そうそぼのことである。


 現代の学校教育は、ほとんど体験授業を通じて行われる。必要な知識は体内端末によって瞬時に検索できるため、座学ざがくの重要性が低下してきたためである。その上バーチャル空間では人体の限界を超えた体験ができるため、学習の質が向上するというメリットもある。現代人は九分九厘くぶくりん、「体感チップ」を頭部に埋め込んでいるため、バーチャル空間内で受けた刺激がそのまま脳内に送られるのだ。

「それよりさ、今朝のニュース見たかよ」

「ああ、二年前の誘拐殺人のことか。妖怪の仕業だなんて、あり得ないよな」

「そうそう、その妖怪!実はさ、天蚕糸てぐす町にも妖怪がいるんだぜ」

緋出はびくりとして、総身の毛を逆立てた。鳥肌も立ったのかどうかは分からない。

「ええと………天蚕糸神社の烏天狗からすてんぐ?」

「それは神様だから、違うんじゃね?」

違うのか。百鬼杖ひゃっきじょうでは召喚できたのだが。そもそも妖怪と神の違いが、緋出には分からない。

「とあるオカルトサイトに載ってたんだ、剣塚つるぎづか古墳に出るんだって。見に行こうぜ」

響太は緋出に比べて快活で行動力にあふれてもいるのだが、そのエネルギーがどうしたわけか、見えない世界へと向けられてしまう。迷信家、否ロマンチストなのだ。

「しょーもな。一人で行って妖怪に食べられちゃえば?」

「えー。お前にしては珍しいな。俺の誘いを突っぱねるなんてさ」

剣塚古墳。近いうちにこっそり行ってみよう。緋出はそう決意して、りきんだ勢いでまたまた転んだ。



おごれるものも久しからず。豪奢ごうしゃを極めたこの街も、今や人跡じんせきまれなる秘境となった。林立する高層ビル群にはもはや人など住んでいず、からまる蔦草つたくさだけが繁栄を謳歌おうかしている。いや、いま一つ、実在と非実在との境界で、人知れず栄えるものどもがいた。暮色ぼしょく迫れる黄昏時たそがれどき、妖怪たちの会合が開かれる。廃墟となった大阪の街、往時のシンボル通天閣つうてんかく。その遺構の最上階で円居まどいをなすは、逢魔座よん座長の面々である。

「研究所への押し込みにより、我々は全ての百鬼招具ひゃっきしょうぐを手に入れたかに思われた。しかし。最後の一つ、百鬼杖は贋作がんさくで、本物は研究員の屋敷に保管されておったのだ」

赤鼻の大天狗だいてんぐの発する重々しい声音こわねが、議論の口火を切った。

「アタシが取りに行こうかな。隠形術おんぎょうじゅつは得意中の得意だし」

不定形の白いもやが、大天狗の言葉を受ける。

「しかし磐城いわき様。我らは座長ゆえ、軽々とは動けませぬぞ。そこな人間の小僧に引き続き、任せておくがよかろうに」

十二単じゅうにひとえを着た女性が、靄に向かって話しかける。

「この大槻おおつき紫蘭しらん身命しんみょうして杖の奪取に努める所存にございます」

部屋の隅に控えていた少年が、十二単の女の言葉に答える。

「でも紫蘭クンさあ、君の部下の百々爺ももんじい、やられちゃったんでしょ?アタシがやればすぐだったのに」

「研究員の息子―坂鳥さかどり緋出ひいでは父の入れ知恵によるものか、竜王山りゅうおうざんの烏天狗を従えておりました。あのような強力な妖怪がいようとは、思いもよりませなんだもので」

「では大槻よ、次の策について聞かせてもらおうか」

大天狗の鈍重な声が、部屋中に響き渡る。

「あっそういえば!今日あいついないじゃん。座長のくせして欠席するなんてありえねー」

靄が話の腰を折る。

太閤たいこう様は招具の解析に専念しておられます故、致し方なきかと―」

十二単の女がフォローした。

「あ、そっか」

 一瞬の沈黙を破って、紫蘭が答える。

「目には目を、歯には歯を、法師には法師を。逢魔座所有の百鬼招具五基の内、解析の完了したものは百鬼払ひゃっきほつただ一つにございます。複数人で向かった方が確実ではありましょうが、いかんせん杖の奪取は急を要します。かくいう事情により、払子ほっすの法師を遣わす腹積もりにございます」

「承知した。しらせを期待しておるぞ」

大天狗はわずかに目をほそめ、霧が拡散するようにして消えた。他の二体の妖怪も後に続き、高楼こうろうには紫蘭一人が残された。

「もしもし―」

スマートフォンを耳に当てた少年の孤影こえいもまた、深まる宵闇よいやみに溶けてゆくのであった。


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