第4話 霧中の怪②

 新たな主人に連れられて、私―牛王坊ごおうぼう金物かなものでできた駕籠かごに入った。自動車それは馬よりも早く通りを駆け抜け、主人の屋敷の前で止まった。水面みなもに張った氷のように、広く透き通った玻璃はりの板が、駕籠の外の景色を映していた。その繁華な街並みは、京やさかいの町をもしのいでいた。ここは私の生きた時代とは遠く隔たった未来なのだろう。末法まっぽうの世が終わった先には、何が待つというのか。永劫えいごうの時を経て到来した弥勒みろくの世、そう思えてならなかった。

私は今、納戸なんどで主人のご帰館を待っているのだ。


 ピピッ。巫鳥しとど甲高かんだかさえずるような音とともに、扉が開いた。主人の御母堂ごぼどうであろう。浄瑠璃じょうるり人形の如く、直立不動であらねばならぬ。

「ハイハイ、今から視覚共有しますからね。整理士さん、ここが例の書斎です」

いたるところモノで溢れかえってはいるものの、書物の類はあまり見られない。納戸の間違いではないのか。それにしても彼女は右目を光らせながら、部屋のあちこちを物色し、誰かに向かって話しかけている。妖術使いか、はたまた山姥やまんばか。踏みしめた両足に、思わず力がこもる。

「はぁ。高いんですかこれが。隣のやつも?あれもレアものなんですか!すごいすごい!」

部屋のモノを値踏みしているらしい。収蔵物のあたいに暗いところからすに、この部屋はご逝去せいきょなさったという、主人の御父君おちちぎみのものか。

「ええっと……それからこの木箱の中身も鑑定していただけますか?」

御母堂が、私のすぐ傍に立てかけてある木箱に近寄ると、怪しげな目の光が消えた。

「あれれ。すみません。通信状況が良くないみたいで……。ちょっと出直してきますね」

御母堂は納戸を出た。彼女はこの部屋の物を誰かに売り渡す予定なのだろうか。木箱に入ったあの杖は、私を現世に呼び戻すという、霊妙れいみょうな働きをなした。ならば坂鳥家の家宝に違いない。主人に報告せねば―そう思った私は素早く杖を取り出し、窓を開けて飛び去った。



「兄ちゃんや。助けてほしくば杖をくれ」

こいつは妖怪だ。僕というよりむしろ、百鬼杖を狙っているのだ。あの杖は本物の兵器なのだと、緋出は確信した。

「……」

一歩後ずさり、振り返る。異相いそうの男はやはり自分を追ってきている。そしてこの老爺をやり過ごした先にも、そいつはいるのだろう。今度は路地の真ん中で通せんぼでもして。

「無駄じゃて。逃げられやせんよ」

「お前は、何者なんだ……?」

「ワシは逢魔座おうまざのよこした化け物じゃ」

「おうまざ?」

「知らんのか。逢魔座ちゅうのはな、化け物、いや人間どもは妖怪と呼ぶんかの。妖怪同士互いに助け合って、人間に対抗するための組合じゃよ」

どうやら妖怪は、一組織を結成できるほどの数がいるらしい。それは即ちこの世には、百鬼杖のような道具が複数存在することを示唆している。

「悪いようにはせんからの。兄ちゃんのうち、案内してくれへんか」

老爺ろうやは目をぎょろぎょろさせて、にたにた笑っている。

どうしようどうしよう。頭が真っ白になったその時、

「わはははははは」

一陣の突風とともに、大音声だいおんじょうの高笑いが響き渡る。羽団扇はうちわで霧を払い地に降り立ったのは、牛王坊だった。

「お主も化け物か。私は烏天狗からすてんぐ、牛王坊と申す。名を名乗られよ」

「自分から名乗り出るとは、高慢こうまんちきな天狗らしいわい。おのが名を敵に明かすなど、退治たいじてくれと言うようなもんじゃろ」

「ふ―む。見かけない化け物だな。我ら天狗族と違って、さぞかし無名なのであろうなあ」

牛王坊はくちばしを大きく開き、さも愉快そうに目を細める。

「この野郎!道迷わしの名手、百々爺ももんじい様を知らんと抜かすか!」

老爺は目を三角にして怒鳴る。

獣肉ももんじ、か。オンクロダノウンジャクソワカ」

牛王坊がいんを結び呪文を唱えると、たちまち無数の火球が浮かび上がり、百々爺を取り囲む。天狗火てんぐびの術である。

「ひ、火、火はやめてくれ!後生ごしょうじゃ、頼む!」

「火を恐るるは獣のさが。名を明かすなと言うたではないか、おぬし自身がな」

牛王坊は腰のさやに手をかけて、太刀たちを素早く抜きはなった。ひるんだ敵は一瞬にして切り伏せられ、黒い粉塵ふんじんとなって消滅した。背後から追ってきていた男も消え、霧の路地はいつもの帰り道に戻っていた。全てあいつの幻術だったのか。

「……ありがとう、牛王坊」

恐悦至極きょうえつしごくにございます。して、あやつの目的は?」

「杖を狙ってるみたいだった。逢魔座のよこした化け物だとか」

「逢魔座……?不逞ふていやからもいるものですな」

牛王坊は一瞬眉をひそめ、書斎から持ち出してきたのか、懐から杖を取り出した。そして息を大きく吸い込んで言った。

「緋出殿、無礼を承知で忠言いたします。この杖は必ずや災いの種となりましょう。そして御母堂は、御父君遺愛いあいの品々を処分するおつもりでいらっしゃいます。この杖を同様のに処するも一つの手かと」

緋出は一瞬ためらったような顔をしたが、すぐに頬を引き締めて真剣な表情になった。

「僕がこの杖を持ち続けることが、父さんの願いなんだと思う。その真意が分かるまでは、これを手放したくないんだ」

「それでは、おでの際には杖を忘れずに携帯してくださいませ。万一私が殿を守り切れなくとも、杖を差し出せば敵は引き揚げるやもしれませぬ」緋出は静かにうなずいた。

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