第2話 引き合わされしものたち

親展しんてん 坂鳥さかどり緋出ひいで様」

蚯蚓みみずののたくったような乱雑な文字が、封筒の表面に記されていた。それはまぎれもなく父の筆跡であった。余人よじんに知られてはならぬ秘密を、父が自分に向けて書きのこしたのだと、緋出は推察した。

「ヒデ、どうかした?」

ドア越しに聞こえる母の声を無視し、緋出は封を開けて中の紙片を読んだ。


「息子ヘ 箱の中身は百鬼杖ひゃっきじょうと言います。妖怪を召喚し使役しえきするための兵器です」

緋出は大いに肩透かしを食らった。わざわざ封書ふうしょをしてまで玩具オモチャの設定ノートを残すとは、一体どういう了見りょうけんであろうか。確かに木箱には杖が収まっていた。金属製の先端部に幾つかの輪がついているところを見ると、錫杖しゃくじょうと呼ばれるものだろうか。長さは自分の背丈と同じくらいだから、170㎝程度であろう。は手触りの良い木製で、これだけならば骨董品と見えなくもない。

しかし入れ物の方には何らの箱書はこがきもなされておらず、あまつさえ杖の先端部には大きな黒石こくせきまっていた。それは前世紀の幻想文学で言うところの宝珠オーブ彷彿ほうふつとさせた。オモチャ確定である。緋出は見なかったことにして紙片を封筒にしまおうとしたが、そこで紙片の裏面にも何か書かれていることに気が付いた。

天蚕糸てぐす神社の御神木ごしんぼくの前で、この杖を使ってください。山の鎮守様なら、あなたを守ってくれることでしょう」

 今度はうなぎののたうち回ったような、乱雑かつ豪快な文章が墨書ぼくしょされていた。途中で余白がなくなりかけたのか、続く具体的な使い方についてはこまごまとした文字で書かれていた。

「母さん、今からちょっと出てくる!」

杖と紙片を携えて、緋出は玄関に飛び出した。ディスプレイを使ってタクシーを呼ぶ。しばらくしてやってきたタクシーに乗り込み、天蚕糸神社前に設定する。天蚕糸神社は緋出の住む町の名前、天蚕糸町の由来となった神社で、竜王山りゅうおうざんの中腹に位置する。

「父さんもくだらないゲームを考えるなあ。生物学者のくせに。最後くらい付き合ってやるか……」

緋出の独白どくはくが、無人の車内に響く。自宅から西に五分もすると目的地である。

 

 この地に足を踏み入れるのは何年振りだろうか。竜王山の麓には雄麗ゆうれいな枝ぶりの枝垂桜しだれざくらが鎮座している。薄紅色うすべにいろの可憐な花弁の連なりが、春の到来を静かに告げていた。神社への道を飾るのは、古風な石造りの階段である。道の両脇には途切れることなく大木が厳粛げんしゅくに控え、緋出を威圧した。幼い頃に比べると自分の背は伸びたものの、おぼえた威圧感は変わらない。参道を抜け、あのくすのきの前に至る。そして父のげんに従った。

両足を大きく開き、正面の大楠おおぐすを見据える。両手で杖を握り、深呼吸をした。

反魂はんごん牛王坊ごおうぼう!」

石突いしづきを大地に向けて、力強く振り下ろす。がちゃん、と金環きんかんが鳴った。

目の前の黒石が強烈な閃光を発すると、黒ずくめの男が眼前に現れた。

恐れたりはしない。僕はきっと、彼に会ったことがあるのだから。

「我が名は坂鳥緋出。なんじ罪業ざいごうを滅ぼさんがため、今しばらく我に伺候しこうせよ!」


 

 嘘をいてばかりの人生だった。家業かぎょうを継ぐのが嫌だった。貴人の子弟していと偽って、私は寺稚児てらちごとなった。名乗った出自に似つかわしくない貧相な身なりの私を、師僧しそうは黙って受け入れてくれた。けれども宗学しゅうがく成らずして、私は寺を出た。

 戦乱を避けて各地を転々としていた私は、宿を訪ねるたびに勧進かんじん中の高野聖こうやひじりかたった。幸いにも主君のお目に留まり、城中に置いていただいた。妻をあてがってもくださった。その限りない恩沢おんたくに私は背いたのである。

「私めは単なる遊行僧ゆぎょうそう、通りすがりの高野聖にございます。この城の者共とは、縁もゆかりもございません」

また嘘だ。


 やがて私は死に、仏罰ぶつばつくだされた。漆黒の羽根に大きなくちばし。人間と禽獣きんじゅうの合いの子―烏天狗からすてんぐとして私は転生した。鬼畜故の本能に従い、私は怒りに任せて暴れまわり、そしてしずめられた。


「そなたはおの悪業あくごうによって、畜生道ちくしょうどうちました。成仏したくば人に仕え、人心を苦しめる妖魔を打ち払うことです。それがそなたにとっての罪滅ぼしとなるでしょう」


私は今どこにいるのだろう。力尽きた私の見るこの光景は、もしや彼岸ひがんなのではあるまいか。光明に包まれたこのお方は、何者であろうか。彼岸だとすれば、地蔵菩薩じぞうぼさつなのかもしれない。今再び輪廻りんね岐路きろに立った私を、導いてくださっているに違いない。ならばそれに従おう。

光輝一閃。


「我が名は坂鳥―」

奇妙な服を着た男がいた。体格からするに元服げんぷくしたばかりだろうか。錫杖を持ち何かを唱えてはいるものの、山伏やまぶしには見えない。得体えたいの知れない男である。だが彼こそが私のつくべき人であることを、私は直感的にさとった。彼の前にひざまずき、新たな主人にこう告げた。


「私の名は、烏天狗の牛王坊。貴殿きでんを助け衆生しゅじょうの苦しみを除くため、今生こんじょうに限りお仕えいたす」

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