外つ国からの来訪者

遠井 音

外つ国からの来訪者

 森の奥に、その塔はひっそりと立っている。


 ユーリ・マグノリアは、蔦の絡まった煉瓦れんが造りの塔、「星見の塔」に、たった一人で暮らしている。ユーリは十五歳になったばかりの少女だが、ここオルド国では成人として扱われる。神殿での成人の儀を終え、住むところも働くところもないユーリのために、神殿長は「星見の塔」の管理を任せてくれた。


 夜。

 塔のてっぺんから、ユーリは星空を見上げていた。星はいつでも美しく輝いてユーリを慰めてくれる。書庫から持ち出した星座盤と合わせて星を眺めていると、ひとつ、見慣れない星があった。

「なんだろう。青くて、大きな星……」

 ユーリがぽつりとつぶやく。星がどんどん大きくなっていくのがわかる。流星か、それとも、彗星か。その星はどんどん大きくなり、やがてユーリのいる「星見の塔」めがけて落ちてきた。ユーリの心臓を射抜くように。

「!」

 ユーリはしばらく気を失っていた。死んだのだと思っていたけれど、どうやら生きているらしい。

 ゆっくりと起き上がると、すぐ近くに、見慣れない黒い服を着た、見知らぬ人間が倒れていた。

「あの……? 大丈夫、ですか?」

 おそるおそる訊ねる。明るい茶色の髪を一つに束ねたその人間は、女性で、目を閉じていた。ユーリの声に「んん……」と反応する。ユーリがその人間をゆさゆさと揺すると、「はっ!?」と目を覚まし、それから、


「部長、あたし絶対に納期は守ります! 任せてください!」


 と言って立ち上がった。

 ユーリはぽかんとした顔で、その人間を見上げるばかりだった。


 ☆


「あなたは、くにからのまれびとですね?」

「ごめん、何言ってるか全然わかんない」

 ――外つ国、つまりは、この世ならざる世界から来た者を、古くは「まれびと」と読んだそうだ。これも書物で得た知識だった。

 ユーリは少し困ってから、首を傾げつつ言葉を探した。

「異世界……と言えば、伝わりますか?」

「待って、ここってもしかして地球じゃないの?」

「地球というのは、惑星の名前ですか?」

「そう」

「この惑星の名前は、プラネット・マグア。それからこの国は、オルドといいます」

 ユーリの言葉に、彼女は「あぁああ……」と頭を抱えながら溜息をついた。

「やばい、あたしって死んだんだ。異世界転生しちゃったんだ。いや、生まれ変わってない場合って異世界転移なのかな……」

 ひとりでぶつぶつと呟く彼女を、ユーリはじっと見つめた。髪よりも少し暗い、焦げ茶色の瞳が、上を見たり下を見たりと目まぐるしく動く。やがてその瞳がユーリを捉えた。

「言葉は通じるんだ。トツクニとかマレビトはあたしが知らない単語だったけど……惑星っていう概念もあるみたいだし……」

 じいっ、と彼女はユーリを見つめる。品定めをするため、という感じではなかった。思考の整理をするためにどこか一点を見る必要があり、その対象物としてユーリを選んだだけのようだった。

「ね、あなたの名前は?」

「ユーリです」

「あたしはひびき。相沢ひびき。28歳独身SEです。あー、異世界転移で無双とかできるかな。チート能力とか付与されてたりして」

 ユーリには、彼女の言葉の意味が半分以上わからなかった。

 とりあえず「ひびき」というのが名前だとわかったので、ユーリはほっと安心した。まれびとにも名前はあるのだな、と思った。


 ☆


 翌日、朝食を終えてからユーリはひびきについて訊ねた。

 ひびきは「地球」という惑星の「日本」という国で生まれ育った人間であるとのことだった。「社畜」と呼ばれる身分で、一日の大半を労働に充てていたそうだ。「社畜」の中でも「エスイー」という種族で、オルドには存在しない「パソコン」という物体を使って労働をしていたという。「パソコン」というのは、とても便利な道具であるらしい。ユーリは見たことのない世界の話に、目を輝かせた。

「その『パソコン』を使うのが、ひびきの仕事なのですか?」

「まあざっくり言うとそうなるかな」

「詳細に言うとどうなるのですか?」

「うーんと、パソコンのセットアップから自社WEBサイトの開発保守運用までなんでもやってたよ。社内のネットワークが調子悪ければそっちも見るし。NASもWi-Fiもなんでも来い。Redmineのメンテもするし」

「……はあ……」

「言語だってPHPがメインだけどJavaScriptもCSSもさわれます! Python使っての社内業務の自動化案件もあったな〜。講習受けたけど結局使わなかったのはJAVAかな。あとはデータベースも勿論さわれます!」

「……えっと……」

 まくし立てて胸を張るひびきに、ユーリは困ったように頬を掻いた。今のひびきの言葉は、ユーリには何一つ理解できなかった。おそらくすべて「パソコン」や「エスイー」に関係ある言葉なのだろう。けれど、なんといってもオルドには――いや、おそらく、プラネット・マグアのどこを探しても――「パソコン」は存在しない。つまり「エスイー」という種族も存在しないのだ。

 どう反応するべきか困っているユーリに、ひびきは、あはは、と笑った。

「ごめん、つい一人で盛り上がっちゃった。わからないよね」

「すみません……」

「ううん、ユーリのせいじゃないよ。次は、この世界やユーリのことを教えてくれる?」

「はい」

 ユーリは一度、深呼吸をした。まずは自分の紹介から始めよう。

「わたしの名前は、ユーリ・マグノリア。15歳です」

「15歳!? 若そうだと思ったけど、ほんとにまだ子どもなんだ」

「いいえ、オルドでは15歳で成人として扱われます」

「なるほどね。お酒も飲めるの?」

「もちろんです」

「あ、お酒ってこの国にもあるんだ」

「ありますよ。この塔には置いていませんが」

「そうだ、この塔。どうしてユーリは、こんなところに住んでるの?」

「……神殿から、この塔の管理を任されているからです」

「たった一人で?」

 当然の疑問だ。ひびきはきょとんと首を傾げる。「星見の塔」はあまりに高く、広く、一人で管理できるような建物ではない。わかっている。ユーリも、神殿も。

 ユーリはうつむき、震える指先をきゅっと握った。

「ごめんなさい。最初に言うべきでした。わたしは……町の人々からも、神殿からも、忌み嫌われているんです」

 ひびきがどんな顔をしているのか、見ることができなかった。失望されることが恐ろしかった。真実は、あまりに邪悪な形をしている。

「嫌われている……? どうして?」

「……度を越した魔力を保持しているからです。今は神殿からお借りしている魔術具で抑制していますが、わたしは、異常な量の魔力の持ち主なんです」

「魔力?」

「はい。……もしかして、ひびきの惑星には、魔力や魔法という概念はありませんか?」

「うん。地球では、魔法は物語の中にしかないものだよ」

「そうなんですね……」

「ねえユーリ、もしかして空を飛んだりできる!?」

 ユーリはぽかんとした。異常な魔力量に怯えもしないひびきが、ユーリにとっては不思議だった。

「はい、一応……」

「あたしも飛べる!?」

「そうですね。わたしと手をつないでいれば、わたしの魔力が使えます」

「飛びたい!」

 元気よくひびきが言う。外に出て、ユーリはひびきの手を握った。魔力を分け与えるイメージで、ゆっくりと風の魔法を発動させる。二人の身体がふわりと浮き上がる。成功だ。そのまま上空高くまで飛び上がる。

「すごい! ほんとに浮いてる! 魔法だ〜! あ、向こうに町がある!」

「ひびき、絶対に手を離さないでくださいね」

「わかってる! あっ、ねえ、向こうにあるのは神殿?」

「はい。神の住まう場所です」

「すごい、すごい! あたしってほんとに異世界に来ちゃったんだ!」

 楽しそうにひびきは笑っていた。上空の空気は冷たく、身体が冷えてきたので、ユーリは徐々に高度を下げた。塔のてっぺんに降り立つと、あは、とひびきは笑った。

「本当に魔法ってあるんだ! 最高!」

 ユーリには、何が面白いのか、あまりわからなかった。けれどひびきが嬉しそうなので、まあいいか、と思った。ユーリはつられて微笑んだ。

「やっと笑ってくれた」

 ひびきは、目を細めてそう言った。

「え?」

「ユーリ、全然笑ってくれなかったから、緊張してるのかと思って」

「それは……」

 緊張、というより、ユーリは「笑う」ことに慣れていなかった。ぎゅ、と眉間に皺を寄せるユーリに、ひびきは「あ、また難しい顔してる」と言って、笑いながらユーリの眉間をつついた。

「楽しかったよ。ありがとう、ユーリ」

「……はい……、わたしも、楽しかったです」

「ユーリはいつでも空飛べるんでしょ?」

「はい、そうですが、」

 それまでとは違う、なんだか特別な飛行だった。


 ☆


 それからユーリの退屈な日常は一変した。

 ひびきという人間が増えただけで、それまでの色褪せた日々が急に色づいた。ひびきは、マグアの何に対しても驚いて、新鮮な反応を見せてくれた。そしてひびきはいつも笑っていた。そんなに楽しそうな人間を、ユーリはこれまで見たことがなかった。ユーリの知っている人間といえば、神殿でいつも真面目そうな顔をしている神殿長や神官たちか、醜悪なものを見るかのようにユーリから目を逸らす町の人々ばかりだったからだ。

 強い効果のある薬草が毒にもなりうるように、ユーリの持つ強い魔力は、人々に益をもたらすのか害をもたらすのかわからない。生まれてすぐにユーリの魔力量の異常に気づいた両親は神殿を訪れ、そのまま捨てるようにユーリを神殿に預けた。だからユーリは両親の顔も名前も知らない。ユーリが成人する前に別の国へ引っ越したのだと風の噂で耳にしたことがある。きっとそうなのだろう。オルドは狭い国だ。何かの間違いで捨てた娘に遭遇することも、ないとは言い切れない。

 二人はいろいろな話をした。ユーリが過去を語るたび、ひびきは真剣な顔で、けれど優しく話を聞いてくれた。

「ごめんなさい、ひびき。つまらないですよね」

 遠慮がちにユーリがそう言うと、ひびきは首を横に振り、ユーリをぎゅっと抱き締めた。

「そんなことないよ。ユーリが嫌じゃなければ、ユーリのこと、もっと教えて」

 ひびきは、ふしぎな人間だった。

 太陽のような明るさで笑うのに、三日月のように寄り添ってくれた。

 ユーリはひびきに自分の過去のことや、考えていることを語るたびに救われた。ひびきはユーリの過去を真摯に受け止めてくれた。けれどユーリを自分勝手に憐れんだり、泣いたりすることはなかった。ユーリの過去はあくまでユーリのものであって、ひびきのものではない。ひびきは、そういうことをきちんとわきまえているようだった。

 だからきっと居心地がいいのだ、とユーリは思う。

 太陽のようにあたたかく、三日月のように思慮深い。

 そんな人間に、惹かれないほうが無理だった。


「魔石の発掘?」

「はい。ひびきも行きますか?」

「楽しそう! 行く!」

 塔からしばらく歩くと、魔石の採掘地がある。そこで採れる魔石は、種類によって、魔力を増幅したり抑制したりすることができる。

「魔力って、人によって量が違うの?」

「はい。生まれたときにはもう決まっています」

「もしかして魔力を回復するための薬とかある?」

「そうですね。薬草を配合したポーションがよく使われます」

「詠唱で魔力が強まったり?」

「します」

「なるほどね」

 自分の考察が当たって上機嫌なひびきに、ユーリは首を傾げる。ひびきは魔力のない惑星から来たというが、それにしては魔力に関しての勘がやたらと鋭い。

「ね、ユーリの魔力は魔術具で抑えているんだよね?」

「はい」

「魔力の少ない人がその魔術具をつけたらどうなるの?」

「……考えたこともありませんでした。ですが、特に何の効果もないはずです」

「少ない魔力が、魔術具で抑えられてさらに少なくなったりはしないんだ?」

「おそらくですが」

「ふむ。じゃあ、一定以上の魔力にだけ反応するんだね」

 魔石の採掘地に着くと、ひびきは「わあっ!」と声を上げた。魔石は、その名の通り魔力を持った石だ。色とりどりに輝くため、貴族の中には、魔力目的ではなく装飾目的で魔石を身につける女性もいるという。

「すっごい、宝石だ!」

「魔石ですよ?」

 魔石は場所によって採掘できる種類が異なる。今日ユーリが採掘しに来たのは、紫色に輝く魔石――アメジストだった。

「え、アメジストっていうの、この石」

「はい」

「……ユーリが名づけたの?」

「いいえ。昔から、この石はアメジストと呼ばれています」

「……地球と同じだ……」

 むむむ、とひびきが唸る。ユーリは手際よくアメジストを採掘していく。魔力のない岩と魔石は癒着しているので、岩ごと魔石を採掘する。

「採掘作業には魔法は使わないんだね」

「魔力は、少し大雑把なところがあるんです。手先を使う作業には向きません」

「料理とかにも向かない?」

「その通りです」

 ふむ、とひびきが頷く。採掘作業はつつがなく終了し、あとは塔へ戻るだけだ。往路と同じ道を帰っていく。

「そういえば、ひびきには魔力がありませんね」

「ね! 異世界から来たんだからチート無双したかった〜!」

 言葉の意味はわからなかったが、ひびきが大量の魔力を欲していることはなんとなく理解した。

「ひびきは、魔力をどんなふうに使いたかったですか?」

「え? うーん、敵をたくさんズバーンって倒したり、かな」

「敵ですか」

「あ、そういうのっていない感じ?」

「いえ、いますよ。魔獣という害獣がいます。基本的には山に住んでいるのですが、時折、山を降りて町や村を襲います」

「そうそう、そういうのをさ、あたしの魔力でズガーンと追い払えたらかっこよくない?」

 うーん、とユーリは唸った。それができれば、苦労はしない。

「魔力は大雑把なところがあると言いましたよね。魔獣は火に弱いのですが……」

「火の魔法で魔獣を焼き尽くす的なことはできないの?」

「たとえば、畑を襲っている魔獣を火の魔法で追い払おうとすると、畑ごと焼けてしまいます」

「あ〜! そういう感じなんだ!」

 ふむふむ、とひびきは何度も頷く。

「魔獣にだけ反応する魔石とかはないの?」

「ありますよ。コランダムは魔獣に反応すると赤く輝きます」

「えっ、あるんだ! じゃあさ、そのコランダムを使ってさ、火の魔法をかけたらよくない?」

 ユーリは立ち止まり、唇に手を当てて考えた。そんなこと、これまで考えたこともない。可能なのだろうか?

「……火の魔法を、人間が直接かけるのではなく、コランダムを通して発動させる、ということですよね」

「そうそう!」

「理論上は不可能ではありません。試してみる価値はありますね」

 ユーリが再び歩き始めるときには、それまでより早足になっていた。


 ☆


 ユーリは考えたこともなかったけれど、コランダムにユーリの魔力を篭める作業は難なく完了した。発動条件として、「コランダムが赤く輝いた場合、火の魔法を発動させる」という指示をコランダムに記録することも簡単だった。こんなに簡単なことを、どうしてこれまで誰もやらなかったのだろう、と拍子抜けするほどに。

 魔力を篭めたコランダムを塔の周囲にいくつか置くと、魔獣避けとして役立った。篭めた魔力はそう多くはない。魔獣を脅かす程度の火が立つだけだが、魔獣を山に追い返すには充分だった。


「ユーリ、いるか? ユーリ・マグノリア。出てきなさい」

 どんどんどん、と玄関扉を叩く音がした。昼下がり、お茶をしているときのことだった。ユーリの顔色がさっと青褪めたのを見て、ひびきが勇み足で玄関の扉を開けた。ユーリはひびきの後ろから、おそるおそる訪問者の様子を窺った。扉の向こうには、神殿長と町長が立っていた。ユーリは深くうつむいた。この二人が現れて、何かいい報せがやってくるはずがない。

「誰だ、君は」

 神殿長がひびきに訊ねる。ひびきはなぜか、胸を張って答えた。

「相沢ひびきです」

 神殿長が怪訝な顔をする。

「……聞き慣れない名前だな。どこの町から来た?」

「板橋区です」

「イタバシク? まさか国外から来たのか?」

「ていうか異世界から来ました」

「異世界……!?」

 神殿長が、驚きに顔を歪める。冷静沈着な神殿長がそんな顔をするところを、ユーリは見たことがなかった。

「ありえない。異世界など、伝説の中にしかないものだ!」

「やー、来ちゃったんだから信じてもらうしかないんですけど。で、何の用ですか?」

 にこり、とひびきは笑っている。しかしその笑みは、神殿長たちを跳ね除けようとしているように見えた。

「……この塔の周りで怪しい魔法を使っていると、町の者から苦情が寄せられた」

「使っていません」

「真夜中、塔の周りで魔力を発動させていると聞いたが?」

「そうですね」

「そんな夜中まで、何をしている?」

「夜は寝ています」

「眠りながら使える魔力がどこにある?」

 ひびきと神殿長は、緊迫した雰囲気を放っていた。ユーリは、意を決してひびきと神殿長の間に割り込んでいく。

「あの……っ、し、神殿長、ご無沙汰しております。町の人々を不安にさせてしまったこと、申し訳ございません」

「ああ、久しいな。挨拶はいい。寝ている間に魔力を使っているとは、どういうことだ?」

「ええと、魔石……コランダムに、わたしの火の魔力を少しだけ篭めています」

「そんなことをしたら、町の人間まで燃やしかねないだろう」

「はい。ですから、コランダムが赤く輝いた場合……つまり、魔獣に反応したときだけ、火の魔力が発動します」

 神殿長が、眉間に深く皺を刻む。

「……可能なのか? そんなことが……」

「はい、あの……現に、神殿長は、今いらっしゃるとき、何も起こりませんでしたよね?」

「確かに何もなかった。そうだな?」

 同意を求められた町長が、こくこくと頷く。ユーリは、ほっと安堵した。

「だが、世が世なら異端の術として扱われかねない」

 厳しい顔で神殿長が告げる。ユーリはきゅっと拳を握った。ユーリの肩をぽんと叩いて、ひびきがユーリを退ける。

「考えたのはあたしです。異世界から来た、このあたしです。異端上等、どんな罰でも受けますよ」

「……現代において、異端審問の席は設けられていない。世が世なら、と言っただろう」

「じゃあ何の問題もありませんね」

「非常識極まりないという意味だ」

「常識? 成人したばっかりの女の子をこんな塔に閉じ込めてる人が、常識ですか」

 ひびきがやれやれと首を横に振って、にっこりと笑う。あ、とユーリは気づく。

 ひびきは今、怒っているのだ。

 それも、とてつもない怒りだ。

「……ユーリ・マグノリアは自然魔法だけじゃなく、治癒魔法も使える。治癒魔法は、使い方次第では人を殺めることもできる」

「鍛冶屋は町にないんですか? 包丁だって剣だって、使い方次第で人を殺せますよね」

 怒っている。ひびきは怒っていて、そしてそれは、ユーリのための怒りだ。

「ひびき、もういいです」

 ぎゅ、とひびきの裾を握る。ユーリの手は震えていた。ユーリは、ひびき越しに、神殿長と町長をじっと見つめた。

「神殿長、町長さん。わたしは、町の人たちに迷惑をかけるつもりはありません」

「しかし……!」

 と声を上げたのは町長だった。神殿長が、それを手で制す。

「その言葉を信じよう」

 と言い残し、神殿長は背を向けた。町長がユーリとひびきを睨みつけてから、神殿長の後を追う。ひびきは手を振って、玄関の扉を閉めた。

「っかー! むっかつく! 何あれ! 理不尽クレーム選手権優勝者!?」

 ひびきが怒りながら部屋に戻る。ひとしきり神殿長たちの悪口を言ってから、はあー、と長い溜息を吐き、すっかり冷めてしまったお茶を一気に飲み干す。

「ごめん、ユーリ。あたし頭に血が昇っちゃった」

「ひびきが謝ることは何もありませんよ。むしろ……」

「むしろ?」

「……嬉しかったです。わたしのことなのに、まるで自分のことのように怒ってくれて」

 ふ、とユーリは微笑んだ。むう、とひびきが唇を尖らせて、それから「まあいっか」と言いながら、新しいお茶を淹れるための準備をした。


 ☆


「ユーリ・マグノリア! ユーリ・マグノリアはいるか!?」

 新月の夜、塔のてっぺんでユーリとひびきは星空観察をしていた。塔のふもとから声がして、ユーリとひびきは顔を見合わせた。ユーリはひびきの手を取り、二人で塔の外まで降りた。

「ああ、ユーリ・マグノリア! 町に来てくれないか!?」

 声の主は町長だった。その顔には、焦りと恐れが浮かんでいる。

「……町に、何かあったんですか?」

 ユーリが訊ねると、町長は頷いた。

「魔獣の大群が山から降りてきて、畑だけじゃなく家まで荒らしているんだ! わしらでは手に負えない! このままだと死人まで出かねない!」

 ユーリは目を見開いた。ひびきも、驚きに目を丸くしている。

「わかりました。用意をしたら、すぐに行きます」

 ユーリは塔の中に入り、コランダムを用意した。塔の周囲に置いているものよりも大きく、強力な魔力を篭めることができるものだ。

 大量のコランダムをかばんに詰め、ユーリとひびきは、夜空を飛んで町へと急いだ。あちこちで煙が昇っているのは、火の魔法を町の誰かが使った痕なのか。ユーリは息を呑む。ひびきがその手を、強く握った。

「ユーリ」

「……はい」

「恨んでない?」

 ひびきの問いに、ユーリは首を横には振れなかった。

「……恨んでいないと言えば嘘になります。でも、わたしは今、町の皆を助けたいです」

「さすがユーリ」

 魔獣の嘶く声が、上空まで響いてくる。ユーリはひびきと手をつないで飛び回り、町を囲むようにコランダムを配置した。

「これだけの規模での魔力を使うのは、初めてです」

 ユーリは魔術具を外した。抑制用の魔術具を身に着けたままでは、町を覆う量の火は出せないだろう。

「できるよ、ユーリなら。大丈夫」

 ひびきが優しく微笑んだ。ユーリはこくりと頷いて、詠唱のために息を吸った。


「親愛なるイグニス、絢爛けんらんたる華燭かしょく灯火ともしび、その尠少せんしょうたまわりて、我がせきは夜を穿うがつ」


 町を覆うように、火炎が立ち昇った。ユーリは家や人々、畑を燃やしてしまわないよう慎重に魔力を使った。コランダムがあるとはいえ、この場において、それだけでは不充分だ。火の魔法と風の魔法を掛け合わせ、火の向きを変える。本当は魔獣を追い払って済ませたいところだったけれど、興奮している大群相手にそんなことは言っていられない。

「大丈夫」

 ひびきが呟く。炎が魔獣を燃やしていく。町の人々は神殿長によって一箇所に集められていた。その人々が、祈るように炎を見つめている。

 ユーリの放つ強力な火の魔法は、魔獣の遺骸さえ残さず、魔獣の存在すべてを焼き尽くした。火が一つ消え、二つ消え、そしてすべての火が消えると、ユーリはゆっくりと降下し、気を失った。


 ☆


 後日、町の人々からのお礼として、様々な野菜や果物、花が送り届けられた。神殿長と町長が「先日は世話になった」と言うので、ユーリは「いえいえ」と謙遜したけれど、ひびきが「もっと感謝してもいいんですよ」とふんぞり返った。

 町長が「もしも町に住みたければ、我々はいつでもきみを歓迎しよう」と言うので、ユーリは少し困ってしまった。町への憧れはあったけれど、……けれど。

「あの……」

「驚くべき手のひら返しですね」

 ひびきが呆れながら言うので、ユーリはひやっとした。神殿長がごほんと咳払いをする。

「……虫の良すぎる話だとはわかっている」

「あ、自覚はちゃんとあるんですね」

「もちろんだ」

 ひびきと神殿長がやり取りをする間、ユーリは心を決めた。町への憧れはあった。

 けれどそれはもう、過去の話だ。

「素敵なご提案、ありがとうございます。でも、わたしの居場所は、この塔です」

「とのことです。また何かご入用のときはいつでもどうぞ〜」

 ひらひら、とひびきが手を振った。神殿長と町長は小さく笑いながら、去っていった。


「ひびきは、元の世界に戻りたいですか?」

 二人きりになってから、ユーリは訊ねた。異世界からの来訪者が、もしも過去、他にもいたのなら。元の世界に戻る方法も、探せば見つかるかもしれない。

 ……しかし、ひびきがいなくなってしまったら。

 ユーリにとっては、太陽と月をいっぺんにうしなうようなものだ。残されるのは真っ暗な空で、しるべはどこにも見当たらない。

「んー、戻っても限界社畜生活が待ってるだけだし、別にいいかなあ」

 あっけらかんと言い放つひびきに、ユーリは目を丸くした。いなくなってほしくない。けれど、こんな簡単に、この世界にいることを決めてしまっていいのだろうか?

「未練や後悔はないんですか?」

「ないって言ったら嘘になるけど、でもここにはさ、ユーリがいるし?」

 ね、と言ってひびきは笑う。ユーリは目をまんまるに見開いてから、花がほころぶように笑った。


 ☆


 森の奥にある塔の中には、二人の人間が暮らしている。

 塔からは毎日、幸福そうな笑い声が響いているという。

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外つ国からの来訪者 遠井 音 @oto_toi

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