第9話 殺し屋殺し
■■■ “一回目” デトロイト
「この写真、あなたですよね?」
ゴミが重なり、落書きがいたるところに書かれているスラム街の一角。銀次はドレッドヘアーの男に写真を見せながら訊ねている。目の前の男性は薬物の取引でちょっとした財を築いている小金持ち。ここら一帯を仕切る悪の大将。銀次にしてみても、政府にしてみても“お山”の大将であることに変わりはなかったが。
「あ? なんだこの猿は? 言葉を喋れる猿なんて珍しいな」
ドレッドがアジア系のイエローモンキーに話しかけられたことに苛立ちを覚えて暴言を吐くが、それに対して銀次はにっこりとほほ笑む。
「猿の言葉がわかるのでしたら、あなたも同族ですね。体格からしてゴリラでしょうか?」
その瞬間、男の大ぶりの拳が銀次の左頬を殴りぬく。鮮血がはじけ、歯も数本飛んでいく。
「舐めてんじゃねえぞ! とっとと失せないと殺すぞ!」
銀次は左手で頬をさすりながら、無表情な目で男を見つめ返し静かに呟く。
「
銀次は汚いものをつまむかのように『それ』をプラプラと振っていた。切断されたその断面からは紅い液体が流れ出している。
ドレッドはふと自分の右腕を確認する。手首から先がない。血液が断続的に噴き出している。あまりに一瞬で切断されたのか痛みはさほどなかった。だがその極小の痛みに反比例するかのように、極大の恐怖を味わっていた。動物的本能が眼前の優男が捕食者だと認識する。
声にならない悲鳴をあげながら大通りまでの道をかけていこうとするが……。
「あー。これは二撃目だ。恨んでくれていいですよ」
ホルスターから取り出したサイレンサー付きの拳銃をドレッドに向け発砲。人間が人間を殺すためだけに生み出したそれは。ある種の機能美さえ感じられるその武器は。いともたやすく、音もなくドレッドの命を奪う。
■■■ 拠点 リッチモンド
最初はただのごろつき殺し。二つ三つと淡々と依頼通りに仕事をこなし、10を超えたあたりからは、ホットドッグを食べながら命を奪えるほどに“成長”していた。
刺し殺し、斬り殺し、殴り殺し、絞め殺し、撃ち殺し、穿ち殺し、殺して殺して、殺しつくした。何のことは無い。ただ、己の飯のために頼まれた対象を殺すだけ。難しい話ではない。居酒屋のバイトのほうが100倍大変だったと銀次は思っている。これで一件一万ドル。日本円にして約100万円が懐に入るわけだ。彼にとって笑いの止まらない話だった。
Sirに借りている部屋は各家電も充実していて、防音性も高い。非常に住み心地の良いアジトだった。ただ、監視カメラや盗聴器の存在は当然警戒した。金属を這わせて部屋中を探し回ったが杞憂に終わり安堵する。支給品は拳銃が二丁。おまけで手りゅう弾も二個。そのどちらも車をコピーした要領で模倣してある。最初銃火器や爆弾を作る際に火薬が必要だと思っていたが、銀次が新たに編み出した攻撃方法でその必要もないことがわかる。
「圧縮爆破」
密度を自由に操れるのは前から分かっていたことだが、それを応用し固体が気体に昇華するさいの暴力的な体積上昇による爆発で、爆発物の代わりになることを発見していた。
液体金属純度100%の飛び道具ができたため、大袈裟に言えばもう彼は拳銃を持ち歩く必要すらない。が、サイレンサーは金属では代替できないし、ポンポン液体金属を使うと能力露見のリスクが伴う。故に彼は実銃をしっかり体内収納で持ち歩いていた。
もう一つ彼が編み出したのがバディの生成である。日本から持ってきた円錐オブジェの一つを人の形に造形している。それに自らのプログラムを組むことで “
■■■ “29回目” ニューヨーク
別に仕事にやりがいを感じるなんてことはフリーター時代から無かったが、それは暗殺者になっても変わることはなかった。今日も動く肉塊を動かない肉塊に変える退屈な作業。それ以上でもそれ以下でもない。多数のビル群が両側にそびえたち、軽い圧迫感さえ感じるアメリカ有数の大都市。日も落ちかけ、人通りも少なくなったストリート。銀次は仕事終わりのサラリーマンのように夕飯のメニューを考えながらゆっくりと歩いていく。
車まであと数歩といったところで銃声が鳴る。
ほぼ同時にライフル弾が螺旋回転をしながら頭部を貫通。血液を吹き出しながら地に伏す銀次。わずかに通りに残っていた人間からは甲高い悲鳴が聞こえる。直後その金切り声をかき消すような轟音とともに、銀次は爆発四散する。
□□□
爆発地点から500mほど離れたビルの非常階段。そこにいる無精ひげの生えた男性が
「自分の死をトリガーにした爆弾を持っていたのか。随分と用心深い。同業者か?」
カンカンと金属音を鳴らしながら一階まで降りて即座に楽器ケースをトランクにしまい、ナンバープレートを変えてあるアンティーク調の盗難車に乗り込んだ。
オシャレな内装のつまみをねじりラジオをつけ、煙草にも火をつける。ジャズが流れ、シックな内装も相まって小洒落たバーを想起させる。一吸いしたのち備え付けられた灰皿で火をもみ消した。
彼はこの仕事に就いてもう20余年。監視カメラに映らないで自宅まで帰るルートは当然把握している。尾行を警戒し、何度も必要のない道を通りながら目的の場所へと帰還する。
駐車場に車を止め、最高級のセキリュティで守られた砦のような自宅マンションに入っていく。エントランス、エレベーター、自室すべてに別個のカードキーが必要となる金持ち御用達の城塞。過去に何回か同業者に暗殺されかけたことはあった。殺している身だからこそ殺される可能性があるということを彼は理解していた。そのリスクに見合った報酬として、この豪華な住まいと美味い飯が手に入るということも。
広いリビングで最上級のワインを開け、コルクの外れる小気味良い音が聞こえる。
刹那、部屋に大量の金属音が響く。いうならば反射行動だった。それが手りゅう弾であると脳が理解するよりも早く、彼は床に飛び伏せ首と頭を手で覆う。
1秒、2秒、3秒、4秒、5秒……。何も起きない。爆風も轟音も、死に至らしめる鉄の暴風も。彼は首を横にやり、現状を確認する。確かにそこには夥しい数の手りゅう弾が転がっていた。全てピンも抜かれている。
「ぜ、全部、不発……?」
「いや、僕の意思で起爆させられる。君が今五体満足なのは僕の慈悲だ」
背筋に水が落ちた。氷の掌で心臓を撫でられるような気持ち悪さ。冷たく抑揚のない女性の声が彼の耳に届く。
理解が追い付かない。何故女がここにいるのか。当然の疑問。
何故、爆弾が爆発しないのか。それも当然の疑問。
何故自分は今、生命の危機に晒されているのか。同じく当然の疑問。
そして最大の疑問。
(なんで……この女は俺のワインを飲んでいるのか)
「フルーティー……っていうよりは渋みが強いね。シャトー……ラフィットっていうの? これ」
煌めく銀髪に、飲んでいる酒と同じ色をした瞳。頬を上気させてワインとチーズを交互に口に含む美少女。ターゲットにした男と瓜二つの容姿で端正な顔立ちをしている。時と場所さえ違えば男色家である彼でさえ声をかけていたかもしれない。目に入ってくる情報の一つ一つが彼の脳の処理能力を超えていた。しかし彼もプロである。自分が今すべきことを把握するのにかかった時間はわずか1.4秒。
(こんな好機があるだろうか? 彼女の左手にはチーズ、右手にはグラス。不発の爆弾はおそらくハッタリ……。不自然な点を挙げればきりはないが……)
(常に懐に備えてある
──抜く。難なく可能。
────トリガーに指をかける。可能。
──────頭に狙いを定める。可。
────────引く。……不可。
「何故……動かない……。ビビっている? 俺が?」
彼は心因性の硬直ではないことにすぐに思いが及ぶ。指だけでなく全身くまなく“物理的拘束”をされている。どうやったらこんなことができるのか。理解不能。ただひとつわかる。今日が彼の終わる日なのだと。
「はっは!
「俺は何をされているんだ? 嬢ちゃん……。どうやってここに入れた? どうして俺の体は動かない? 何の理由があって……」
「ストップ」
銀子の目つきが険しくなる。視線だけで人を殺すことができるような絶対零度の瞳。己の年齢の半分ほどしか人生を歩んでいない青二才。それがこれほどの鬼気を出す。修羅場を幾度となく潜り抜けてきた彼が気圧された。彼女を形容するならば、それは“死”だった。
「質問をしているのは僕だ。拷問なんて野蛮な方法はとりたくないんだ。まあ取り繕っても分かるだろう、君にはこれから死んでもらうことになる。だが死に方は安らかなものにしよう。協力してくれるならば」
「……いつかは、こんな日が来ると予想はしていたよ。殺しているんだ、逆もある。狩人と獲物は昨日と今日で容易に入れ替わる」
一呼吸おいて、彼は口を開く。
「聞きたいことにはすべて正直に話そう。だから最期に一本。煙草を吸わせてくれないか?」
「いいよ」
即答。つかつかと銀子は動けない彼の前まで歩いていき、煙草を一本咥えさせ火をつける。彼はそれを吸い込み大きく息を吐き出す。
「さて質問だ。君の依頼者、だれにあの男性の……。銀髪紅目の、僕に似た人の暗殺を頼まれた?」
「そもそも依頼者の情報を話すことは無いからな、聞くこと自体していない。というよりも頼んでも教えてくれないよ。ただ……」
「ただ……?」
「あの男性の備考欄に、『姿を自由に変えられる。基本的にはこの写真だ』と意味の分からないことが書かれてあったな」
「やっぱりねえ……。ハァ……。そんな気はしていたんだよ」
銀子は陰鬱な表情を浮かべる。この質問の答えはおおよそ予想のできていたことだった。ただ多少の面倒くささは感じていた。頭を振り次の質問に移る。
「それにしても……狙撃ってチートだよな。改めて思い知ったよ。意識外からの一方的即死攻撃。……僕に狙撃銃の使い方を教えてもらってもいいかな?」
その提案に対して、意外にも彼は嬉しそうに答える。
「俺が長年培ってきた技術が埋もれないならばむしろ歓迎だ。レミントンを取ってくれ」
その殺し屋は、物騒な
半刻ほど過ぎて、銀子はふと「これまでにも誰かに教えたことがあるのだろうか」と考えた。考えはしたが、それを口に出すことは無かった。
「さて」
両の手を鳴らして銀子は立ち上がる。
拘束されて動けない彼を尻目に、銀子はベランダへと歩いてゆく。病的に白い彼女の足がフローリングを蹴りだすと、その体は重力から解き放されたように浮かび上がり、そのまま泳ぐように窓を通り抜けベランダの柵へと着地した。
雲一つない夜空には満月が浮かび、月灯りを湛えながら立つ銀髪の少女が、彼に無感情な顔を向けている。その非現実的な美しさは窓枠に切り取られて、さながら絵画だった。
「そろそろだね。何か言い残したことがあれば聞いておこうかな」
その言葉で彼は呼吸を取り戻した。数瞬、思案する様子の後ふっと顔を緩ませる。
「あー。そうだな。いざこういう場面に出くわしたらあんまり言葉って出てこないもんだな。……。まあ、頑張れよ。お嬢ちゃん」
彼女の紅い目は、僅かに開かれた後、ゆっくりと細められた。不思議とそこに鋭さはなかった。
「……ありがとう。
そのまま体を後ろに倒し落下していく。銀子が指を鳴らすと同時に、転がっている大量の圧縮爆弾が起爆。一室を跡形もなく爆砕する。重たいものが落ちる音とともに銀子は着地。外にはすでに回収済みの銀次が車をつけていた。助手席に座り、銀子は銀次に意識を受け渡す。
「やっぱりこうなるよな……。あ、もうスーパーしまっちゃうかも。ま、即席麺でいいかあ」
29回目の殺し。イレギュラーにも難なく対応し、彼は拠点へと車を走らせる。「殺し屋殺し」の死に場所にエンジン音と排ガスの臭いだけを残して。
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