第8話 30の試練

 ロサンゼルス。シアトル。ヒューストン。シカゴ。デトロイト。アトランタ。


 アメリカ横断の弾丸ツアー、反復横跳びのように西海岸から東海岸に向けて小さな罪を犯していく銀次。主な内容は米ドルの窃盗。路銀稼ぎな側面は当然ある。だがあくまでそれは副産物、おまけに過ぎない。真の目的は自らのPR。合衆国に自分が有能であるとアピールするための行動だった。


 そのため窃盗の際に他の人物に成り代わり、あえて防犯カメラに映りこむ。すべての現場には『Skill: Copy human』の血文字を残して去っていく。



 ■■■ FBI捜査本部


 捜査員たちが部屋の中央の大きなテーブルを囲んでいる。その上にはアメリカの地図が置いてあり、今までの犯行現場の場所にはピンが立っている。


 アメリカでは州をまたいだ犯罪はFBIが捜査権限を持つ。彼の出没地点をつなぎ合わせると浮かび上がるものがひとつ。そのメッセージの真意は捜査員にはわからなかった。


「この事件が起こった場所をつなぎ合わせると、モールス符号になっている。d.e……u……s? 神?」

「なんなんだ。この犯人? 一人でこんな大仰な犯行メッセージができるわけがない。大規模な組織なのか?」


 リーダー補佐が科学鑑定の結果を持ち出しその意見を否定する。


「いえ、血のDNA鑑定では同一人物。カメラに映っているのも常に一人。おそらく単独犯です」

「ならば変装だってのか? 老若男女。背格好も違う。そんな芸当が人間にできるのか? そもそも動機が分からない」


 ちらりと捜査員が見るのは『Skill: Copy human』の写真。


「まさか……人間模倣。の『能力』? バカバカしい」


 冷笑がこぼれる。それと彼が室長に呼ばれるのはほぼ同時だった。


「はい室長。こちら進展はありません。唯一判明したのは犯人が明らかに我々を挑発して……」

「それはもういい。この捜査チームは現時点を以って解散とする」

「何を……何をおっしゃっているんです? 室長? 我々FBIがこいつをひっとらえないで誰が……」


「解散だ。そう上から命令が来た。詮索をするな。関係資料も全て破棄しろ」

「納得できません! 局長ですか? ワタシが直談判しにいきます……!」


 室長は葉巻に火をつけ、口の中で一回対流させたのち、鼻から吐き出し、心底鬱陶しそうに返答する。それはFBIにこの事件を解決できない無力感からくるものかもしれないし、今までの捜査が水泡に帰した寂寥感かもしれない。それを明文化することはできなかった。ただ一言吐き捨てるように答えた。


「軍、だ」



 ■■■ バージニア州 国防総省 ペンタゴン


 五角形ペンタゴン。そのままの英単語を流用した正五角形の建物。アメリカ軍部の最高組織であり、米軍の中枢。公開情報では地上五階、地下二階建ての世界最大の建築物である。その公式には明かされていない、存在しない階層ファントムフロア“地下30階”の一室。薄暗い灯りのともる尋問室に二人の男性がいる。


 片方は40代半ばほど。金色の頭髪をオールバックにしている軍人。胸にいくつかつけられた勲章が彼の今までの功績を口に出さずとも語ってくれるだろう。その彼が銀髪の男性に対して、悪さをした子供を咎める教師のような口ぶりで話し出す。


「なんで君がこんなところにいるか、わかるか?」

「ええ。『お金を盗んでごめんなさいをする』ってことじゃないのは確かですね」

「随分と余裕があるじゃないか。それも奇妙な力のおかげかね?」

「まあそんなところです。手錠外してもらっても?」

「それはできない。今の君はあくまでも犯罪者だという自覚を持ってもらいたいね。怪盗にでもなったつもりかい?」


 皮肉に皮肉で返す。銀次はそれをうけて鼻で笑い、余裕綽々な態度を崩さない。現に逃走しようと思えばいくらでも可能。むしろ銀次はこの状況を作り出すために北米大陸に「デウス」の文字を刻んだのだから。


「さて、尋問室でしょうここ? 用件を聞きましょうか」

「こっちのセリフなんだよなぁ……。何の目的があってあんなショボい犯罪を繰り返していたのか。用件があるのはそっちだろう?」


 銀次が紅い瞳を細めて笑う。何がおかしいのかと軍人は疑問に思うが。それを聞く前に銀次から口を開く。


「勘が良くて助かりますよ。わざわざアメリカまで出向いた価値があるってもんだ」


 くつくつと笑ったあと大きく息を吸い込み、本題に入るため、紅い眼光が向かい合っている軍人の青い瞳を捉える。


「早い話、職をください」

「なんだなんだ。そんなことかい。だったらたっぷりあるよ。刑務作業っていうんだが」

「冗談がお好きなんですねぇ。嫌いじゃないですよそういう人」

「これが冗談になるかどうかは君の自己PR次第なんだがね」


 お互いの腹の探り合い。銀次は楽しんでいた。どうすればお互いが相手に自分に利する言葉を吐かせられるかの舌戦。しかも両者とも相手に見せる手札は少ないほうがいい。こんなに楽しいことは銀次の人生にはそうなかった。


「君、名前は? 前職は何をしていたんだ?」

「まるで面接ですね……。水瀬銀次みなせぎんじ。フリーター……って英語でなんて言えばいいんだ? 非正規の労働者みたいなものですね」

「金に困って、泥棒に身を落としたと」

「それは違いますね。確かに泥棒も私の能力があれば可能ですけど……お察しの通り、米国に捕捉されるための行動でした」


「いやぁ」と一言間をおいて言葉をつづける。


「どこの就職情報誌を探しても“暗殺者”なんて求人ありませんでしたので。……あ。今の笑うところですよ?」


「どうして暗殺、なんだ? 私に思いつく理由としては復讐か何かかと読んでみるが」

「別に世界が憎いってわけでもない。人類を滅ぼそうってわけでもない。ただ、職がなかった」

「答えになってないよ、Mr.銀次。職がないならば他の生き方があるのではと問うているんだ。その能力とやらがあるのなら」


「へぇ……」


(能力という言葉が自然に出たな。そもそもこんな能力者などという荒唐無稽な話誰が信じる? それをこうもあっさり飲み込むということは、やはり……)


「いますね? 私以外にも。能力者。それもアメリカが保有しているお抱えの能力者が」

「……何のことだい?」

「軍属の人間に演劇の才など必要ないでしょうが、何事も芸は身を助けるといったところでしょうか。ことわりを超えた存在に対してのリアクションがあまりに希薄すぎる。“初見”じゃないのが丸わかりですよ」


 肩を落としうなだれる軍人。しばしうつむいたのち嘆息とともに銀次に向き直る。


「勘がいいのは君も同じか。遅ればせながら私も名乗らせてもらおう。アメリカ合衆国陸軍所属。階級は大佐。能力者管理担当。サー=ジョン=ドウだ」


 それを聞いた銀次は露骨に不満そうな顔をする。


名無しの権兵衛様サー=ジョン=ドウ、ね。これだと本名を名乗った私がばかみたいじゃないか。別にいいや、敬意を込めてSirサーと呼ばせていただきますよ」

「それで? 君の置かれた状況は依然変わりない。能力者の犯罪者だ」

「ええ、それでいいですよ。米国お抱えの暗殺者になるためにここにいるわけで」


(なるほど、こいつが欲しいのはアメリカ公認の殺人権限マーダーライセンス


「Mr.銀次。君はアメリカ軍部を殺し屋の斡旋組織かなにかと勘違いしているようだが、映画の見すぎではないかな?」

「もう建前はいいじゃないですか。能力者がいて、軍部も把握している。そして存在しない階層ファントムフロアまで私は知ってしまった。これ漱石もびっくりの遠回しな告白ですよ? 私が米国に必要だというね」

「ははは。私にも妻子がいてね。そっちのケはないんだよ」

「ありがたいですよ。私には妻子はいませんが同じくそっちのケはないので」


 殺風景な部屋。男二人。何も起こらないはずもなく……。とはならなかった。お互いの冗談で笑いあった後。真剣な顔つきに戻るSir。そのまま銀次の手錠を外して机の上に乗っける。


「ではお待ちかねの本題と洒落込もうじゃあないか。君の能力を……」


 Sirはまるで鏡を見ているような錯覚に陥る。彼が言葉を最後まで紡ぎ終わるまでに銀次はSirに変身を完了していた。


「触れずとも、姿かたちは自由自在。声も変えられる。潜入暗殺。これらを任されるには適任がこれ以上いないのでは?」

「凄いな、一瞬だった。確かに暗殺で一番重要なのは足がつかないという点にあるからな。確かに有用だ」


 しかし何かまだ足りないといった具合に顎に手を当て唸るSir。


「ご不満が?」

「あー。そうだな。何から話すか。君の想像通り暗殺を専門にしている職はあるにはある。政府公認のな。だが日雇いバイトみたいな感じで即日就職というわけにはいかないんだよ」

「まあそうでしょうね。私は何をすればいいでしょうか?」

。言葉ではなく行動でだ。君には“偶然”にも君の才を発見したクライアントから殺しの依頼が来る。政府とは無関係にだ。あくまで30回。依頼が来ると“思う”。そしてさらに偶然。私は君に当面の資金と寝床を与える気になった」

「それも政府とは無関係に?」

「そうだ、どうだろう。そんな偶然にかけてみる気はないだろうか?」


(まるでパチ屋の三店方式だな。まあアメリカとの全面敵対なんてしたくないしな。ここらが折衷案か)


「まあ落としどころとしてはそんなところですかね。その30の依頼をクリアしたら私は正式に?」

「認めようじゃないか」


 晴れやかな笑顔を浮かべる二人。その笑顔の裏にそれぞれの思惑があるのはお互いに気づいていた。しかしそれを口にするのは無粋というものだろう。


「銃は使うか? リボルバーとオートマチックどっちがいい?」

「両方ください。あと、喉乾きました」

「欲張りさんだな……。今水汲んでくる」


 Sirはいったん席を離れ、コップに水を入れて戻ってくる。それを一礼したのち一気に飲み干す銀次。


「アメリカの水は肌に合いませんね」

「文句が多いよ、ミネラルウォーターが出される身分になってからまた来てくれ給え」


 大袈裟に肩をすくめる銀次。


「銃は後で届けるよ。住所は今口頭で伝えるから記憶して帰ってくれ。紙やデータに残さないでくれよ」

「勿論ですとも」


 軽く会釈をして扉に手をかける銀次。もうその姿は別人のものとなっていた。それに対して声をかけ呼び止めるSir。


「大事なことを聞き忘れていたよ。君は人を殺したことがあるのかい?」


 銀次はドアの前でおもむろに振り返り、その紅く妖しい瞳でまっすぐSirを見つめる。


「……どう、見えます?」

「いや、いらない質問だった。忘れてくれ」


 □□□


「水瀬銀次。マジで本名だったのか。姿を変えられる彼には身分を偽る理由もなかったってことか。日本で一度前科あり。盗用か。現在は首なし殺人。その事件に巻き込まれた行方不明者。家族は失踪届を出していない」


「偶然か必然か、家族との仲もよろしくないらしい。探してくれる人さえいない。うんうん。使い潰すにもってこいの“バカ”が来たもんだ」


(あの能力ならばいつでも殺せる。彼がファントムフロアの公言をしたところで誰も信じない。汚れ役を自ら進んで引き受けてくれるんだ。せいぜいアメリカのために働いてくれ)


 存在しない階層ファントムフロアの一室にSirの笑い声が響く。

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