第5話 二度目の大学生活

『貴方、いつまで稚拙な全能感に浸っているつもりですか?』


 また、銀次の頭の中に女性の声が響く。


『自分の実力はこんなものじゃない』

『機会があれば』

『見る目があれば』

『必ず評価されるはずだと』


『無いでしょう。無かったでしょう? そんなこと』

『誰からも必要とされずどん底を這いずり回って、腐っていることしかできなかったんです』


『成功者を妬み、嫌い、前進することを止め、他人の足を引っ張ることを生きがいにして、自分の無能さを誤魔化そうとする』

『そんな人間にまっとうな人生が待っていると思いますか?』


『自らの責任を不運のせいにして生きるのはさぞ楽なことでしょうね』

『なんたって“運がなかった”その一言で全部終わり。追及も詰問もされない』


『だからそんなあなたに残された最後の希望が「能力」だったんですね』

『そしておめでとうございます。殺しの才だけはあったみたいですよ。三人殺して心音一つ乱れない。ゴミにはお似合いの生き方じゃあありませんか』


 ■■■


 アラームが九頭竜毅くずりゅうたけし、もとい水瀬銀次みなせぎんじの部屋に響き渡る。ベッドの淵においてあるスマホのアラームを止める。三日前に銀次を襲ったチンピラの部屋で銀次は新たな生活を始めていた。九頭竜の部屋はタワーマンション最上階、目測で銀次の部屋の3倍は大きかった。おかれているインテリアや家電などもろもろ合算すれば、銀次の持ち物の百倍の値段はつくことだろう。


 よくこれだけ飽食の状態で人の富を奪えるものだと感心するが、彼のSNSの履歴を見て合点がいった。別段金に困っていたということではないらしい。スポーツ感覚で何人もの人間からカツアゲをする。その後他のグループと得られた金額の勝負をして、勝っただの負けただのに興じていたらしい。銀次にとっては反吐が出るほど嫌いな人間で、今こうやって姿を借りていることにさえ嫌気がさす。


 銀次は慣れない手つきで紙巻きタバコに火をつけ、大きく吸い込んで吐き出した。ここ数日の喫煙で、だいぶこの臭いにも慣れてきた。いまだに変なところに煙が入るとむせてしまうのは相変わらずだが。それでも九頭竜の真似をするには煙草を吸わなくてはいけない。たったひと箱で銀次の飯一食分が飛ぶこの嗜好品。なぜこんなものを嗜むのか理解に苦しむが、趣味など往々にしてそんなものだろうと結論を出す。


 だがこの金も煙草も殺して奪ったものだ、脅して奪うよりも悪辣だろう。だが暗殺を仕事にすると決めた以上、避けては通れない道程だ。銀次はベッドの端に座り、リモコンでクソでかいテレビの電源を入れる。


 ニュースではススキノの外れで男性三人の死体が発見されたことが報じられている。だが欠損がひどく、捜査は難航しているらしい。頭と指、そして血液がないことは流石にお茶の間に流せないのか言及されていなかったが、まず間違いなくあのチンピラどもの残骸だろう。


「休日を挟んで三日で死体の発見。想定よりもずいぶん遅いな。警察の捜査ではこれが“猟奇殺人”の域を超えることはない。身元不明。凶器不明。動機不明。挙句殺した九頭竜は元気に過ごしているときた。到底僕には届くまい」


 テレビを見ながら、銀次は二本目の煙草に火をつける。紫煙をくゆらせ、煙草臭い部屋が、もう1ランク悪臭レベルが上がる。何故好きでもない煙草を吸ってまで九頭竜になり替わろうとしているかを説明しなければならない。


 第一の目的は「変身能力」がばれないための練習である。「潜入」は彼の描く暗殺者像の最たる任務だ。それを使いこなさなくては、能力の持ち腐れになってしまう。


 第二の目的は財産の奪取。現金、車、住処。あと戸籍に、パスポート。これを奪うことができれば、すべての罪を九頭竜に擦り付け、また別の人間を模倣して生活することもできる。あと単純に何をするにも動きやすい。三日前までは財布に五千円しか入っていなかったが、今は札も違えば厚みも違う。


 第三の目的は車の模倣。マンションの地階にあった様々な車の給油口から液体金属を流し込み。その型を取る。外殻はカーボンやセラミックでできているものがほとんどだが、それぐらいならば金属でも問題ない。ガラスやゴム等代替不可なものだけ九頭竜の車から拝借して体内に収納している。これにて様々な外見を模す「無形むぎょうの車両」をいつでもどこでも作り出せる。そのため銀次の現在の体重はエレベーターの積載重量ギリギリまで重くしている。


 銀次が彼らを殺害したのは金曜日。今日は月曜日である。休日はどうしていたのか? 最初に行ったことは死体の処理だ。北海道中を無形の車両でドライブし三つの頭と指先を埋めに行った。その際自分の、水瀬銀次本人の家にも訪れ円錐オブジェを数個見繕い、トランクに乗せた。死体を埋める傍ら自分の保険を誰にも知られていない場所に埋める。これは実験で意識の転嫁が可能だとわかった時からやっておきたいことだったが、車がなかった。まさに渡りに船、一石二鳥。一挙両得だ。


 さらに試してみたが、札幌から稚内わっかないまでの意識転嫁は可能なのか。稚内の銀次本体から札幌のオブジェに飛んでみる。やすやす可能。時間差もない。素晴らしい能力だった。能力の存在を知られなければアリバイを作りながらの殺人も可能。万一捕縛されても、脱出が可能といいことづくめ。いずれ国外にも保険を置いておくことを念頭に入れ、スマホで「やること一覧」のページに記した。


 それだけではない。これからしばらく九頭竜として生きていくためにすること。主にLINEでやり取りをしていたようで、そこから彼の思考、思想、嗜好。それと人間関係を洗っておく必要があった。彼女が二人に、友人は多数。カツアゲバトルが趣味で、愛煙家。酒も相当飲んでいるようだ。ここまで相いれない人間と同じようにふるまえるか心配ではある。そんなこんなの作業をしていたら、土日などあっという間に過ぎてしまっていた。


 銀次は九頭竜の学生証を見つめながら言葉を漏らす。


「こんなチンピラでも大学に通えるのか……。日本の最高学府はこんなにも程度の低いものなのか?」


「まあ当面の生活は殺した三人から賄えるが、いつまでもあると思うな親と金。いかにしてこの能力で財を築くかどうかだな」


 銀次もただ金欲しさに一般市民相手を殺して富を奪う。そんなことはしたくなかった。ただ幸運にも、死んでもいい人間が向こうからネギをしょってきただけだから、鴨鍋にしておいしくいただいているに過ぎない。正式に暗殺者になるにはいったいどういった手順を踏めばいいのか。


「うん。大体見えてきた」


 銀次はパチンと頬を叩き、自身を鼓舞する。九頭竜のカバンに教科書をつめて大学へと向かう。丁度今日は英語の時間割がある。銀次も大学生時代に英語の論文を何冊も読んでいたので、全く話せないわけではない。しかし数年のブランクがある。その溝を埋めるために朝も早くから講義に出席することにした。


 □□□


 小さめの講義室に入ってすぐ、学生たちは驚いていた。この反応は銀次にも当然予想ができたことであり、その際にどうするかも前もって決めていたセリフがある。


「な、何見てンだよ。ああ⤴!?」


 慣れない恫喝に、どもりつつ声が上ずる。しかし九頭竜のことを知っている人間からしたら恐怖以外の何物でもない。銀次自身としては、初めての言動で赤面ものだが、なんとか威圧することには成功したらしい。全員自分の教科書に目を移し見なかったことにする。


 数分後教授がやってくるが、彼女もまた驚きを隠せてはいなかった。九頭竜ぎんじはにらみつけ沈黙を強要する。怖気づき何も言えない状況だったが、あくまで九頭竜には触れず、静寂を破るように授業の号令をかける。その場にいるどの学生よりも熱心に講義を受けていたのは九頭竜ぎんじだった。その異様な光景に戸惑いは見え隠れするが、なにも悪いことをしているわけではない。淡々と授業は進み、終わりの時間が来る。殊勝にも九頭竜ぎんじは終った後も、教授に様々な質問をしていた。


 □□□


「お前講義でたの?」

「あぁ、今の時代英語が喋れないとまともな職にもつけないだろ?」

「笑うわ。そーいった方面のギャグか? 斬新だな」


 頭髪を金色に染め上げピアスを大量につけている、いかにもなチンピラが喫煙所で銀次と会話している。彼の名は「ショーゴ」。これは事前に九頭竜のスマートフォンから得た情報で知っている。


「まぁ、学びが多いに越したことはないだろう。学べることに感謝しなければならないね」

「お前の口からそんな言葉が出るとは夢にも思ってなかったわ。煙草か風俗かパチの話しかしなかったじゃねえか。あとカツアゲバトル」

「たまに気分を変えてみるというのも悪くはないよ」

「お前、変わったよなあ」


 ここで煙草の火を灰皿でもみ消し、銀次はゆっくりとショーゴの瞳を見つめる。


「……例えば、俺がいつも通りカツアゲバトルでおっさんから金を奪おうとするだろ」

「でも、そいつは俺に姿を変えられる化け物で、そいつに成り代わられていたとしたら……?」


 ショーゴと銀次の間に沈黙が流れる。ショーゴの煙草はじりじりと火に侵食され、燃え尽きた灰が床に落ちる。それと同時だった。


「ブッ。あはは。お前そのギャグセンの低さは相変わらずだな! もしそうだとしたらずいぶん似ている奴に入れ替わられたもんだ!」


(に、似ている? 僕と、このクズが? ……え。ちょっと待って。泣きそう)


 意外にもダメージを受ける銀次。


「あ、あぁ、冗談だ。ただの冗談」

「そんなことよりもさあ、週末の合コン。ヤれそうな女の子にバッチリ声かけておいたぜ」

「……合コン?」

「お前、マジで大丈夫か? 病院行くか?」

「いや、大丈夫だ。合コン……。合コンだったな」


 次の煙草に火をつけ大きく吸い込み、肺の中を煙で満たす。そして大きく吐き出した。銀次に一見動揺は見られないが、その実、心中では些か以上に心は乱れ、逡巡していた。


(まずい……。合コン。確か合同コンパの略だったよな? 童貞の僕にそれらしいことができるだろうか? ヤリチンの演技? 難しくね?)


「ところで、シュンとシゲ知らね? あいつらにも声かけたんだけど返事返さねーんだよ。喫煙所にもこねーし」


 シュンとシゲとは九頭竜の取り巻き二人のことである。土日のうちに彼らの家に赴き、必要なものは回収済みである。


「いや、知らないな。でもサボりなんていつものことだろう?」

「おー。それもそうだな。あいつらとも今度呑もうぜ!」

「……あぁ。勿論」


 銀次は喫煙所を出ていき、ショーゴと別れてから鞄に手を入れる。取り出したのは二つのスマートフォン。どちらも自分のものではない。さらに言うと九頭竜の物でもない。先ほど話に上がった二名の持ち物である。


(あぁ、通知来てる。まいったなあ。横着した。そうだったな。あのモブ二人にも人間関係はあるんだものな。今すぐ返信するのはタイミングが良すぎるか? いや、九頭竜から連絡があったということにしていれば問題ないか)


 取り巻き二人のスマホから適当に体調を崩したとの連絡をショーゴに送る。返信はすぐに返ってきた。後は既読をつけずにカバンの中にしまい込む。そのまま煙草の香ばしい香りをまといながら校門へと歩いていく。


 ────「あれ……? 今の人」

「どうしたの? セツ?」

「ううん、なんでもない。いこいこ」


 何かに気づいた麗しい女性が一人、水瀬銀次とすれ違う。彼らの運命が交錯するのはそう遠くないうちに訪れるだろう。


 ■■■


 その日の夜、銀次は九頭竜の自宅で「ヤリチン 合コン 振る舞い」でネット検索を行う。それが墓場まで持っていきたい秘密になったのは言うまでもないことだろう。

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