第4話 はじめてのさつじん

「…………ゃくさん。……お客さん」

「……はえ? ここどこ?」

「終点ですよ」


 いつの間に眠っていたのだろうか。辺りはすっかり暗くなっている。バスの窓には銀次と運転手の二人しか映っておらず、揺り起こされる銀次はまだ半目で意識もはっきりしていない。


「もしかして僕、寝てました?」

「ええ、そりゃもうぐっすりと」


 最近実験続きでロクな睡眠もとっていなかったからなと思いふける銀次。だが、その実験のおかげで不意に寝落ちしてしまっても初日のようにどろどろの液状になることは無くなっていた。多忙であったのは幸運であったし、不運でもあったといえるかもしれない。


「お客さん、その恰好。もしかして登山ですか? でもこのルートで有名な山なんてなかったと思いますが……」

「……山菜でも取りに行こうかと思ったんですけれど、全然駄目でしたね。下調べもしないで行くと」


 はにかみながら口八丁手八丁にするすると嘘をつく銀次。彼はもともと嘘をつくことが得意ではない。大学時代にやった人狼ゲームでも、いの一番に吊るされる役回りであった。純粋というにはおこがましいかもしれないが、ここまで付け焼刃の虚実を並べたてられるのに辟易している自分に気づいた。でもこれから行う「仕事」に向けてこの程度のことで心を乱さられているようではとても務まらないと自嘲する。


「迷惑かけてすみません。僕はこれで……」

「はいよ。注意して帰るんですよ。あ、そうだちょっと待ってくれますか」

「?」


 運転手は胸ポケットからペンを取り出し、メモに何か書き込んでいく。「よし」と一言頷いたのち、そのメモを手渡してくる。銀次は首を傾げながらそれを受け取る。


「山菜がとれる山と、その時期ね。私も休日はたまに行くんですよ。山菜取り」


 運転手は歯を見せて二カッと笑顔を見せる。それを見て銀次は一瞬顔を硬直させたのち、綻ばせる。建前で言っただけの取り繕い。久しく人の善意に触れられていなかった彼は、そんなたわごとに真剣に向かい合ってくれたことに不覚にも涙が出そうになる。だがこれから彼が歩むは修羅の道。決して彼のような善人が巻き込まれていい話ではない。銀次は目頭が熱くなるのを感じながら運転手に礼を言いバスを降りていく。明るいバスターミナルから漏れ出た光が銀次の前に影を作る。それでも彼は歩みを止めることはなかった。


 □□□


「ここからだとススキノを抜けていくのが一番近いかな」


 バスは乗り過ごし、タクシーをとるわずかな金をも惜しんだ彼は。徒歩で自分の家へと向かう。眠らない街ススキノ。ここは札幌市中央区にある日本でも有数の歓楽街。客の呼び込みや、出来上がった酔っ払いが、夜も遅くに喧騒にまみれている。肌を撫でる風はやや寒く、北海道基準でも秋が深まっている時節だ。後一ヶ月もすれば、一面は白銀のベールに覆われることになる。


 銀次は今日までに得られた実験データを頭の中で処理を進めていく。どれが必要で、どれが必要ないか。取捨選択をしているうちに、彼は比較的人通りの少ない場所まで進んできていた。考え事をしながら帰路を歩いている銀次に肩を組んでくる大柄な男性が一人。銀次は驚いて肩を跳ねさせる。


「おー! ショーゴじゃん! こんなところで何してンの?」

「……人違いだと思いますけど」

「何言ってンだよ。俺がダチの顔見間違えるわけねーべ」

(酒臭いな……。酔ってんなこのガキ……)


 その大男の後に続いて、細身の取り巻きが二名。同じように彼らは銀次のことを「ショーゴ」とやらと見間違えているらしい。引っ張られるような形で連れていかれる。そのうち気付くだろうと銀次も諦め、なすがままに歩いていった。



 しかし連れていかれたのは飲み屋ではなく、路地裏。いかに察しの悪い人間でもここまで来れば話は見えてくるだろう。最初から、彼らは見間違えなんてしていなかった。


「ちょっとお兄さん金かしてくンね?」


 一番体格のいいツーブロックの男がそういった“お願い”をしてくる。


「嫌ですけど」


 銀次は即答する。大男は目を丸くした後、一笑し口を突き出して真似をする。


「嫌ですけど!」


 全く似ていない顔真似と声真似をし、銀次の正論を嘲る。後ろの二名は腹を抱えて笑っていた。それに続いて、大男もひとしきり笑った後、急に真顔に戻る。彼の膝蹴りが突如炸裂し、銀次の腹部をとらえる。それを無抵抗の状態で食らってしまった銀次は息ができなくなり、えずきながらしゃがみ込む。


「あのなぁ……。これお願いじゃなくて命令ね。わかる? おっさん?」


 銀次の前髪をつかみ上げ無理やり立たせる大男。その際に、財布が転がり落ち、待っていましたといわんばかりに取り巻きの二人がそれを拾いあげる。銀次も手を伸ばすが、大男によりそれはさえぎられる。


「なんだこのメモ……。山菜。ブッ……山菜……貧乏くせぇ」

「五千円しか入ってねえぞ、ガチで外れだわ、ヤベェ」


「お前ら。とりあえず免許証奪っとけ」


 大男が一言号令をかける。それに従い、一人が免許証を奪い、写真を撮る。もう一人はメモを面白半分で燃やす。火は瞬く間に燃え広がり、それは灰となった。それに対して「ヤベェ」「ヤベェ」と連呼しながら笑っている。


「おっさん。住所控えたから。これからも定期的によろしく」


 三人のチンピラの下卑た笑い声は銀次の耳には入ってはいたが、右から左に通りぬけていた。そんなどうでもいい情報にリソースを割く程彼は愚かではない。ただ黙って静かに考えていた。


(これがカツアゲってやつか。……初めて体験したよ。どうしよう。住所がばれたのは致命的だな。……話し合う? こいつらと理知的な会話ができるだろうか。

 うーん。そうだなぁ。


 きょろきょろと誰か助けてくれる人間を探すかのように、辺りを見渡す銀次。それに対して大男は合点がいったように鼻で笑い、彼が求めて「いない」答えを親切にも教えてくれる。


「人ならこねぇよ。ここは俺たちの秘密のスポット。誰も来ねぇし、カメラもねぇ。考えるだけ無駄だから」


 もう一度膝蹴りを行い、再びしゃがみ込んだ銀次の顔に足を乗せぐりぐりと踏みにじる。普段のおやじ狩り同様、体格で圧倒的に優勢な大男。だが、彼に一瞬背筋に冷や水を垂らされた時のような悪寒が走る。何故なら押し付けている靴の横から見える「弱者」。その瞳に映る感情の色が恐怖でも、憤怒でも、屈辱でもなく。


”だったからだ。


「丁度よかった。一度“”と思っていたんだよね。住所も控えられてしまったし、仕様がない。いい『大義名分』だ」

 

 言葉をつづける銀次。


「喧嘩って、よくないよね。殴ったら殴り返される。蹴ったら蹴り返される。だったら殺さなきゃ。それが一番安全だ。実に合理的だろう?」


「な、なにブツブツわけわかんないこと言ってンだ!!」


 眼前の弱者が、雑魚が、取るに足らないただのカモが。途轍もない大きな怪物に変容するような錯覚を覚える。それに対してわずかに怖気づいている自分を覆い隠すために、大男は声を荒らげて威圧する。脅威たりえないはずだと、こんなヒョロヒョロの優男など。


「万力」


 銀次が大男の足首をつかみ握りつぶす。バキリと音を立て、複雑骨折する彼の左足。声にはならない声をあげてその痛苦に悶絶する。前かがみになった大男の首に銀次は両の手で四本ずつ計八本の指で刺突する。気管をつぶされ呼吸ができなくなり、さらに前に傾く大男の頭。銀次はそのまま両の親指を眼球に突き刺した。


「鉄杭」


 他の取り巻きから見たら、目つぶしをしただけに見えただろう。だが銀次の親指から飛び出た鉄杭は大男の脳に致命的なダメージを与えていた。大男はうつぶせに倒れ、陸に打ち上げられた魚のようにビチビチと体を震わせ、ほとんど間を置くことなく動かなくなった。銀次は自分の胸に手を当てた。


(心音……正常。震え……無し。もっと葛藤があるものかと思っていたが、意外と大したことはないんだな)


『未来ある一人の若者の人生を奪ったんですよ!』


 銀次の頭の中に女性の声が響く。


(そうか。それがどうした? こんなゴミの行く末なんてたかが知れている)


『人殺しになるくらいならば、一生フリーターのほうが社会貢献できているでしょうッ!』


(そうかもな。だが僕は一線を越えてしまったよ。……幸福には席がある。現代ではその席は満席だ。ならばどうする? 僕はもうその答えを知っている……。“奪い取るしかない”)


『貴方は誰よりもその痛みを知っているはずです。それなのに……』


(『それだから』だよ。もう僕は奪われる側の人間になりたくはない)


 銀次は殺人という禁忌。深く昏い谷をいともたやすく越えてみせた。さらに普通の人間と異なる箇所。銀次は彼に対して「殺意」というものをさして抱いていなかった。カッとなって殺した。金が欲しくて殺した。犯したくて殺した。そんな殺人鬼のほうが何倍も健全だろう。一方、銀次は波風の立っていない凪いだ心持ちで、ただ“経験”のためだけに殺人童貞を捨てた。


「コイツ、マジでやべえ……」

「そ、そこまでする必要あるか? 俺らちょっと金をせびっただけだぞ?」


 残った二人のうち一人がバタフライナイフを取り出し、銀次に攻撃を行う。それは確かに銀次の腹部に刺さった。刺さった。が、それだけだ。


「なんだこれ……。抜けね……」


 銀次は右拳を振り上げ、左から右に向かって刺してきたチンピラの頭部めがけて振りかぶる。まるで、いや「まさしく」鉄槌が右側頭部に命中。頭を割り、中の臓器がはじける。落ちるザクロのように。開く彼岸花のように。その命が終わることを示すかのように。紅く、咲いた。


 銀次の瞳が紅く光り次の標的へと狙いを定める。


「ヤバイ! ヤバイ! こいつヤバイ!!」


 語彙という語彙さえ知らないようなボキャブラリーで緊急事態を連呼しながら逃走する最後の一人。銀次の左手が長い刀。最も近しいものをあげるならば薙刀か。それが彼に伸びていき、一瞬で心臓に到達する。そのまま左に振り払い付着した血液を払いのける。「ソレ」は膝から崩れ落ちて動かなくなる。このわずかな時間で、路地裏には死体が三つ増えた。


「……この身体、血液は出ないのか。まあいいや。少し不本意だがこいつらの血液を収納するか」


 銀次は死体を一か所に集め、全員分のスマホと財布を拾い上げる。そして血液も回収する。


九頭竜くずりゅう たけしね。はいはい。了解」


 大男の財布から学生証を取り出し確認を行う。他の死骸からも戦利品をあさってリュックに詰め込む。そして問題なのは死体の処理である。


「死体の身元判別には、第一に顔、次点で歯。後はこいつら指紋の採取もされている可能性があるから、それも回収しよう。警察には到達不可とまではいかないとしても捜査を遅らせられる。それで充分」


 銀次は三人の頭部と指先を体内に収納し、模倣する。そのまま九頭竜 毅に見てくれを変えて、悠々と路地裏から出ていく。


「いやあ、いいことをした。社会のゴミをまとめて三人掃除。それに得たものもある。これはかなりの収穫じゃあないかな」


 九頭竜の持ち物にあった煙草に火をつけ一服する。だが、煙草を吸ったことのない銀次は大いにむせてしまう。ゴミをポイ捨てするのはマナー違反なので、ちゃんと吸い殻は体内に収納する。最初は自分の家に帰宅するつもりだったが、予定を変更、目的地は別の場所。そこで次の策を練ることに決めた。わずかに笑みを浮かべたツーブロックの大男、「九頭竜」の風貌をした銀次は夜の帳に消えていく。もう彼は倫理の一線を越えた。これから何を思い、何をするのか。それは彼の心が読めない限り知るすべはないだろう。

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