第10話 家族

 ソーンの家に招待され、旅の新たな目的地ができた。

 星の綺麗な丘がその途中にあればいいな、なんておしゃべりしつつ、ソーンの家を目指して一行は歩みを進める。

「ソーンさんのおうち、どんなところなんだろう」

 リーヴルが目を輝かせながら思いを馳せているのを、苦笑しながらソーンは見ている。

「がっかりさせちゃうんだろうなって気しかしないや。なんかちょっと恥ずかしくなってきたからやめにしない?やっぱやめだ、やめ!」

 顔を赤らめ、やっぱやめにしようと提案しているソーンへ、レーヴは色々察しながら意見を出す。

「ダメダメ。目的地がなくなっちゃうし、珍しく人のこと頼ったんだから、がっかりされてでも見てもらいなよ」

「えー。聞いてよリーヴルちゃん。レーヴがこんなこと言ってきたんだよ!」

 とても賑やかで楽しい旅路だった。

 見えなくなってしまったのはお互い寂しくて悲しいけれど、ソーンがいてくれたことが心強くて、なんとか立ち直れるかもしれないと思うのだった。

 道中、リーヴルはスンスンと、あたりの匂いを気にしだした。

「そろそろ雨が降るよ!雨が降るときの、じーんとした匂いがする。なんだか空気もじめっとして重たい」

「雨宿りできる場所を探さないとね」

 言ってからしばらくして、雨がポツポツと降りはじめていたが、すぐにバケツをひっくり返したような、土砂降りの雨になった。

 幸い、雨が降るまでに雨宿りのできる場所を見つけ、待機していたからずぶ濡れにならずにすんだ。リーヴルの大手柄だった。

「リーヴルちゃんすごい!教えてくれてありがとね!私、雨苦手だからさ。髪とか服とかびちゃびちゃになって張り付いてくるのが嫌で嫌で。助かったよ!夏場も汗まみれのときが雨に濡れたときと似てて嫌」

 ソーンは大喜びでリーヴルに抱きついている。雨に濡れないですんだのが、ソーンにとっては命の恩人といってもいいレベルで助かったらしい。

「…怖がらないの?」

 おそるおそる尋ねるリーヴルに対し、ソーンは少し信じられないといった様子で聞いている。

「ぜーんぜん。匂いでわかったの、素直にすごいと思うよ。私は夢で見たり、何となくこうかなって思ったことが当たることがあるんだ。怖い?」

 リーヴルは首を横にブンブンと振る。

「全然怖くないよ。むしろ私よりすごい!」

 それに対し、ソーンは首を横に振り返す。

「人にはね、それぞれ得意なことがあるの。私やリーヴルちゃんにとっての得意がこれだっただけ」

 からっと笑って、さらに続ける。

「私はハサミで真っ直ぐ紙を切るのが苦手だし、字も綺麗に書けない。手先がとっても不器用なの。そんな私から見たら、手先の器用な人はみんな魔法使いみたいに見える。とーっても綺麗な字を書いて、とーっても綺麗に紙を切る。すごいなって!もちろん、リーヴルちゃんのこともね。だから、自分よりすごいなんてことなくて、みんな実はそれぞれすごいんだよ。自分じゃ気づきづらいんだよ。自分の得意には当たり前に思えちゃいやすいけど、自分の苦手なことが他の人の得意だったとき、より一層すごく見えるようになってるんだ。きっと、お互いのすごいところを見つけやすくして、褒め合うためなんだなって」

 あたりは雨の大演奏でクライマックス。ときたま、雨垂れが水溜まりに落ちる音が単調な演奏に彩りを与えている。

「それってね、他の人に、あなたは今ここで輝いているんだってことを教えるためだと思う。お互い気づきにくいことを教え合って、褒め合って、支え合う。そのために自分の特別が気づきづらくて、他の人の特別がお星様みたいに輝いて見えるんだと思うよ」

 どこか心が温かくなるような言葉に、心が少し軽くなるのが心地よく感じるのだった。

 それから三人はそれぞれの得意を活かして助け合った。

 ソーンが、なんとなく採集しようと提案していたヨモギを、その日の夕食の準備で手を切ってしまったリーヴルの手当に使うことができた。

 ソーンがうなされればレーヴが悪夢を食べ、空模様はリーヴルが気にする。

 もちろん、ソーンもリーヴルも人なので、失敗はする。うまくいかないことは何度もあった。レーヴはレーヴで、美味しそうだと思って集めた木の実がとっても渋くて三人して渋い顔をし、三人して笑いあった。

「到着!ここが私の今の家だよ」

 二階建ての普通のアパートだった。二階の、真ん中の部屋に住んでいるらしい。

「おー!これがソーンさんのおうちなんだ!」

 リーヴルにとっては真新しいらしく、とてもはしゃいでいる。そういえば、彼女の世界にあるのは、レーヴの住み着いていた図書館と、ヴィクター夫妻の診療所と家だけだったからだろう。おまけに、友達の『家』を訪れるのはきっと初めてだ。

「覚悟してあがってね」

 ソーンは珍しく顔を赤らめながらそういった。ちょっと後悔してそうでもある。

 リーヴルはというと、何を覚悟しろと言われているのか見当もついてない様子で、相変わらずワクワクした様子でソーンのあとにつき、階段を上っている。

 レーヴはなんとなく、なんとなくやばいんだろうなと思いながら最後尾を行く。最初に部屋を見る勇気が出なかったのだ。

「…お願いね。驚かないでね」

 ソーンはゆっくりと部屋のドアを開け、リーヴルたちを迎え入れた。

 好奇心旺盛なリーヴルは、ソーンの部屋を思いっきり覗き込み、しばらく凍りついてしまう羽目になった。玄関先にメドゥーサの置物でもあったかのように、カチコチに固まってしまっている。

 レーヴも恐る恐る覗き込んでみると、そこは地獄の一丁目、見た者の精神を粉々にしてしまうのではないかと思えるほど、えげつない光景が広がっていた。

 ああ、やっぱりそういう…いや、えぐすぎて突っ込めねえよ。

「あのー、ソーンさん?」

 口を開いたのはレーヴだった。ソーンは一生懸命二人から顔を逸らしているが、耳がとっても赤くなっているので、なんとなく顔も真っ赤なんだなという想像がつく。

「見ちゃダメ」

 レーヴは横目でソーンを見る。ソーンは頑なにこちら側の二人を見ようともしない。

 そうこうしていると、固まっていたリーヴルの呪縛ならぬ石化が解けたようで、ようやく口を開いた。

「ソーンさん、お願いしたいこと、助けてほしいことって、もしかして?」

 リーヴルの問いに、目を伏せた状態でソーンがゆっくりと振り返った。申し訳無さと、恥ずかしさとで目を合わせられないといった様子だ。

「おそらくそのまさかです。部屋の掃除とか家事全般お願いしたいなーって。お料理は作れるけど、片付けがどうもいまいち…」

 そういえば、旅の途中でソーンが洗い物をしているところを見た覚えがなかった。

 料理、テントの設営、焚き火の準備、なんでも器用にこなしているように見えていたが、その実、苦手なところを周りにお願いしていたということだったんだな。

 レーヴは思わず感心してしまった。うまいぞソーン、世渡り上手め。

「まあ、自分の得意なことをこなして、苦手だな、できないなって思うことを、得意にしている子に任すのは賢いし妥当な選択だと思うよ」

 素直に感心している一方で、リーヴルは少し嬉しそうにしている。

「…頑張る!私、一生懸命頑張るから!」

 やけに張り切っている。張り切りすぎているんじゃないかと思うくらいだ。

「無茶だけはしないでねって私が言ってるの伝えて!」

 掃除はかなり時間がかかった。

 玄関はましだったが、すぐのところの台所がとてつもない大惨事。台所の先は居室なのだろうけれど、襖で仕切られており、まだ中身を見ていないがどうも嫌な予感しかしない。襖越しに禍々しい何かが漂っているような気さえする。

 流しに置いて、水につけたあとどれくらいの時を過ごしたのかわからない鍋からは異臭が漂っているし、あたりは料理しっぱなし、飛び散った油まみれで鼻が潰れそうだった。時々、足の裏に走るチクチクとした刺激は何かと思えば、散乱した米粒だったり、茹でる前のパスタの麺だったりで、汚いなんてもんじゃなかった。

 鼻の良いリーヴルには苦行なのではないかと心配していたが、なんだが嬉しそうに、片っ端から掃除に取り組んでいた。

 手際の良い掃除のおかげで台所は見違えるようになったが、落としきれなかった汚れもあったので、そこはキッチンハイターをかけて様子をみることにした。

「リーヴルちゃんすごい。掃除もすんごく上手。手際よし、仕上がりよし!よっ仕事人!」

 なんて調子が良いのだろうか、ソーンがべた褒めをしている。

 しかし、その褒め言葉は的確だし、嘘偽りなく本心から褒めているのだと、周りの人間も頷けるほどのものだった。本当にリーヴルは掃除がとてつもなく上手い。手際も片付けていく順番も、先の見通しのきいた取り掛かり具合だ。それでも時間がかかってしまうほど凄惨な台所だった。

「おうちでも掃除いっぱいしてたの?」

 ソーンは興味津々といった様子で質問している。それはぜひ私も知りたいものだ。

「うん!パパとママに喜んでもらいたくて、一生懸命お掃除頑張ったの。そんなことしなくてもいいからねってママには言われたんだけど、どうしても、役に立ちたくて」

 リーヴルは少し顔を赤らめながらもじもじしている。

「役に立ちたいって、どうして?一緒に暮らしたいって思ってもらえたから一緒に住んでるんじゃないの?」

 ソーンは不思議そうにしている。

「居場所、なくなっちゃうのが嫌で。いてもいなくてもいい存在になりたくなくて。ずっと一緒にいてほしいって思ってほしくて」

 言いながら、少し口元が震えていることに気づくことができた。リーヴルは昔のことを少しずつ思い出していっているのかもしれない。

 町をでようとしていたときのことが頭に浮かぶ。過去に一体何があったんだろう。聞いた話が全てじゃない気がする。

「そんなに頑張らなくても、私はリーヴルちゃんと一緒にここで暮らしたいよ。今までそんなに長くない旅路だったけれど、一緒にいて楽しいって思えたし、いてくれたおかげで雨も回避できたし、最高だったよ」

 リーヴルはまだ不安そうにしている。

「一緒にいて楽しくなくなっちゃったら、役に立たない人間になっちゃったら、雨が降るのがわからなくなっちゃったら、もうそばにはいてくれない?」

 ソーンはうーんと考え込みながらリーヴルを見る。

「ちょっと答えから逸れちゃうけど、楽しいか楽しくないかじゃなくて、飽きるか飽きないかで言わせてもらうとね、飽きても一緒にいたいよ。楽しいかどうかなんて、いつも楽しいわけじゃないし、答えるのはちょっと難しいなあ」

 なんていったものかとソーンは更に考え込む。

「そうだなあ、楽しいかどうかでいうと、楽しくなくってもさ、普通のときでもさ、辛いときでも、悲しいときでも、一緒にいたい。一緒にいさせてほしいなあ」

 ソーンはリーヴルをまっすぐに見つめる。

「役に立つか立たないかで言っちゃうと、私なんかと一緒に住もうって思ってくれた時点ですごいし、お片付けできてすごいし、どっちかというと私は役立たずどころか足手まといなんだよ?マイナスだよ、マイナス。偉そうにお前は役立たずなんて言ったら打首もんよ!雨が降る降らないなんて、あててくれたらそりゃ嬉しいけど、そんなに雨降るの嫌なら、もしもに備えていつでも準備しとかないほうが悪いのよ。だから、そういうのは気にしない。気にしない、気にしない」

 言ってから、リーヴルの頭をそっと優しくなでた。

「気にしすぎちゃうと、苦しくなっちゃうぞ。だから気にしないの」

 リーヴルの目は涙でいっぱいになっていた。

「ありがとう、ソーンさん」

 ソーンは顔の前で指を振った。

「じゃー、今度からソーン『さん』じゃなくって、ソーンでお願いね。いきなりは無理かもしれないから、ゆっくり、呼べるよう意識するように」

 リーヴルの目からは涙が溢れた。

「ソーンさ…ソーン。ちゃんと呼べるようにするね」

「よろしい」

 レーヴはそんな二人の様子を黙ってみていた。こんなこと自分にはできなかったし、悩みもずっと気づかないでほったらかしにしちゃってたと思う。聞き出そうともしないで、気づかないで、ずっとそのままに。ソーンは本当にすごいな。

 リーヴルの悩みを聞いていると、はて、自分はどうなのだろうという疑問が湧いてくるのを止められなかった。

 ただ悪夢を食べて、旅の間は木の実や野草を探して…。食べ物しか関わっていないのでは?

 自分の存在意義とは、役割とは…。

 考え込んでいると、ソーンは照れ隠しなのかわからないが、あとに付け足すように慌てて話を続けた。

「でもね、世の中悪い人が多いから、私みたいに耳良い言葉を並べてくる人がいたら気をつけるんだよ。甘い言葉は人を落とすのに都合がいいからね!私の言葉だけを聞いてね」

 おいおいおいおい。

「最後の一言!それもすっごく危ないと思うよ。リーヴルに直接言えたらいいんだけどなあ…。結局、厳しい言葉、優しい言葉、傷つけてくるナイフみたいな言葉、どんな言葉が並んでいても、最後に自分で考えて選びとって、前へ進むのは自分次第なんだよ。あと、一人だけの声に耳傾けるのも危ないんだからね!色んな人の声を聞いて!」

 レーヴはソーンの最後の一言を受け、リーヴルへ伝えたい言葉を一生懸命紡いだ。このままじゃまずいぞという危機感からだ。

 ソーンはその言葉を一言一句違わず覚え、そのまま伝えてくれた。言葉をそのまま伝えることの大切さを知っていたからだ。

 人によって、言葉から得られるもの、イメージは異なる。少しでも自分の言葉に変えてしまえば、全く別のものへとどんどん変わっていってしまうし、伝えたかったことからどんどんずれていってしまう。言葉は変幻自在で、難しくて、温かくて、ときに冷たいのだ。

「レーヴ、初めて会ったときからずっと支えて、助けてくれてありがとう。パパとママを探してくれてありがとう、ありがとう」

 レーヴはなんだか小っ恥ずかしくなるのを感じた。ソーンがこちらを微笑みながら見ていることが、レーヴの照れを扇り立てる。

「私は、きっかけを作っただけにすぎないよ。あの場所で生きていたのは、間違いなくリーヴルの掴み取った機会、チャンスだったんだ。自分で助かりたい、足掻いて頑張って、前に進みたい人じゃないと、いくらきっかけを作っても、ずっとそのままなんだから。だから、助けてあげたとか、助けてやろうとか、人を変えたいとか、そういう考えは傲慢だと思う。変わりたい、助かりたいって頑張るのも本人なんだ。周りはただのきっかけなんだよ。自分で頑張って、機会を活かして助かったんだから、胸を張ってね」

 レーヴは言っていて、どんどん照れくさくなるのを感じていた。

「へー。レーヴ、そんなことしてたんだあ。立派な家族だね。私も家族になりたいなー」

 ソーンは少し羨ましそうに口を尖らせつつ、先程の言葉をそのままリーヴルへ伝える。

 リーヴルの顔は真っ赤だった。真っ赤になりながら返事をした。

「ソーンも、家族だよ、十分。私が今いるのは、間違いなくレーヴのおかげだけどね。拾ってくれて、見つけてくれてありがとう」

 何とも言えない空気が流れる。二人は照れくさくて顔から火が出そうな状態だ。

「さーて、説教臭くしちゃったけれど、気を取り直して掃除の続き、いってみよー!」

 元気良く提案し、その場の空気を変え、襖をニコニコしながら開こうとしているソーンの笑顔は天使のようだった。部屋が普通だったなら、天使のようだというイメージそのままだっただろう。

 襖という、この空間最後の良心、地獄の釜の蓋は無垢な笑顔で開かれた。

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