第8話 少女の傷

 旅へ出ると言っても、町を出るまでが長かった。

 ここを出ようと思ったことがなかったので、町の大きさを知らなかったのだ。歩いても歩いても、外へ出れる気配がない。いつになったら出られるのだろうか。

「ここってこんなに大きかったんだね!」

 少し不安になってくるレーヴに反し、リーヴルはちょっと楽しそうだ。すごい。

「そういえばね、こんな夢も見たんだよ」

 長い、長い最初の旅路で、リーヴルは楽しそうに夢を聞かせてくれるのだった。


  大自然の風景、自然の中で生きるイルカやシャチ、なにかわからない大きな鳥、様々な動物の生態を収めた動画を見ていたはずだった。

 生物の体に違和感を覚え――ヒレがおかしい、翼がいびつ等――これは本当に自然の中で撮られたのか、それともAI技術で作られたのかと考えていると、動画の世界に飛び込んだ。

 大怪鳥の世界だった。

 山の上で竜巻が踊っているのが見える。

 竜巻なんて見えたっけ、なんて思っていると、ホウキにまたがり、やたらとでかくて派手な星柄の帽子を被って飛んでいることに気がついた。

 竜巻に帽子が吹き飛ばされそうになるのを一生懸命おさえて耐えていると、今度はホウキから吹き飛ばされそうになる。

 耐えきれず、帽子と一緒に吹き飛ばされた。飛ばされながら、落ちていく先にある倒木に窓やドアがついていることに気がついた。

 とても小さくて、体が入りそうになかったのに、見ているとだんだん体が小さくなっていった。小さくなったおかげか、ふんわりと地面に着地した。まさに魔法だ。

 ドアについているベルを鳴らし、助けを求めた。

 この世界では魔法使いは大怪鳥と敵対関係で、このままだと空から鋭い爪で襲われて死んでしまう。そんなことが頭に浮かんでくる。

 中から鬼の形相で女性が勢いよく飛び出し、腕を強く握って引っ張り込まれた。

 匿ってくれたお礼を言いたいが、口を開く暇もなく、家の奥へどんどん引っ張られながら進み、たどり着いたのは浴室だった。

 有無を言わさず冷たい水を浴びせられ、罵倒された。

「怪鳥様に裏切られたと思われたらどうするんだい!」

 どうやら、木に住んでいる人は大怪鳥を信奉しているらしい。匿ってくれたわけじゃなかったんだ。

 寒さと恐怖に震えながら俯いていると、赤子の鳴き声が響き渡った。

 女性の小人は赤子を背負っていた。

 気づかなかったのか、唐突に現れたのかわからないが、猫なで声であやしながらその小人はどこかへいってしまった。

 浴室から出ると、そこはまた別の世界だった。

 車かバイクかわからないが、けたたましい音を立てながら走っている音がする。

 目の前に置いてあったタオルで体を拭き、何故か用意されていた服に着替えていく。

 外へ出ると、目まぐるしい速さで過ぎていく乗り物がたくさん見えた。

 それは、誰もが何かへ進んでいっている旅の途中だった。


「おしまい!最初はファンタジーのお話みたいだったけど、最後は旅に出ている私たちみたいで見てて楽しかったよ」

 リーヴルは相変わらずニコニコ笑っていた。これからが楽しみでならないのだろう。

 ふと、見たことのあるキラキラしたものが目に入った。リーヴルの綺麗な髪の毛そっくりなものだった。

 リーヴルの髪の毛みたいなものが織り込まれた小物、アクセサリー、ほとんど毛の束そのまま、いろいろなものがあった。

「あれ?なんだろう。すっごく気になる」

 リーヴルはとてとてと、毛の束の持ち主の元へ走り寄っていってしまった。どこか様子がおかしい人だった。

 レーヴは、リーヴルを拾ったときのことを思い出し、妖怪ながらに、『まずい』と心臓が早鐘を打っていることに気づいた。止めないと。

「それ、綺麗ですね!なんだか懐かしいような」

 ああ、遅かった。好奇心の強いリーヴルを止められなかった。

「これは!これは私のだ!!!!私のだ!!!!!」

 リーヴルを突き飛ばし、発狂した。唾を散らし、訳の分からない奇声と罵倒を始める。

「え…?」

 リーヴルは尻餅をつき、茫然自失としている。

「死ね!死ね!!さっさと死ね!消えろ!死ね!」

「…ごめんなさい、ごめんなさい」

 レーヴは短い鼻で一生懸命リーヴルを背中に乗せ、足早にその場を去った。


 人気のない、落ち着けそうな場所まで逃げ延び、リーヴルを背負ったまま、ゆっくりと足を止めた。

 背中に乗っているリーヴルの震えが伝わる。

 心なんてないはずなのに、人の気持ちなんてわからないくせに、本で読みかじった程度しか知らないのに、どこか痛くて苦しい。

「…わかんない。わかんない、怖いよ」

 涙で背中が濡れるのを感じながら、レーヴは昔聞いた夢を、ソーンから聞いた夢を、リーヴルに語り聞かせた。


 いつもと同じ景色、同じ人たちのいる星でした。

 違う星に不時着したのに、違う星へと旅立ったのに、新しく見つけたのは見たことのある物や景色でした。

 けれど、言葉が全く違います。

 一生懸命コミュニケーションをとろうとして、言葉を理解しようと頑張りましたが、うまくできません。

 仕方がないので、他の星へと旅立ちました。

 他の星では、温かく迎えられました。いろいろなことを教えてくれて、いろいろな新しいものにも出会えて、とても幸せにすごせました。


「大丈夫だよ。私たちは旅の途中なんだ。新しい場所、自分らしくいられる場所、自分の好きな場所、落ち着ける場所、自分の手に取りたいもの、なんでも、自分で考えて、自分で選んで、自由に進めるんだよ。大丈夫。私たちはまだこの町を出てすらいないんだ。これからどんなものが待ち受けているのか、まだ知らないでいるところなんだよ」

 レーヴが優しく語り聞かせると、リーヴルはしゃくりあげながら、頭を押さえた。

「あのね、私、あげたの。思い出したの。見たことあると思って声かけただけだったの。全然覚えてなかったの。返せなんて、これっぽっちも思ってないの。怖い」

「大丈夫、大丈夫」

 そのあと何があったのか、覚えている限りを聞かせてくれた。

 雨の匂いがして、雨が降ると言うと、すごいって褒められた。最初は嬉しくて、ちょっと得意げに思えたけれど、人々は怖がるようになった。

 怖がられると、自分のことがもしかしたらおかしいのかもしれないと思った。ちょっと得意なことがあっただけだったのに、おかしくて、怖いもので、受け入れられないものなのだと。

 今まで見ていた夢も、怖いものが多くなった。怖かった。どこにも居場所も逃げ場所もなくなってしまったように思えた。誰かにもてはやされるのも怖かった。一人がいい、目立ちたくない。

 震えているリーヴルが気の毒だった。話だけ聞いていると、そんなに変なことでもなかったのに。

 怖かったね、怖かったんだね。いろいろなことがわからなくなっちゃうくらい。

「人とちょっと違ってたり、得意なことがあったり、自分が特別かもしれないって思える出来事って嬉しいよね。自分にしかないもの、自分のアイデンティティのようなもの」

 レーヴはソーンとの会話を思い出しながら話す。

「何も悪くないよ。声をかけられただけで怖いくらいのものなら、手放してしまえばいいのに。リーヴルはちゃんと前に進んでいるんだから。あまり、昔のことは持ち出さないようにって気をつけてたけど、出会った頃のリーヴルと最近のリーヴルだと、私は今のほうが好きだ。元気いっぱいで、明るくて、夢が大好きで、いろいろなことに興味持って、素直にすごいって褒められて。冒険だって、まだこれからなんだよ。大丈夫、大丈夫。出だしがこんなになっちゃったけど、私たちはまだこれから新しい世界を見るところなんだから」


 それから、リーヴルから夢の香りが消えてしまった。ショックが大きかったんだな。

 出会った頃と違い、会話はできるけれど、どこか遠くを見てぼうっとすることが増えてきた。

「リーヴル、つらい?」

 リーヴルは目に涙をいっぱい浮かべて頷いた。

「そっか」

 最初、リーヴルはろくに喋れなかった状態だったのを思い出す。

「どうしたい?いますぐ、この町から抜け出す?それとも…」

 夢の中で、傷が癒える時がくるまで、耐えられるくらい強くなるまで、眠りにつきたいか。

 聞かなかった、聞けなかった。だって、出会ったときのリーヴルはほとんど悪夢の中にいたのだから。また、悪い夢に苦しむかもしれない。

「ここから出たい。ソーンさんの夢みたいに、どこか、受け入れて貰える場所を探して」

 リーヴルはぎゅっと唇を結んだ。

「自分で考えて、自分で道を選んで、答えを出せてえらいね。落ち着いたら、出発しようか」


 ふたりの歩みを再開するまで、さほど時はかからなかった。

 しっかりと前を見据え、リーヴルは自分の足で、ゆっくりと踏み出した。

「ソーンがね、失敗があるから、人は成長して、より良い明日を目指すって言ってたよ。夢も、未来も、見たいときに、見たいものを、見たい分だけ見れるわけじゃないけれど、確実に一歩ずつ踏み出す人に与えてもらえるものなんだよ」

 ゆっくり、落ち着かせるように、穏やかに続けた。

「ソーンがね、夢の中で、その日あったことを見ることもあるって言ってた。そしたら、次の日には、昨日ちっとも上達しなかったことがすんなりできるようになってたことがあったってさ。夢は怖いこともあるけど、怖い夢のおかげで、危険から身を守れたりするんだよ。予知だとか、嫌な予感とか、なんとなくまずいとか、そういったものは夢の中で培われてるんだと思う。現実で痛い思いをしづらいように、守ってくれてるんだよ。守りきれたりはしないけど、それはどんな出来事にも言えることで、完璧なものは存在しないんだ。大丈夫。そばで寄り添ってるからね」

 リーヴルは興味深そうに、レーヴのことをまっすぐ見て聞くのだった。

「ソーンさんって未来が見えるの?」

 レーヴは言ってからしまったと思った。

「本人が言うには野生の勘ってやつらしいよ。虫の知らせとか、台風や地震が起こる前に動物が大移動するような、そういう予感らしい。本能だとも言ってたな」

「すごい!」

 リーヴルの目に少し光が戻った。

「本当に、会ってみたいなあソーンさん」

 目的ができることはとてもいいことだ。強く生きて。

 そうこうするうちに、ようやく町の外までくることができた。

 建物が減り、道路や川、ところどころに生えた木々、自然の多い景色が妙に清々しい。

「海を目指すついでに、星空の綺麗な丘を探して、ソーンに会いにいこうか」

 目的の再確認をした。気を紛らわせるため、目的を見失わないようにするため、強く一歩を踏み出せるようにするために。

 リーヴルは元気よく頷き、一緒に一歩を踏み出す。

 すると、後ろからすごい罵詈雑言が聞こえた。

「逃げるんじゃねえ!!」

 ハサミを片手に振り上げ、ものすごい形相でこちらを見ている。

 これからだったというのに、リーヴルの目が曇り、レーヴは慌ててリーヴルを背中に乗せてその場を後にした。

 過去に何があったのか知らないし、わからない。拾ったときのリーヴルは、生きたくて、一生懸命逃げてきたあとだったのだろうか。

 少なくとも、今、ちゃんと前を見て、一歩踏み出そうと頑張っているリーヴルのことを支えたいと思った。

「逃げてなんかないさ。私たちは、行きたい場所、目的があったのだから」

 リーヴルは力なく笑った。

「いつか、思い出して、話せるときがきたら、今みたいに一緒に歩こう。一人で抱え込まないでね。私はそばで支えているから」

 なにがあっても。

 ソーンが黙っていなくなったみたいに、私は君を置いていかない。

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