第7話 旅立ち
残ったレーヴはというと、誰に留守を任せるか考え込んでいた。本当は人間が良いのだろうけれど、人間の知り合いはヴィクターさんとフローラさんだけだ。二人は診療所の経営で忙しい。となると、現存する知り合いの妖怪に頼むしかない。
最初に思い浮かんだのが妲己だった。ヴィクターさんの悪夢を聞いたときに連想したせいだろう。しかし、任せるにしても、ソーンが立ち寄ったときに無事ですむかすごく心配だし、妲己怖いし、連絡取りたくない。かといって、他に現存する妖怪で任せそうな知り合いは…。
考えを巡らせていると、図書館の扉がゆっくりと、どことなく気品を漂わせながら開かれた。
リーヴルは元気よくバタンと開けるので、誰が来たのかと視線を向け、絶句した。
「はぁーい、貘ちゃん。呼ばれた気がして飛んで来ちゃったわ」
「げえっ。妲己」
すらっとした長身長髪の美女が出入り口で腰に手を当てて立っている。それだけで色っぽいが、おぞましさまで感じるのだった。
「げえって何よ」
妲己の一睨みは研ぎ澄まされたナイフのように鋭く、心臓を貫かれたような感覚を覚えるが、それを差し置いて美しい。吊り橋効果もあるのか、胸がときめいて仕方なくなる。心臓が暴れて止まらないのだ。
「なんでもありません」
恐ろしさと、絶対に違うと否定したくなるようなときめきで、レーヴはおかしくなりそうだった。
「良い子ね」
美しくささやき、こちらへと歩み寄ってくる。
妲己はとても綺麗に歩く。姿勢も軸もぶれないし、長い脚がとても妖艶に見える歩き方をしている。
髪がふわっと風に舞う。その艶やかさは計算しつくされているかのような舞い方だ。
両手を膝に置き、口を耳元に寄せてささやいた。
「で、私のこと、考えなかったかしら?困ってる気配がしたんだけど」
たまらず耳を遠ざけ、妲己の方を向くと、視線がぶつかった。
まっすぐに目を覗き込んでいる。射抜かれているように、身動きすることができない。
その顔は美しく、恐ろしかった。恐ろしかったが、嫌になるくらい魅力的だった。
「それが…」
話すつもりはなかったのに、事情を洗いざらい妲己に吐いてしまった。悔しい。非常に悔しい。
「なるほどねえ。いいわよ」
「えっいいの!?どういうつもり?!」
思わぬ言葉に驚いていると、妲己は妖艶な笑みを浮かべてこう言った。
「だって、話してみたいじゃない。ソーンって子のこと。食べちゃったりしないから安心しなさいな」
一体どういう風の吹き回しなのだろうか。
思考をめぐらせ、どんな思惑が裏に潜んでいるのか警戒していると、リーヴルが戻ってきてしまった。
「レーヴ!パパとママが良いってさ!心配だけど、経験を積むのは悪くないし、ひとりじゃないなら大丈夫だって!あれ?…すっごく綺麗な人」
リーヴルは一瞬で妲己に釘付けになった。
「綺麗…」
骨抜き、いや、魂を抜き取られたような顔つきで称賛している。
人間な上に、うぶで純粋な子供には刺激が強すぎるのだろう。
「あら、可愛いお嬢さんね。とっても綺麗な金髪をしているわ。つやつやで、シルクみたいになめらかよ。触ってみてもいいかしら?」
妲己の問いに首を縦に振って答えていた。即答だった。
「すべすべで触り心地がとっても良いわ。おまけに、なんて愛くるしいのかしら」
そう言って、次はリーヴルの右頬に左手を添え始めた。リーヴルは顔を真っ赤にし、一生懸命視線を逸らそうと顔を下に向けている。
しかしやはり、妲己はそれを許さなかった。頬に手を添えたまま、顎を持ち上げ、見つめ合うよう仕向けていた。
「可愛いわ…」
「…っ」
リーヴルは目を潤ませ、されるがままだった。
「そこまでだ妲己」
思わず言葉に力が入る。言ってしまってから、少し萎縮しつつ、やめてもらえるようお願いし直す。
「お願いです。そこまでにしてあげてください」
妲己は少しご機嫌な様子でリーヴルにウィンクをし、解放してやっていた。解放されるや否や、リーヴルはその場にへたり込んでしまった。
「あんまり可愛いから、つい」
そう言って、舌をちろりと出して妖艶な笑みを浮かべるのだった。
「もしかしてそれ、マイブームなの?」
呆れながら聞いてみるが、妲己は屈託のない笑みで返しただけだった。
「安心なさいな。あなたたちが探しに行くお姫様には今みたいなことしないから」
「今みたいなことじゃないことならするってこと?悪いことはすべて!しないで!ね!」
思わずトゲのある言い方をしてしまう。
妲己は口元に手を添えて笑った。
「約束するわ」
妲己には悪いが、信用しきれない。
「本当かな?」
貘が『夢』を糧にしているならば、妲己は『負の感情』と『欲望』を介して得られる生気が糧だ。つまり、人を平気でいたぶるし、欲望――色欲、強欲、食欲などの欲求――を掻き立て、堕落させる。落ちるところまでとことん落としてくる。
あからさまに怪しんでいると、やれやれといった様子でため息をついた。
「破ってたら、尻尾を全部ちぎられても良いわ。本当よ」
言いながら尾を九本うっすらとちらつかせた。綺麗だ。
「全部貘ちゃんのためよ。消えちゃいそうになってたときはハラハラしながら見てたのよ」
「とかいって、本当は死にかけてるの見て楽しんでたんでしょ」
「そんなわけないわ。だって、今となっては妖怪なんてほとんどいないもの。付喪神ちゃんのこと好きだったのに、いの一番に見なくなっちゃって。大切な仲間を放ってはおけなかったわ。あなたたちが今探してるのって、あのときの宝石ちゃんでしょ?私も会ってみたいのよ。本当に美しい子だったもの」
艶めかしくしゃがみ込み、レーヴのことを上目遣いで見上げてくる。悔しいが綺麗だ。
「…本当に悪いことなにもしないんだね?」
「ええ、誓うわ」
妲己がここまで言うのは珍しい。本当にどういう風の吹き回しなんだろう。
他に頼める誰かがいないし、ここはお願いしてみるのも悪くはないのかも。
「じゃあ…お願いします」
妲己はにっこりと笑って髪を手で払った。
「決まりね。お礼はたんまりもらうわよ、貘ちゃん。いいえ、レーヴ」
狙いはもしや私か。
「私の持っているもので欲しい物なんてあるの?」
何が狙いなのか、本当にさっぱりわからなかった。
「その時になればわかるわ」
妲己の意味深な笑みが引っかかるが、今日はここまでだ。疲れた。
うっとりとした顔で放心状態に陥ってしまっているリーヴルを家へ帰し、荷物をまとめた。
必要なものをそれぞれ揃え終え、出発の朝。ヴィクターさんとフローラさんの希望で、見送りができる休診日の朝だ。
「リーヴル、すぐ戻ってきても大丈夫だからね。飽きたらやめても問題ないんだからね」
フローラさんは心配でならないようだ。リーヴルは元気よく頷いている。
「レーヴくん、リーヴルをよろしく頼んだよ。ところでその…そちらの美しい人はどなたかな」
早速あてられている。目がハートだ。
こそこそと言っていたが、丸聞こえだったようで、フローラさんの視線が怖い。目で殺しそうな力がこもっている。視線に気づいたヴィクターさんの目が元に戻った。いや、戻ったように見えるが、目を泳がせている上に、怯えた様子だ。
「はじめまして、お二方。私はレーヴの代わりに図書館でお留守番をさせていただく、ブーケと申します。よろしくね」
あえて妲己と名乗らなかったな。
ジト目で見ていると、妲己は目配せをしてきた。余計なことを言ったら殺されるに違いない。
「私はヴィクターで、こっちが妻のフローラだ、よろしく。みんなで帰りを待っているからね。レーヴくんは、盗みをしなければならなくなってしまう前に帰る判断をすること」
みんなに笑われ、少しこっぱずかしくなりつつ、レーヴは鼻を、リーヴルは手を振って旅立った。
「レーヴ。今朝ね、不思議な夢を見たの」
夢の話を聞きながらの旅はいつもと違って新鮮で楽しい。
場所は海だった。
海岸をはしゃぎながら歩いている。真っ白で綺麗な砂浜だ。眩しい砂浜に対し、海はどんよりと暗い。
砂浜には水着を着た人がたくさん集まっていた。海にはなぜか誰も入っていない。
不思議に思うこともなく、私はまっさきに海へと走った。とにかく早く、速く泳ぎたい!という衝動が強く、生まれたてのウミガメのように、ひたすら海へ。
海へと足を踏み入れると、流されてきたのか、生えているのかわからないが、海藻が足に絡みついてくるが、構わずどんどん進む。たくさん泳ぎたい。海の底まで潜ってみたい。
自分の欲望に従い、どんどん進むと、すぐに肩まで海につかった。泳ぎ時だ、潜り時だ。
息を吸い込み、思い切り頭を水につける。息を止め、浮遊感に身を任せ、冷たい海の水が髪を掻き分け、地肌に染み渡るのを感じながら足を動かす。とても心地よい。
私を流れに乗せ、海も楽しんでいるように感じる。自分の泳ぎたい方へと、都合よく海は運んでくれた。
海底にはサメやマンタ、見たことのないでかくて怖い魚、シャチ、クジラなど種々雑多だった。生き物は見えても、底まではどれだけ潜っても、いつまでもいつまでも見えることがなかった。
どこまでも暗く、深い深い海の底がちょっとだけ怖いと思った。
怖いと思ってしまうと、それまでこちらに見向きもしなかった海の生き物が泳いで近寄ってきた。怖かった。
怖い、怖い。
あんまり怖いので、砂浜に戻ろうと思った。しかし、それまで行きたいところへ運んでくれていた海流は手助けをしてくれなかった。
どんどん海の生物が近づいてくる。
食べられると思った時、それは進路を変え、私の周りをくるくると泳ぐのだった。
怖さは徐々に薄れ、ちょっとずつ、ちょっとずつ穏やかな気持ちを取り戻していった。
すると、海は少しずつ明るくなったように見えた。
泳ぐ楽しさをもう一度取り戻し、深く深く、潜り込んでいくのだった。
「不思議な夢だね」
「でしょ!だからね、ソーンさんを探すついでに、海に行ってみたいなあ」
「いいかもしれないね。私は、星の綺麗な丘を探してみたいな。海へ向かいながら探すのはどうだい」
「楽しそう!」
これからどんな場所に行き着くのか、旅はうまくいくのか、ソーンに会うことができるのか、わからないことだらけだったけれど、不思議と不安はなかった。
その数日後のことだった。
静かな音を立て、図書館の戸が開いた。
「やっぱり、ここにいれば来ると思っていたわ」
妲己はたおやかに椅子から立ち上がった。
「追いかけるわよ」
ウィンクをし、すでに用意されていた荷物一式を持って外へ歩き出した。
悪いことはしてなどいない。
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