第5話 少女の家

 本で読んだリハビリとやらをするため、リーヴルに簡単な動きをしてもらってみたが、あまり心配はいらなかったようで、すぐに体を動かせるようになっていった。しかし、まだあまり会話をする様子はない。

 言葉がわからない可能性を視野に入れ、幼児向けから大人まで、幅広く本を用意して並べておいてみることにした。

 目が覚めてからリーヴルはよくうなされている。どこか痛いのか、嫌なことを覚えているのか定かではない。久々の食事ができるのはありがたいが、少し心配だ。

 悪夢を食べ、腹を満たすことができて元気が出た。さて、一仕事行くとしよう。

 仕事といっても、妖怪なので人間と簡単には交流できないし、夢を見ない人には貘の姿が見えない。じゃあ仕事とはなにか。盗みだ。天職だ。

 こっそり衣料品や食料品をくすねても気づかれないし、いつの間にかなくなっている、数え間違えていたという認識になるらしいので、これほどまでに向いた仕事はないのではないかと思うのだった。もし見られていたら夢をいただく。隙がない、はずだ。

 みんな生活が辛いのに胸が痛まないのかと問われれば痛まない。

 こちとら瀕死だった少女を回復させるのに必死なので、他人のことなぞ知らぬ。そもそも妖怪なので、人間のそういった社会の常識なんて通用しないのだ。

 というわけで、リーヴルに必要そうな物を用意すべく、品物と人の多い建物へ向かう。

 一度にたくさんもらっていきたいので、ソリを引いて準備万端だ。

 まずは食料。成長期の子供にはカルシウムやタンパク質等々、バランスの良い食事が必要だと本で読んだ通りに、食材をちょっとずついただいていく。

 次は衣服だな。なくなっていた、数が足りなかったという品物をリーヴルが着ているのが知られれば、私ではなく人間の彼女が痛い目に遭ってしまうので、どう見繕うか試行錯誤せねばならない。

 可愛らしいワンピース一着、活発に動けそうな服を上下セットで一つ、ただの布を五色それぞれ適当にロールごといただいてみた。貘にハサミは使えない。

 図書館に戻ると、リーヴルがお出迎えをしてくれた。

「お、あえい…」

 少し喋るのが苦しそうに見えたので、荷物を乗せたままのソリを適当なすみっこに置いておいて、リーヴルに膝をついて口を大きく開けるようにお願いした。今回は身振り鼻振りはなしで。

 お願いした通りにしてくれたリーヴルの口の中を見て絶句した。ああ、やっぱりそうだったかと。なんとなく予想通りなんだろうと覚悟して覗き込んだはずだったのに。

「気づくのが遅くなってごめんね」

 リーヴルは涙をポロポロと流し始めた。

 レーヴはただ、鼻でそっと頭を撫でることしかできなかった。

 ご飯を食べさせていたとき、唇を少し開けて流し込むようにして食べさせていたし、本人もそうやって食べていた。

 どうして疑問に思わなかったのか。それまで特におかしいことだともなんとも思わず、気にも留めないで見ていた。自分は表面と心しか見ていなかったのだ。もしかすると体の中身にも何か問題が起きているのかも。

 ああ、やはり、人間で世話をする人を探さねばならないだろう。妖怪には無理だったんだ。体も在り方もずいぶん違いすぎて、何に気を付けるべきかがわからない。本を開く頃には手遅れだったということになりかねない。

 泣き止んだリーヴルは落ち着いたのか、スヤスヤと眠ってしまった。うなされず安らかな眠りだ。

 どうか、良い夢を。


 レーヴは早速町へ出かける。

 近所はだいたい調べてあるので、もう少し遠出してみるか考え込んでいると、ほんのりと悪夢の匂いを漂わせた人間が歩いているのを見かけた。珍しい。

 目元のクマが深く、目は虚ろで、中肉中背の、よく見かける体型をした男だった。

 もしこの男が子供の面倒見がよく、安心して任せられる相手だったら都合が良い。

 しばらく様子を見て、任せられそうだったら、その悪夢を食ってやる代わりに、一人の少女が自立するまでの世話を条件にしてみるか。任せられそうになかったら悪夢だけいただこう。

 この人間にはレーヴの姿が見えてしまうので、気づかれないようにそっと後ろをついていく。

 様子を見るに、身を隠さずとも尾行がばれる気配は微塵もないが、用心するに越したことはないだろう。

 男はふらふら歩きながら、どこかの診療所へと入っていった。持病持ちか?

 持病のある人間にリーヴルを任せるのは心許ないなと思っていると、出入り口付近で男を『先生』と呼ぶ女の声が聞こえてきた。

 まさかの事態に思わず食い気味に話を盗み聞きしようとしてみるが、話している当事者たちがどんどん奥へ入ってしまい、聞き取ることができなかった。

 レーヴは建物の周りをうろつき、会話が聞き取れそうな場所を探し当て、聞き耳を立てる。

「先生、人は誰しも失敗はします。大丈夫ですって」

 さきほど声を掛けていた女の声が聞こえてきた。何の話だろう。

「いつも励ましてくれて嬉しいが、私はもう自信がないんだ。毎晩夢に出てくるんだ。私にはもう無理なんだ」

「先生…」

 なんだかしんみりした様子だが、どうしたのだろう。

 自分の頭では、もう少し話を聞いてからが良いと判断しているが、体はこの男に決めたと叫んでいる。夢の香りでお腹も鳴り始めた。

「先生は優しすぎるんですよ。あんなにたくさん手術して、失敗がない方が奇跡です。無理な働かせ方してたあの病院にはもういないんですし、新しく開いたこの診療所で細々と頑張りましょう。大丈夫ですから。もう手術しなくていいんですよ」

 女の話から察するに、医療ミスというやつだろうか。会話の内容を聞いて初めて、建物が真新しいことにも気がついた。

「私は…。私は死なれるのが怖い」

 どうにかして中に入れないものか。見上げてみると、開いた窓が目に入る。

「先生…」

「毎晩うなされるんだ。私は、私はわざとじゃない。一生懸命助けようとしたのに。それなのに、夢の中では笑いながら患者のことを…。私はわざとじゃない。死なせるはずじゃなかった」

「先生」

 男は頭を抱え、女性は目元に手をやっていた。

「話は聞かせてもらった!」

 窓枠に必死になって掴まり、後ろ足を一生懸命バタバタさせながら、温めていたセリフを放つ。

 本で読んで、格好良く登場するのが憧れだったが、現実はうまくいかない。格好悪い。

 人間だったらきっと顔が赤くなっているのだろうなどと、顔が熱くなるのを感じながら思う。必死によじ登ろうとするが、登れない!登りきれぬ。

「その前にそちら側へ引っ張ってくれませんか。あなたの悪夢を食べに参りました。貘です。そしてどうか、里親になっていただきたいのです」

 もちろん、振り返ったのは男だけで、女の方は目元を押さえたままだ。

「…なあ、窓のところに小さな喋る『バク』が見えるんだが。私はついにおかしくなったのか?」

 男は絶望したような表情で自分の顔を両手で包んだ。

 女はこちらを見たが、もちろんレーヴが見えないので、目を剥いて男の方に視線を移す。

「ち、違うんだ。話を、話を聞いてください。夢をっ、見た人しかっ、落ちるっ!落ちるぅ!助けて!」

 レーヴが落ちてしまう前に、男は両手でレーヴを包み込んで持ち上げてくれた。

「助かりました。ありがとうございます」

 一息つくことができたレーヴに対し、男は鼻息荒く興奮し出した。

「さ、触れたぞ!触れた!見てくれ!こいつは私にしか見えていないのか!?感触は確かにあるぞ!」

 男も女もひどく狼狽していた。女の目には何もない空気を掴んで叫んでいる男が映っていた。

「見えない!見えないわ!あなたっそんなになるまで自分のことを…」

 女の方は大声を出して泣き出す始末。一瞬にして阿鼻叫喚の嵐となった。


 落ち着いてもらうまでにだいぶ苦労と時間がかかった。

 レーヴは一生懸命見えている人と見えていない人がいる理由を説明し、紙とペンを使って女にも存在を認識させたり、とても大変な思いをした。

「妖怪なんて、今どき珍しいというか。聞かなくなって随分経つのでは。まさか本当にいるなんて。しかも、今のこのご時世、存在しているのが意外というか」

 頬に手を当てながら、信じられないといった様子で、男が手に抱いている何もないはずの空間を見つめた。

「ああ。頭がおかしくなったわけでなくて良かった…」

「私も安心したわ」

 レーヴは一つ咳払いをし、改めて名乗りを上げようと思っていたその時だ。

「ところで、里親というのは君のかい?それとも猫ちゃんかなにかの?」

 男が思い出したようにつぶやく。そうだった、説明していなかった。

「いいえ。人間の女の子です」

 レーヴはこれまでのことを説明した。手間だが、男が女に内容を簡潔にまとめて伝えてくれた。レーヴが文字を書くよりは手間ではない。

「それはとても良いことをしたわね。こんな世の中で手を差し伸べる人なんてきっといないだろうに」

 女は尊敬の眼差しを部屋のどこかにいるレーヴに向ける。レーヴは鼻高々で少し照れくさかった。

 きっと、ソーンと出会っていなければ手を差し伸べることなんてしていなかったけれど、いざ称賛を受けると少し嬉しいのだった。

 その横で、男は少し沈んだ表情を浮かべている。嫌なのだろうか。

「もしかして、子供がお嫌いですか?」

 聞いてみると、男は力なく首を横に振った。

「死なせてしまいそうで怖いんだ」

 ああ、悪夢の、ごちそうの匂いだ。

「私がその悪夢を食べて差し上げます。その代わりに少女を、リーヴルを育てていただきたいのです。私は妖怪なので、人間の世話をするのが難しいようなのです。今、彼女は舌切り雀なのです。歯も抜かれているようです。乳歯なのか永久歯なのか私には区別もなにもつかないし、どうすれば良いのかわからないのです。病気や外側の傷は治せても、中身が今どんな状態なのか検討もつかない。お願いです、私にその悪夢を食べさせてみてはいただけませんか。私が面倒を見続けると、きっとそれこそ死んでしまいます。あなたたちに世話をしていただいた方が、彼女はきっと健康に長生きできるでしょう」

 レーヴは深々と頭を下げた。食べてやるという傲慢な考えはもうなくなっており、ぜひこの二人にお願いしたいという想いが強かった。

 女が慌てたときに『あなた』と言っていたことから、恐らく夫婦のこの二人になら任せられる気がしたのだ。

 手術が上手くいかずに死なせたことを後悔しているし、落ち込んでいる旦那を励まそうとしている。心優しい人間にしかできないと、物語の本を読んでいて思わされたことだった。失敗が原因で悪夢を見続けているし、都合の良いことに医者だ。夢に描いたような都合の良さだった。

「私たち夫婦には…」

 ああ、やっぱり夫婦だった!と思っていると、男は深い溜め息をついて続けた。

「長い間子供ができなくて諦めたんだ。どちらかが悪いとかではなく、縁がなかったのだと思っていた」

 女はすすり泣き始め、男は両手を組んで額に当てている。

「ぜひ、その提案を受け入れたい。責任を持って育てさせてもらいます」

 嬉しすぎて飛び上がりそうになっていると、夫婦はお互い強く抱きしめあっていた。

「あなた。私たちに子供が!」

「ああ!どんな子だろうな」

 まだ悪夢を食べていないのに、自分たちに子供ができたのが相当嬉しかったのか、もう舞い上がっている。悪夢のことなどすっかり忘れ去ってしまっているのだろうか。

「あ、あのー。それじゃ、あなたの悪夢をいただいちゃいますね」

 遠慮がちに言うと、男の憂鬱な顔はどこへやら。満面の笑みでよろしくお願いされるのだった。


 男の見ていた夢は酷いものだった。

 頑張って助けようとしていた老若男女、赤ん坊を次々殺していく夢だった。

 赤ん坊は頭にドリルを当てて殺し、死産だったと嘘をついていたところだった。母親はショックで涙を流し、夢の中の男はニンマリと笑う。

 大人は開腹手術中に内臓をこっそり盗られ、男は盗った内臓を食べていた。

 その様相は、あまり思い出したくないが、さながら妲己のようだった。まともな人間は正気を保てなくなる。

 他にも酷い内容が続いたが割愛しよう。


「なんだか、心が安らぐよ。ありがとう『バク』くん」

 男の目はとろんとしていた。悪夢でろくに眠れていなかったのだろう。心が軽くなって眠気に見舞われているのだろう。

「私のことはレーヴとお呼びください。友人のくれた自慢の名前です」

「そうか。ありがとうレーヴくん。私はヴィクターだ。よろしく」

 なんだか温かいものが二人の間に流れる。

「私は、フローラよ。その子はどこにいるの?」

 なんとなく名乗っているとわかった夫人は流れるように話に乗っかり、レーヴの居ると思われる場所を見つめながら尋ねる。

「図書館にいます。私の住み着いている場所です。そうお伝えください」

「なかなか、不都合の多い性質をしているね」


 夫妻を図書館へ案内し、リーヴルに事情を伝えた。するとどうだろう、彼女は大粒の涙を流しながらレーヴを抱きしめて離さないのだった。

 レーヴにはなぜだかわからなかった。わからなかったから、夫妻のような善人を見つけられたこと、任せられる運の良さに感謝をした。

「ところで、この子の荷物とかあれば、一緒に引き取りたいのだけれど」

 ヴィクターがそう言うので、今日盗んできた荷物を鼻で差し、得意げに話すと大慌てで店の場所やらなにやら聞かれて大変なことになった。

 その後、姿が見えてないフローラにコンコンと説教をされ、旦那さんは生物の食料品以外と衣服類全部をまとめ始めた。

「君も手伝ってくれレーヴくん。これらを一度こっそり戻してほしいんだ。生物はここに置いてて傷んだ可能性があるから、戻すのは厳しそうだが、それ以外ならなんとかなる。君がこっそり戻した物を我々が買い取りたい。協力してくれ」

 そのやり取りを見聞きしていたリーヴルは少し目を丸くしながらこちらを見る。視線が痛い。


 夫妻の考えた作戦は事なきを得た。

 図書館へリーヴルを迎えに行くと、レーヴに抱きついてきて離れなかった。

「どうやら、君たちを引き離すのは難しいようだね。どうだろうレーヴくん。君も一緒にうちにこないかい?もしまた悪い夢を見たら食べてほしいんだ」

 嬉しいお誘いだったけれど。

「ここで友人がもどってくるのを待っているのです。約束をしたわけではありませんし、来てくれるのかも全然わかりません。でも、リーヴルが慣れるまでなら…」


 夫妻の診療所に二人はお邪魔した。家に行く前にリーヴルの診察をしてくれるそうだ。

 内臓は殴られて傷ついてたあとが見つかったが、無事だった。治っていたので問題ないそうだ。良かった。

 抜かれた歯は乳歯だったので問題ないらしい。

「問題はこの舌と、新しく喉に異常が見つかったことだなあ。舌がちぎれてすぐだったならどうにかなったんだが…。喉はしばらくお薬つけて様子を見てみるとしよう」

 夫妻は交代で泊まり込みをしていて、今日はヴィクターの番らしい。

「私はもう帰るけど、リーヴルちゃんはどうしたい?何かあったときを考えたら診療所のほうが良いと思うけど、女の子だし、私と一緒におうちにくる?」

 フローラはもろもろのことを心配しているようだ。気配りができそうで良い女性だ。

 リーヴルはしばらく考え、レーヴを一瞥し、首を横に振った。

「そっか。じゃあうちにくるのはまた今度にしようね。休診日の前日はふたりとも家に帰るから、そのとき一緒に帰ろうね」


 寝る準備をし、リーヴルはレーヴを抱きしめた。ここには抱きしめても良さそうな本がないから代わりだろうか。

 こうして、レーヴは夢のように都合よく、リーヴルの育ての親を探し当てることができたのだった。

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