第4話 少女の朝

 それからというもの、より一層レーヴの献身は増していった。

 最初のうちは、毎日一つだけソーンの夢を語り聞かせていたのだが、ふたつ、みっつと増えていき、一日中話す日がほとんどになった。もちろん、食事と清拭等の世話をしながら。

 少女の目に光が宿り始め、髪も背丈もちょっとずつ伸びていった。

 髪の毛がタンポポの綿毛を思わせる長さになると、金髪だったからか、天使のようにも見えるのだった。

 少しずつ、少しずつ成長と変化を見せてくれる少女を世話するのが楽しくて仕方がない。

 夢中になれることがあったおかげで、ソーンがいない寂しさを紛らわすことができたが、肝心の空腹に苦しむようになり始めた。

 ソーンと出会った頃ほどではないが、体は小さくなり、少しずつ力が衰えてくるのを感じる。

 自分がこのまま死んでしまうかもしれないと思うと、一人だった頃にはなかった恐怖があることに気づいた。

 自分がいなくなってしまったら誰がこの少女の世話をし、誰が心を起こすのだろう。

 空腹はどこへやら、レーヴは協力してくれる人を探しに、一日一夢語るに留めて出かけることに決めた。


 相変わらず、この町は暗くて荒んでいる。

 住んでいる人々も虚ろな目をして歩いている。

 どこかに面倒見が良さそうな上に子供好きで、安心して任せられそうな人はいないのだろうか。


 あれからたくさん歩き回ったが、結局見つけることができず、トボトボと重い足取りで図書館へと戻る。いつの間にかこんな夜中になってしまっていた。

 落ち込んでもしょうがない。地道に続けて、最後まで足掻いてみせる。

「ただいま。なんだか今日はもう一夢お話したい気分なんだ」

 もしかすると、ソーンの夢をすべて話すまでに死んでしまうかもしれないという焦りからか、また数を増やそうなんて気になっていたのだ。

 少女を寝かせている場所に行ったが、少女の姿が見当たらないではないか。

 起きたのだという喜びが先にあったが、すぐに恐怖と心配が後を追い越した。少女はどこへ行ってしまったのだろう。

 もし、もしも捨てられる前の場所に戻ったなら、今度は死んでしまうのではないか。

 妖怪でもパニックになるのだなと、頭の冷静な部分で自嘲する。その冷静な部分があったおかげで、自分が図書館に戻ったときドアは閉まっていたし、寝たきりだった少女がドアを押して外に出られるかどうか自問自答することができた。

 そう、外を探す前にまずは図書館の中から。

 落ち着いて図書館を探すと、少女はすぐに見つかった。

 少女を寝かしつけていた読書スペースから、少し歩いてすぐにある司書室で本を抱きしめて眠っていた。

 安心すると、疑問が浮かぶ。

 意識が戻ったのだろうか。夢遊病のように、寝ていたのに体が動いたのだろうか、それとも他のなにか。

 今のレーヴには少女を寝かせていた場所まで運ぶ力も体の大きさもないので、使っていた毛布をずるずると引きずって持っていき、優しくかけてやった。

 そうだな、今日はちょっと楽しくなるような夢の話をしよう。もちろんソーンが見た夢だ。


 空を飛ぶ夢だった。

 風が心地よく吹き渡り、追い風を受けて走り出すと体がふわりと浮き上がる。

 徐々に徐々に高く飛んでいく間、心が踊った。とてもワクワクする。

 見渡す景色はどんどん広くなっていく。歩くのよりも、走るのよりも、もっともっと心地の良い感覚に包まれた。

 突然、もし風が止んで地面に真っ逆さまに落ちたらどうなってしまうのかという不安に襲われる。不安になると、想像した通りに風が止み、地面へと落ちそうになった。

 慌てはしたが、恐怖に屈せず、風よ吹いてと願っていると、もう一度風が巻き起こり、空へとすくい上げてくれるのだった。

 夢の中で自分の心を強く持てば、なんでもできるのだと教えてもらった瞬間だった。

 落ちそうだと思うと落ちてしまうし、高く、遠く、速くと願えば、その通りに飛べた。あの山の向こうへ飛びたい、海が見たい、星空の綺麗な丘に行きたい。願えばどんな場所へでも飛んでいけるんだ。

 秋の錦が綺麗な山々、見晴らしの良い丘にある秘密の花園、底が見えるほど透き通って綺麗な海で遊ぶイルカたち、ダイヤモンドダストとオーロラの綺麗な雪山、どんな場所へでも、ありえない事象でも。

 ただ一つ気をつけないといけないのは、怖いことを考えてしまうこと。

 墜落するのはもちろんだけれど、自分が怖いと思う景色が頭に浮かぶとそこは地獄だ。

 自分の心を強く持って、素敵なことを想像すると無敵になれるのだった。


 レーヴが話し終えると、そっと頭に手を当てられた感触があった。

 なんと、少女が目を開けてこちらを不思議そうに見つめているのだ。

「お、おはよう」

 レーヴは言葉を詰まらせながら、とりあえず挨拶をしてみた。感極まるとはこういうことを言うのだろうか。なんだか胸にじんわりと熱いものを感じる。

「お、あ…」

 少女は上手く喋れない状態なのだろうか、それとも言葉を教わっていないのか、今のところわからないが、発声までしてくれたのは動かぬ事実だった。

 そんなことよりもただただ嬉しかった。

「生きててくれてありがとう。ちょっとずつでいいんだよ」

 できる限りを尽くして優しく声をかけてみた。言葉がもしわからなくても、気持ちを伝えられたらいいなという願いをこめて。

 少女は抱きしめていた本をより一層ギュッと抱きしめた。偶然にも、ソーンがレーヴに名前をつけるときに使ったフランス語の辞書だった。

「ああ、良いことを思いついた。良ければ、その本を一緒に開いてみてくれはしませんか?」

 伝わらないかもしれないからと言って黙っていることなどせず、身振り手振り鼻振りを交えて、伝えたいことを心を込めて一生懸命伝えてみる。

 すると、少女は本をゆっくりと開こうとしてくれた。しかし、力が入らないのか上手く開くことができないでいる様子だったので、レーヴは手ならぬ鼻を添えて一緒にめくっていくのだった。

「ところで、本は好きなのかい?」

 少女は少し首を傾げてから、本に少し頬ずりをして見せてくれた。どうやら、言葉が完全に伝わらないわけではないらしい。

「すごく単純で、嫌がってしまうかもしれないけれど、君の名前はリーヴルなんてどうだろう。本という意味があるらしい。どうかな。もし君に名前がないのであればだけれど」

 少女は少し俯いてから、ゆっくりと頷いて見せたのだった。

「今日から君はリーヴルだ!私の名前はレーヴ。君と同じでフランス語のこの辞書から名前がついているんだ。おそろいだよ」


 これが二人の出会いの物語だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る