第2話 貘と少女
ソーンがまた図書館に現れるのを待つ間、レーヴはいろいろな本を読んでいた。
本をすべて読みつくすのが先か、再会するのが先か。
ソーンは本が大好きだった。まだ小さく弱りきった体だったレーヴを膝に乗せ、手始めに絵本を読み聞かせていたほど。
それ以来、レーヴも本が大好きになった。
ソーンは言った。図書館には誰も寄り付かないから住み着いてみてはどうかと。
レーヴは非常に良い提案だと思い、住み着くようになった。とても居心地がよく、気に入ったのでそこで過ごして長い。
「レーヴ! お部屋にこもりっきりだと病気になっちゃうってママがよく言っていたわ。たまにはお散歩もするのよ」
ソーンはそう言って、天気が良い日は一緒に散歩をしてくれるのだった。
風でふわふわと揺れる短い髪は青く、金髪が一筋混じったメッシュでとても綺麗だった。よく見ると赤色の毛が六本揺れているのも見えた。
図書館の宝石図鑑で見かけたが、ラピスラズリの宝石を思わせるようなその髪色は本当に綺麗で心を奪われた。
「髪、伸ばしたらきっともっと今よりずっと魅力的になるよ。なんたって宝石みたいだからね」
「えへへ。そう言ってくれて嬉しいよ、レーヴ。ちょっと伸ばしてみようかなあ」
身長も、髪の毛も、もし生きてくれていたなら、今はどれくらい伸びているのだろうか。
どうして、来てくれなくなったのだろう。なにかあったんだ、そうに違いない。
嫌われたと思うのが嫌で、そう言い聞かせてきたこともあった。本当は何もなくて、ただ飽きられたり嫌われてしまっただけだったのだ。そう思ったほうが、どこかで無事で生きていてくれているということだし、それはとても良いことなのだと思って言い聞かせても、どちらにせよ複雑な気持ちになるのだった。
そんなある日のことだ。
ソーンの言いつけを守り、図書館を出て散歩がてら夢を探していたときのこと。
相変わらず人々は夢を見ない。誰からも夢の香りがしなかった。飢え死ぬかもしれないという不安に、このままソーンに会えないかもしれないという不安が勝る。
今日はもう帰ろうと思ったそのときだった。
ゴシャン!となにか大きな物が落ちる音がした。路地裏のほうからだろうか。
夢の気配が欠片もしないが、なんとなく、なんとなく見に行ってみようという気にさせられた。ソーンがいるような気がしたのだ。なんとなく。
今思えば、それは希望だったのだ。
路地裏にはあちこちからダストシュートが伸びており、ひどい臭いが充満していた。生ゴミ、塵紙、テレビなどの家電だけでなく、人の腕なのか人形の腕なのかわからないものもあった。
先程の音は、ただ、ここにおけるいつもの日常としてゴミが落ちてきただけだったのだろう。
踵を返したレーヴの耳に、かすかなうめき声が聞こえてきた。
気が進まないはずなのに、なんとなく、探してみなければならない使命感に似た衝動に駆られる。
ゴミ山をかき分けていくうち、うめき声は最後に落ちてきたものだと目星をつけた。というのも、人形の腕だと思っていたものは本物の腕で、腕から先がなかったり、ありとあらゆる物、口にするのもはばかられるようなものがそこに積まれていたからだ。この中でうめき声が上がるというのは、捨てたばかりの物しかありえない。それほどまでに酷い有様だったのだ。
うめき声の主はすぐに見つかった。それは、最初マネキンかなにかにしか見えなかったが、かすかに胸が上下していたおかげで気づくことができた。
手足の欠損はないが、髪の毛がなく、薄いワンピース一枚しか身につけていなかった。髪がないのは病気によるものか、それとも根本から刈り取られてしまっているのか。微かに胸が膨らんでいるので、女の子の可能性が高い。肌も服も血や埃、様々なもので真っ黒に汚れ、あちこち傷だらけだった。
レーヴの心臓は早鐘を打つようだった。ソーンであってほしいという気持ちと、違ってほしいという気持ちが同居している。
とにかく、急がなければ。息があるうちになにかしなければ。
背中に少女を乗せ、落とさないように慎重にだが、図書館への道を急ぐ。
姿形はバクに成り果てたが、過去に白澤と同一視されたことがあったのが功を奏した。
微弱ではあるが、病魔を退ける力を行使することができ、簡単な薬を用意できた。薬といっても、ヨモギ等の雑草を揉んだものだったり、煮詰めたもので、本当に簡単なものでしかないが、少女の体の状態はみるみるうちに良くなっていった。
しかし、良くなったのは外側だけで、内面はどうも生気がない。
図書館にある本で読んだ知識だが、話しかけ続けたり、いつも聞いていたラジオを聞かせ続けた結果、意識を取り戻した話を読んだことを思い出す。とにかくなにか刺激が必要だとかなんとか。
「こんにちは。私は妖怪の貘で、名前はレーヴだ。動物のバクではないぞ。今はこんな姿かたちだが、かつては白澤と同一視されたこともある。鼻はゾウで目はサイ、足がトラで尾は牛だ」
何を話しかければ良いのかわからなかったレーヴはとりあえず自己紹介がてら、自分がバクと同一視されているのをなんとかしたいという願望も兼ねて、自分という妖怪について語り聞かせてみることにした。
「主食は悪夢だったが、ある少女がくれた夢のおかげで悪夢以外も大好きだ。その子は夢以外にも、美味しいお菓子や紅茶、いろいろなものを食べさせてみてくれたものだった。紅茶は本当にとても美味しくて、夢以外だと珍しく私の好物だ」
自分語りをするはずだったが、すぐネタが尽きてしまい、大好きな親友のソーンの話一辺倒になっていく。
「彼女の名前はソーンというんだ。私たちが初めて会ったとき、お互い名前を持ち合わせていなかった。だからお互い名前をつけ合うことにしたのだ。しかし、私たちはどういう名前をつけたものかちっとも思いつかなくてな。今いるこの図書館へとたどりついたのだ。私とソーンはそれぞれ辞書を手に持ち、偶然にも、お互い『夢』という単語を調べていたんだ。レーヴはフランス語で夢という意味を持つそうな。ソーンはロシア語で夢という意味を持つらしい。私たちはお互い名無しのおそろいコンビだったが、新しく夢コンビになったというわけだ」
少女の反応はなかったが、レーヴは思い出に浸って語ることに楽しさを見出すようになっていた。ソーンがキラキラしながら夢を語り聞かせてくれていたとき、夢がまとっていた感情を自分も持っているような感覚が喜ばしくて仕方なかったのだ。
「そうだ。君にも名前をつけないとね。どんな名前がいいだろう。君が起きて話せるようになったら、なにか素敵な名前を一緒に探そう」
本人の意思と好みがないうちに名前をつけることに抵抗を覚えて、そう提案するのだったが、レーヴが人間の名前は本人の意思も好みもなにもないうちにつけられるものだと知るのはしばらくあとのことだった。もちろん、本から得る知識だ。
来る日も来る日も、レーヴはソーンとの思い出話を少女に聞かせてみたが、起きてくる様子はないままだった。ただ、少しだけ髪の毛――綺麗な金髪が生えてきているのに気づき、この子は間違いなく生きているのだと、少し安心したのだった。
「そうだ。次は、私がソーンに聞かせてもらった夢の話をしよう。この夢は忘れられない、手放したくない夢だったらしくてな。食べずに聞くだけに留めておいた夢なんだ」
その日はちょうど、ソーンとレーヴが初めて会った日のような、星空も見えない、薄暗くて気分が沈みそうな日だった。
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